見出し画像

友人は一生の宝

おはようございます。今日も1日いい天気で気持ちがいいです。
昨日は高校の時の部活の友人とオンライン飲み会を行いました。

私はいま埼玉に住んでいるのだが、高校の友人たちは皆千葉や東京などバラバラに住んでいる(地元が千葉のため)。コロナの影響により集まることができないなか、オンラインであればすぐに会える。これはとっても便利なことだ。

いつぶりだろうか?毎年高校の部活の友人とは年末に1回集まりがある。昨年は集まりに参加できなかったので、1年以上かな?ずっと会えていなかった。
社会に出ると学生の頃の友人と会う機会って自然と少なくなる。みな、それぞれに家庭をもったり、仕事の仲間と過ごしたり、仕事の環境が優先的になる。

そんな時、私はふと寂しさを覚えることがある。社会に出てからの環境が全てになった時、自分というアイデンティティが固定化されてしまうのではないかと。

人にはいろんな側面があると思う。例えば学生の友人と合うときであれば、砕けた自分。仕事の場であれば大人な自分。家族の中であれば良い父親な自分。

所属する場所によって自分が持っているアイデンティティが変わってくる気がするんだ。

そして、私にとってはどのアイデンティティも自分であり、自分を表現する上では必要だったりする。だから、付き合う人も固定化しすぎず、様々な人とのつながりを作っていたい。

昨日話した友人たちは学生の頃の「おふざけな自分」を知っている人間である。何の壁もなく、ふざけた自分をさらけ出せる。そして、そんな一面を持った自分を思い出させてもくれるのだ。だから、今まで知り合って友人になった人たち。少なくとも私のアイデンティティを築く機会になった人たち。それは、自分にとってかけがえのない存在であり、「私」という存在を確認する上でも大切な存在である。

そして、私自身も友人たちにとって、当時の自分を思い出す。当時の自分を知っている安心できる友として存在できたら嬉しく思うな。

これからも沢山の人と出会っていくだろうし、付き合う人の幅もどんどん増えてくることだろう。でも、学生の頃に友人になった人たちとのつながりはこれから先も大切にしていきたい。自分が「安心して帰れる場所」でもあるから。

自分という存在は友人たちとのつながりの中で保たれている部分もある。

友人は一生の宝。

皆様からいただいたサポートは大切に使わせていただきます!これからも勇気が出るような記事や学びにいただける文章を書いていきます!よろしくお願いします(*´∀`*)