見出し画像

カミーノ巡礼から1年

去年の今頃、僕はピレネー山脈を越えていた。

フランスのSaint-Jean-Pied-de-Portを出発し、Santiago de Compostelaまで約800kmの道のりを歩き始めた日からもう1年が経った。

毎日約25-30kmの道のりを歩く。
知らない街を目的地として、共に歩く人と徐々に仲間になっていく。

朝6時前には起き、日の出と共に歩く。
途中のカフェでまた1人友人が増える。
13時には宿に着いて昼寝。
夕食はワインを飲んで、寝る。

肉体的にも精神的にもすごく幸福だったと思う。毎日目的地があり、綺麗な風景をひたすら歩き、友人が増えてゆく。

そこから何か変わっただろうか?

僕のカミーノ

カミーノ巡礼(フランス人の道)は、フランスの端っこの小さな街から、ピレネー山脈を越え、サンティアゴ・デ・コンポステーラという大きな教会がある街へと歩く旅である。

大体のカミーノの道

皆、何かを得るためにこの巡礼に参加していた。
「なぜこの巡礼に参加したの?」はこの巡礼でよく交わされる言葉だった。
特に理由もなく、「宿代安っ! ずっとヨーロッパおれるやん」が動機となって始まりの地に降り立っていた。

ある日、キリスト教のミサに参加した後、なぜ参加したのかを言い合う時間があった。(海外ドラマでよく出るグループセラピーのような感じ) 
ある人は、大病を乗り越え、ある人は仕事を辞め考える時間が欲しかったからだと言う。オーストラリア人の彼女は、突然泣き出し、皆はハンカチを差し出しうんうんと頷いていた。(早口すぎて僕だけ理解できていなかった。)

また、ある日「〇〇(自分)は、一人で歩いているとき何を考えているの?」と聞かれた。僕は歩く時何も考えていなかった。たたただぼーっと歩いて、暇になったら日本のラジオを聴いていた。

結局僕のカミーノは、ただの景色がよく新しい友人を作れる散歩道であって、何かを劇的に変化させるようなものではなかった。

カミーノを通して

何の目的も持たず、カミーノを歩いて学んだことがある。
それが「日本人も海外の人もそんな変わんない」と言うことだ。

カミーノは、基本的な日程が決まっており、さらに後半仲良くなると「次はここの街まで行こう!」となるので、複数の小さなパーティーが出来上がる。

そうなってくると、もう日本と変わらない。誰が誰を好きだとか、そのせいで気まずくなって歩く日程を早めるだとか、宿のベットの数が足りず、パーティーの中で誰がその宿に泊まらないかを話し合ったりしていた。

20〜30代の様々な国の人が集まっても、起きることは日本と変わらない。

もう一度カミーノを歩く

そうは言ってもカミーノは、僕の中で重要な思い出と経験になったのは間違いない。

写真フォルダを見返すと、「あぁ この日初めて彼と話したんだよな」と思い出す。歩くたびに友人が増えていく。名前を覚えるためのメモ帳には約50人の名前が書いてある。

今では、インスタのストーリーで見かけるだけの存在になってしまったが彼らは元気だろうか?

もう一度歩きたいか? 人に勧めたいか?
と聞かれたら、堂々とYesと言える。

もう一度、あの幸せな冒険の日常を体験したい



この記事が参加している募集