見出し画像

ファッションADHD

どこかに怒られそうなタイトルにしてしまった。どこに怒られるかは分からん。表現の自由最強!ところで、語尾を「です、ます」にするか「だ、である」にするか迷っている。どうしようかな。

ADHDってあるじゃないですか。注意欠陥・多動性。かくいう私もそんなかんじなんですけど。「そんなかんじ」というのは、特にそういった診断を受けたわけではないからです。そういう意味ではアスペルガーも「そんなかんじ」です。昔、IQを測ったときにいっしょに調べてみたらしいんだけど、なんか曖昧だったらしい。「そういう傾向はあるけれども、そうとは言いきれない」みたいな。よく分からん。だからファッション。

なんで2回目の投稿でこんな話題にしたかというと、普段あんまりこんな話をしないから。自分を形作る上で言っておくべき要素なんじゃないかなと思ったから。最近めちゃくちゃに困ったから。現実でもインターネットでもあんまり深く話したことはないと思う。はやく本題!

本題です。私はたぶんADHDで主に「注意欠陥」です。予備軍かもしれません。とりあえずその素質は十二分にあります。そんなのいらなかった。イカれた素質を紹介するぜ!以下、イカれたメンバーたち。

・忘れ物が多い:本当に多い。財布、切符、チケット、教科書、筆箱、鍵、イヤホン…枚挙にいとまがない。悲しい。楽しみにしていたライブのチケットや必要な切符を大事に大事に引き出しにしまって、当日にカバンや財布を開けて初めて気付くやつ、人生で3回は軽くやってる。昨日はバイトの靴を家に忘れた。

・物を失くす:本当に多い。出先はおろか家の中で消失するから困る。ボールペンは1ヶ月に1回は新しいの買ってる。イヤホンもすぐ失くなるから出費がすごい。一番やばいと思うのは、部屋でしゃもじを失くしたこと。いまだに見つかっていない。どうやったらひとり暮らしの部屋でしゃもじを失くせるのか教えてくれ。

・予定を忘れる、予定を作成できない:予定、作れません。覚えていられません。スケジュール帳は買ってから3日くらいしか記入できません。大事な予定もメモしないと覚えていられません。そもそも既に忘れていることが多い。メモするときに「あれ、いつだっけ…」ってなる。自分で時程を決めたりルートを作成したりしても、だいたいうまくいかない。初めて大学行くときに、降りる駅まちがえてタクシーで8000円使った。

・順序立てて物事を進められない、優先順位が分からない:どうしてもやらないといけないこと、やらなくてもいいことがあるけど、順番が分からない。優先順位を決められない。例えば、いま20:00だとして、23:59までに提出しなければいけない課題がある。終わる気配、なし。一方、手元のゲームでも23:59までのイベントがある、周回しないといけない。よーし!周回するぞー!〜完~

・期限を守れない:『予定を作成できない』『順序立てて物事を進められない』この2つのコンボによって生み出される最凶最悪の必殺技が『期限を守れない』である。もはや説明など不要。課題、支払い、予約、登録、全てが気付いた時には期限切れになる。恐ろしい必殺技であり、致命的なバグである。最近だと、ポイントカードの登録が8月中だったらしいんだけど、すっかり忘れていた。さようならポイントたち。

・時間を守れない:これもほぼ似たようなもの。いろいろな要素が融合して生み出される、日常を少しずつ蝕む呪い。日々の授業ですら普通に10分遅刻する。ちゃんと起きてちゃんと準備しても。普通に。自分でなぜか分からない。大事な用事があって、それに向けた予定を作成したとしても、忘れ物や失くし物、目覚ましかけ忘れて起きられない、優先順位が分からなくて予定通りに準備を進められない、体調が優れない。そんな数多の障害により、5分、10分、バス1本、電車1本、たくさんの遅延が重なった結果、大遅刻が生まれる。おれが時間通りに現れると思うなよ。

