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電子ケトルを片付けて、


仕事から自転車で帰る途中に、通勤路にある田んぼで稲刈りが終わっていることに気づいた次の日くらいから、急に寒くなった。風が冷たくて、まだ10月だというのにもうネックウォーマーとニット帽をして、真冬のような格好で通勤している。手袋も必要なくらいだ。

普段仕事に持っていく魔法瓶には、こないだ風邪をひいたときに買った2Lペットボトルのアクエリアスが余っていたからそれを入れて飲んでいるけれど、飲みきったら次は温かいほうじ茶を入れよう。

おととい上賀茂のNPOに友人と遊びに行ったり、最近またおもしろい本と出合ったりして、書きたいことはいくつかあるのだけど、今日はあえてどうでもいい話を書こうと思う。これから書くのは、本当にどうでもいい話だ。

どうでもいいことを書いて、穏やかな気持ちになりたい。冬に向けて、心を静かに整えていきたい。毎年、夏と冬では気の持ちようが全然違う。夏のテンションのままで冬に突入してしまうとおかしな感覚になる。

読書の秋というけれど、秋に読書のような少し低刺激な楽しみを味わって冬に向かう静かな空気に心を馴染ませるのは、だから、理にかなっている気がする。


電子ケトルとコーヒーポット

たぶん大学に入学した頃に買ったやつだから、もう10年近く使っている電子ケトルがある。こないだ激落ちくんで汚れを落としたらとても綺麗になった。長いこと使っていると、文字の塗装がはがれていることにさえ愛着が湧いてしまう。

だけど最近、スイッチをつけても、湧いていないのにすぐに切れてしまうことがあって、スイッチが切れないようにマスキングテープで留めたりして使っている。信じたくないけれど、そろそろ寿命なのかもしれない。

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僕はコーヒーをハンドドリップで淹れるのがそこそこ好きなのだけど、これまで注ぎ口の細いコーヒーポットを使ってこなかった。多少波がたってしまうとはいえ、電子ケトルでもコーヒーは淹れられるし、台所に物をあまり増やしたくなかったのだ。だからインスタントコーヒーにもハンドドリップにも、この電子ケトルを使っていた。

だけど、珈琲生活を少しグレードアップしようと思って、1か月くらい前にコーヒーポットを買った。直火専用のやつだ。これからハンドドリップにはこれを使おうと思ってコンロに置いていたのだけど、これまでの習慣でついつい電子ケトルで淹れてしまう。マスキングテープを貼る手間があっても、すぐに湧かしてくれる電子ケトルは使い勝手が良いのだ。


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だけど、これではせっかく買ったコーヒーポットがもったいない。思い切って電子ケトルを収納棚にしまってみた。

今では珈琲も緑茶も、カップ焼きそばのときも、湯を沸かすのはコーヒーポットだ。


ちょっと面倒なくらいが楽しいのかもしれない。

やかんのようにガスにかけて使うコーヒーポットは、電子ケトルと違ってお湯が湧いても勝手に加熱をやめてはくれないし、お湯が沸くのに時間がかかる。お湯の量にもよるけどだいたい5分くらいはかかって、その間少し気にしながら待たないといけない。

だけどそれも、慣れてしまえば問題ない。お湯を沸かす間にキッチンや洗濯物を片付けたり、掃除をしたり、筋トレをしたりする。蓋をあけてみて、まだ湧いてなかったか、とか、もうだいぶ沸騰しているとかいうのを見て、これくらいの量ならだいたいこれくらいの時間で湧くんだなというのを、感覚的に覚えていく。

電子ケトルをしまった分、キッチンがすっきりした。今度はコーヒーポットに愛着が湧いてきそうだ。そしてしばらくして、ふと思い出して電子ケトルを取り出して使ってみたら、その便利さに改めてありがたみを感じるに違いない。


小さな変化を味わう

当たり前に使っているものを、しまってみる。別の物を取り出して使ってみる。そんなちょっとした変化も、ふと取り入れてみると楽しかったりする。

普段何にでも使っている便利な器をしまって、料理にあったサイズの器を使うようにするとか、一番よくつかっているアプリをしばらくアンインストールしてみるとか。

何かをちょっとの間やめてみることで、当たり前だったもののありがたみに気づいたり、別の物に触れる機会が生まれたり。

そんなことをしているうちに、季節がめぐってまた春が来る。

そんなふうに小さな変化を楽しみながら年を重ねていけたら、何か名誉とか人からの評価とか大きな目標とか、そんなものが叶わなくても、良い生活を送ることはできるんだろうなと思う。

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。