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後藤客舎

青森県の知人から「後藤客舎はもちろん泊まったよね?」と、宿をつくっている人なら当たり前だよね。のテンションで突然聞かれたけど、そんなん言われても知らんけども。実際に泊まってはいないし。

「お〜今すぐ泊まった方がいいよ、青森で一番好きだよ」と迄言うので、その日に宿泊してきた。そして、めちゃくちゃ良かった。

個人的には石川県の珠洲にある「湯宿 さか本」を尊敬しているが、後藤客舎もまた「これは…今の自分ではつくることができないな…」と思わせられた。どうにもこうにも頭を捻ったところで、つくることができない。

似たような建築を建てることはできるが、魂が入っていない抜け殻のような、ハリボテはつくることができると思う。

後藤客舎の入口

場所は青森県黒石にある青森県温湯(ぬるゆ)温泉。十和田に向かう時に「ここが最後のガソリンスタンドです!」と書かれた優しいガソスタで毎度ガソリンを補給していたが、その手前の信号を曲がったところにあった。誰も知らんと思うけども。

温泉郷の入口は毎回みんな写真を撮影していたので、撮らなかった。門をくぐり車で2分程走らせると、民家と温泉宿と銭湯が混在したこじんまりとした町が広がる。

温湯温泉の案内板(後藤客舎である)

18時を回った頃だったので辺りは真っ暗で、路面も凍っていたためにそろりと走る。目当ての鶴の名湯が見えてきた。そして、その目の前にあるのがこの後藤客舎。

外観

明治時代にはすでに存在していたということ。建てられたのは江戸か明治か…。150年近くも続くのか…。2月のこの時期であれば青森の夜はとくに冷える。湯治場とされ町の中心に共同浴場があり、滞在する人が浴場を中心に生活をする手立てはできている。後、めちゃくちゃ寒そうと思った。

入口から左右に分かれる長い廊下
年季が入った木だが、綺麗に掃除されている。
床の石はわれ、木も所々欠けている。

中はやっぱりとにかく寒い。風は全て抜け、冷気が宿全体を包んでいる。女将さんにインターホンで連絡をし、部屋へ案内してもらった。女将さんはひとりで運営しているのだろうか。可愛らしい声のおばあちゃんだった。

入った瞬間、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い出した。まさにこれだと、思ってしまった。使い古された道具の数々、適度な照明、陰影の美しさがあった。物と建物との調和。この空気、光景を持ち帰るために、脳裏に焼き付けるまで見た。極寒の廊下で10分は見続けた。もっと見ておけば良かったと後悔する。何が分かるか分からないが、何か分かった気もしたので、心の奥底に残ったのだと信じる。

部屋の中

部屋は12畳近くあり、思っていた以上に広かった。てっきり4畳、5畳程度だと勝手に想像していた。部屋の中はガスストーブが存分に温めてくれているので非常に快適。畳も張り替えられており、とても綺麗。襖はヤニにやられている。喫煙はOK。

津軽塗の茶筒
ウェルカムりんご

公衆浴場までは徒歩10秒。温湯と熱湯の2つセットの湯船。青森には熱い湯が多いがここはかなり熱かった。後藤客舎に宿泊した方には無料券がついているので、握りしめ浴衣で浴場に向かえば、1分後には湯船に浸かれる。長期滞在すれば、部屋と湯船の往復する未来が見える。

古道具の花器
外から部屋の中は見える(カーテンで隠せる)
長期滞在はキッチンで料理できる

突然思い立って来てよかった。こんな宿があることをまだ知らなかったなんて..。確かに宿をつくっている人を青森で知れば「もちろん泊まったよね?」と言いたくなるのも分かる。それほどに良かった。

青森に来る友人がいれば、後藤客舎に泊まりなよ。と言いたくなるが、好みは確実に分かれる。いわゆる素敵なホテルではない。

ハリボテだハリボテをつくるわけには行かないと言っているが、毎回「いまの僕には作れないな…」と思ってしまう。宿とそこで働く人と町が一体化している。部屋には今まで宿泊してきた人たちの痕跡がある。後藤客舎に泊まると、あの時間が忘れられずまた宿泊したくなる。「こもる」でもコンセプトについて良く話をする度に高尚なことを言ってはという思いになる。同じつくりかたしていても同じものにしかならないのでは。

どうしたものか…。と頭を悩ませる宿でしたが、2022年は50回は宿泊しようと思います。そして、何かを掴んで「こもる」に少しの痕跡でも残せればと。後、純粋に古い建築や和の雰囲気が好きな人にはめちゃオススメです。冬は死ぬほど寒いです。

花も綺麗でした。(ブレてしまった)


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