その他の注意欠陥:テストでのケアレスミス(名前を書き忘れる、問題文と解答方法が違う、など)、好きなことへの集中力は異常にあって切り替えができない、嫌いなことはすぐにできなくなる(やりたくないではなく能率が下がりすぎて限りなく0になる)、極端にいつもと違う音があると能率が下がったりイライラする、片付けが苦手

多動性:座っているときも立っているときも、だいたい手足が動いている(ピアノの動きをしているときもあれば、単に手をパタパタしているときもある、そしてそのほうが落ち着く気がする)


まあそんなかんじかな〜!細かく書くともう少しあるけど、キリがない。というか書きすぎでは?noteって何文字書けるの?ここまで見てくれた人間、さんきゅな。もうちょい書きたい。

さて、これだけ書いて何を伝えたいかと言うと、「この世界はADHDに優しいのだろうか」ということである。ADHDで困ることはたくさんある、果たして困ること自体が優しくないのか。それでもそこで手を差しのべてくれる人間がいるのか。そういう。

そして、優しくない出来事が起きた。最近、コロナ禍により大学の授業がオンラインで開講されることになった。必要な措置である。他の大学は知らないが、私が通っている大学はあんまりそういうことをやってきてなかったのではないかと思う。少なくとも学生はそんな風に感じていると思う。文句を言っているようになってしまうが許してほしい。許しているのだから。

まず、『オンライン移行のお知らせ及び実行が遅かった』。他大学がぞくぞくとオンラインに移行する中、当大学は4月中旬にようやく発表され、それに向けたアンケートが実施された。「まあ遅いけど、ちゃんと発表してるならいいじゃない」と思うでしょ?ダメなの。『例年と授業開始のタイミングがズレる』だけで、ものすご〜くやる気と元気がなくなるの。不思議でしょ。いつも4月の中旬以降に始まってくる授業が始まらないだけで、すご〜くやる気がなくなるの。元々ないけど。

そして授業開始。『講義によって開始のタイミングがバラバラ』!!『そもそも講義のページが真っ白なものもある』!!もう終わりです。この絶望感、お分かりだろうか。この講義は5月当初からしっかりモジュールができている、こっちの講義は動画URLと謎の課題提出ページ(期限も内容も不明)がある、こっちの講義は他とは違うドライブに保存されてる……。終わりです。終わり。

授業システム。こいつがADHDには厳しすぎた。『いつものように朝起きて?パソコンを開いて?時間になったらオンライン授業に参加したり?更新される動画を視聴する?』何を言っているのか分からん。①学校行かないのに学校行く時間に起きるのが嫌だ。②授業のためにいちいちパソコンを準備するのが嫌だ。③zoomは顔を出さないといけないものもあって嫌だ。④別にリアルタイムで見なくていい動画をわざわざ朝早く起きて見るのが嫌だ。⑤課題は後日提出である。⑥上記の理由により、当日に講義を受けるメリットを感じない。………………ざっと思い浮かんだものでこれくらい、厳しい要素がある。あくまでファッションADHDの私が言うべきではないのかもしれないが、ADHDに必要なのは結果でも成功でも努力の成果でもなく「きっかけ」である、と考える。例えば、一日の始まりにベッドから起き上がらなければ、ずっとインターネットサーフィンフィーバーになる。起き上がれば何かしようかなと思える。というように、行動には結び付くきっかけがある。全てが独立しているわけではないと思う。そして、こと「大学での講義」に結び付くきっかけは「学校に行く」である。単純。単純ながらその威力は計り知れない。少なくとも私は、そのめんどくさいながらも強力なきっかけによって今まで大学の講義に参加できていた。その「学校に行く」は、オンライン講義において「パソコンやスマホを起動する」「ブラウザを開く」「zoomを開く」などに置き換えられるわけだが、ぶっちゃけzoom以外は日常である。学校に行くよりも日常、ほぼ息をするのと変わらない。そんなことがきっかけになるか?否、ならない。「学校に行く」ためには「ベッドから起き上がる」ことが絶対に必要であるが、「パソコンやスマホを起動してブラウザを開く」なんてことはベッドの上でもできる。つまり「ベッドから起き上がる必要がない」ことになる。であれば?はい。インターネットサーフィンフィーバーである。講義見るより、YouTube見たりおいしい居酒屋探したりアマプラでプリズンブレイク見たほうが楽しいよ!というワケ。リアルタイムでの参加は3日で諦めた。

