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夜の平城宮跡から。

些細な理由でぐっすり眠れない日が何日か続いたあとで、そのことが解決して久しぶりに熟睡でき、すっきりと目覚めた今朝。せっかくだから久しぶりに瞑想でもしようかと、ゴーヤやミニトマトが茂る小さなベランダに出て、あぐらをかいてみる。

瞑想って言っても僕がするのはちゃんとしたやつじゃなくて、ただあぐらをかいて一点を見つめるだけの瞑想もどきだから、すぐにいろんなことを考えてしまう。いろんなことを考えたあとで、少しでも瞑想らしくしようと、50秒数えながら、その間だけ呼吸に集中してみる。子どもが眠れないときに羊を数えるみたいだ。

そんなことをしてたら、すっきりして感受性が高まりすぎたのか、仕事中小さなことで動揺してしまったりする。寝不足で疲れていてもしんどいし、頭が冴えすぎていても窮屈で、こんなときに僕は自分のことを、生きづらい気質だと思う。

あと数年で30歳になるというのに時々、ただ生きるだけのことが、ひどくぎこちなく感じることがある。どうして自分は今まで精神病にならなかったんだろう。そのことが不思議なくらいだ。

仕事が終って帰宅し、シャワーを浴びてから、少し混乱した頭をすっきりさせるためにサイクリングをしようと思い立つ。コンビニでワインを買って平城宮跡へ行こう。少しでも気分を上げるために、最近買ったお気に入りの腕時計を付けて、同じく最近買ったサンダルを履いていく。

駐車場で若い男女がたむろしているコンビニを去り、市役所とショッピングモールの駐車場を抜けて最短距離で平城宮跡へと自転車を飛ばす。

木々や、子どもの背丈くらいある草が道路の両脇に生えている平常宮跡は、この季節でも夜は涼しい。きっとあれだ。葉っぱが水分を出して、それが蒸発して気温を下げるやつだ。こういうのなんて言うんだっけな。

空を眺めながらお酒を飲むのに適した場所を探しつつ、平城宮跡のなかをサイクリングする。数年後には消えてしまうかもしれない線路を渡って、建物の外にベンチがある休憩所へ向かった。先客がいたので他をあたることにする。線路の方へ南下すると、道の近くに小さなスペースを見つけた。ここで地べたに寝そべって星を眺めよう。誰も通らないからきっと見つからないし、見つかったとしても、今日くらいは大目に見てもらおう。時々は、少し気がふれたようなことだってしないと生きていけない。

自転車をとめて、ワインを飲んで、寝そべって星を眺める。日中に太陽の熱をたっぷり吸収した地面が暖かい。空気はひんやりしてきたから、その暖かさがむしろ気持ちいい。

街の灯りのせいであまり星は見えないけれど、目が慣れてくると視界に10個くらいは見えてくる。夏の大三角ってどれだったかな。最後にプラネタリウムに行ったのは、何年前だろう。

明るい星が瞬いていて、じっと見ていると随分揺らいでいるようにも見える。ずっと見てたら消えたりするのだろうか。今見えている星が、実はもう存在していないかもしれないという話を思い出す。

星が消える瞬間を目撃できたとしたら、ものすごい奇跡かもしれない。

そんなことを思いながらしばらくぼーっと空を見ていると、その近くで星が一瞬だけ大きく光って消えた。びっくりして、もしかして超新星爆発なのかと思って急いで家に帰って調べた。ニュースを調べてもそんな話はなくて、どうやら静止流星らしかった。自分がいる方向へ向かって流れる星は、遠近法で一瞬大きくなったように見え、大気圏内で燃え尽きたときに消える。星が急に大きく光ってから消えたのは、そういうことらしい。

珍しく寝そべって星を見ていたときに、こんなものを目撃できたのはラッキーだった。ほろ酔いなのもあって、それだけで随分幸せな気分になれた。

それがなくたって、平城宮跡のような広大な場所でゆっくり酒が飲めるってどれだけ贅沢なんだろう。

些細なことで不安になる心は、いまは些細なことで回復する。

昔と比べて、いろんなことを引きずらないようになった。生きるのがぎこちなくても、すぐにしんどくなったり、恥ずかしい過去をたくさん思い出してしまっても別にいいから、気にせずに適当に生きていこう。

のんびり、適当に、緩めたり引き締めたりを気ままに繰り返しながら、本当はどうでもいいはずの人生を大事にしながら、これからもできるだけ楽しんで生きよう。それだけで十分なのかもしれない。

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。