課題提出。これもADHDに優しくない。ほぼ全講義で課題は用意されるが、当然その内容も形式も期限もバラバラである。自称天才のADHDくんはこう考えました。「当日に講義の動画を視聴する必要がなくて出席も取らないなら、課題だけチェックして必要なら動画を見ればいいのでは?」と。天才か?こいつは天才だ。しかし自称天才のADHDくん、大事なことを忘れていました。それは「きっかけ」です。ADHDくん、予定を作成できないので課題の期限を全然把握できず、優先順位もバグっているのでやらなきゃいけないことが分からず、「講義の動画や資料を見る」というきっかけもないので課題に取り組むことができません。自称天才のADHDくん、撃沈。

他にも優しくない要素はある。

・お知らせをチェックできない:対面授業だと教授の口から説明があったり、その授業中に質問ができる。いつでも見れるメールは「あとからでいいや」(優先順位のバグ)と思ってしまったり、オンラインによる時差があるせいで、自分への返信はおろか自分が送ったメール自体も忘れる。

・出席がつかない:これはある意味メリットでもある。毎日決まった時間に参加する必要は無くなったから。ただし、出席がつかないことは、「成績のほとんどが課題及び試験の評価になる」ということと同義である。日々の平常点などないのだから。そして課題やレポートはお察し、試験もお知らせ確認不足や予定忘れなどでそもそも受けられなかったりした。慈悲などない。

・提出は100か0:提出期限を過ぎたら、だいたいページがロックされて提出すらできない。「遅くなりました」すら許されない。0になる。

と、たくさん大変なことがあります。その一方で、優しいところもあります。

・朝起きなくていい:神

・欠席、遅刻という概念がない:神

・再提出が楽:「あ、まちがえた」「推敲したい」と思ったら、新しいファイルを投げるだけで再提出になる。これは助かる。

・嫌いな教授に会わなくていい:まあ。でも嫌いな人ってとことん嫌いだから、文面とかファイルのフォントだけでムカつくよね。特大MSゴシック死晒せ。

まあ、そんな感じかなぁ。でも、優しくない部分のほうが圧倒的に多いのよね。いやぁね。

オンライン前もそんな感じで生きていた私、単位が絶望的。だって普段は欠席とか遅刻ばっかりだし、レポートの期限とかわかんないし、普通に試験できないし。優しくないよ(責任転嫁)。でもそんなとき、手を差し伸べてくれる人間もまあいるわけですよ。なんとか頭を下げて「可」にしてくれたり、まあいつもできてるよねって「良」にしてくれたり、そのために奔走してくれたり。理解がある人はいるのよね。「こいつは忘れっぽいから」「どうせ予定通りにできないだろうから、ゆっくり時間をかけて様子を見よう」とか。ありがたい話。甘えてばかり。でも全員がそんな人なわけはない。

寄り道しすぎた気がする、結論。自分がバカだから自分は周りの人に優しくできるけど。完璧主義だったり、せっかちだったり、心に余裕がなかったり。いろんな人がいて、当然うまくいかないこともたくさんある。そういう個人間の問題はなんとかなるけど、例えば大学の講義のような、大きなシステムはどうしようもないなぁと思う。たまたま例を挙げたこと、これに限ったことじゃなくて、日常の中に苦しいことがたくさんある。日々を生きるときのシステムは、こんな風にどうしようもなく優しくない要素を孕んでいる。だから、個人ではなく、社会、世界がもう少し優しくなればなぁと、思うのでした。長すぎて推敲とかするのがめんどくさい。以上。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?