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シン・コンセプト誕生!🥳✨「おさんぽ民俗学」

こんにちは、湖森です。

今回はコンセプトを進化させたことについて書きます~。


1.はじめに

なぜコンセプトを刷新・進化させようかと思ったかというと、2023年1月に受けた自問自答ファッション講座にて「お散歩エッセイスト」という素敵なコンセプトをあきやさんにいただいてから、自分の中で試行錯誤しつつコンセプト活動をする中で、以下のような悩みを感じることが多くなったから。

コンセプトは進化するもの、ということでそろそろ変化のときなのかなーと思った。



お悩み① ビジョンはあるのに、なかなかエッセイを作れない。

これは私が完璧主義な性格なのも大きいとは思うんだけど…。
「作りたいものはたくさんあるけれど、理想ばかり高くなりすぎてなかなか実現に移せない」というもの。

たぶん作ろうと思えば作れると思う。
そこまで自分の力量を超えた超大作を思い描いているわけではない。
やったら絶対楽しいんだろうなという確信もある。
それを世に出して、「誰かに見て、読んで楽しんでほしいなぁ」と思ったりもする。

しかし、どうにもその一歩が踏み出せない。

たぶん何かに納得していない。
その何かはなんだかわからないけど。

納得しないと動きだせないタイプなのです。

何に納得していないのかわからないから、納得させるためにどうすればいいのかわからないというジレンマ。

だから、シン・コンセプトにおいてはなにか意義というかテーマというか…うーんそんな意識高いことを言いたいわけではないんだけど何だろう…。
使命?とも違うし…。

とにかく漫然と楽しいことをするだけではなくて、何か積極性を持ったもの?が欲しいなって。

これは、私の憧れの人である『ミステリと言う勿れ』の主人公・久能整くんが、小学校の先生になるために(なったときのことを意識して)いろんな体験をしたりいろんな人たちと出会ったり、何気ない豆知識や人々の生活様式や考え方を知る中でそれらを自分の中で豊かに育てていることに憧れと嫉妬を覚えたからというのもあるかも。

「目標のために脇目もふらず」ではなくて、いろんな寄り道をしたり時には間違ったり失敗したりもするけれども、それらはすべて自分の血肉となっていって、自分を助けるし時には誰かを助けたりもする。

私もそんな風になれたらな…なんて思ってしまうのでした。



お悩み② 「ウケのいいテーマ、ウケのいい文章を書こうとしている自分」がいる。

バズとかインフルエンサーとかには興味がないのに、なんだかそういう流れの中に身を投じてしまいそうな危うい自分がいる。

いや、ターゲットを意識して書くとか自分の創作物が広く知れ渡ってほしいとか、そういう気持ちや行動自体は悪いものではないと思う。

でも、私にとってのそういう行為って「コンプレックスからくるウィッシュリスト」的なものである気がする。

日常生活でいえば、人付き合いが好きじゃないのに苦手な人や初めて会った人にもニコニコしてしまったり、疲れるとわかっているのに相手の表情や言動から相手の望むことを推し量ろうとしてしまったり。

つまり、身もふたもないカッコ悪いことを言ってしまうと私はイイネ数とかスキ数とかすごく気にする(気に病むと言ってもいい)タイプなのである

恥ずかぴ~!
もっとスかした顔で良いもの作りて~!

これが「エッセイスト」という創作をする人間としての活動をする上でかなりのネックだったのです…。

前略プロフィールもミクシィもCROOZブログもアメーバブログもはてなブログもすべて見る専だったタイプの人間なんでね…!
SNS上で自己アピールする際の自意識がまだ赤ちゃんレベルなもので…!

とは言っても、自問自答ガールズとしてちょこちょこと創作?とは言えないレベルかもだけど、いろんな絵や文章をつくってきて、それらの楽しみもすっごく感じてる。

講座にてあきやさんに「押しつけるものではないけど…」と前置きがあった上で「創作をやってほしい!」と言っていただけたことは本当に人生の転機でした。
でなかったらまだ様々なことに対してROM専だったことでしょう…。

あきやさんはそのときに、「最終的には誰かを癒したり励ますと思うけど、最初は『自分を楽しませる』くらいの感じでいいんです!」と言ってくださった。

忘れてた、その感覚…!

なんかだんだんと「こんなものをお出しして、見た人は喜んでくれるのかな」「もうちょっと有益な情報と新奇性がないと埋もれちゃうよね」「世の創作をされている方たちはみんなは絵も文章も面白いし上手いし、すごいなあ~…」という負の腐海に埋もれかかってました。

なのでシン・コンセプトを練るにあたっては、「まず自分が面白い!と思ったものを楽しむ」。
この点を大切にすることにして、創作とかアウトプットのことはひとまず置いとくことにしました。


お悩み③ ファッションが定まらない

「お散歩エッセイスト」というコンセプトは、お散歩したりエッセイを書いたりする活動内容なのですが、どちらもファッション的な制約があまりない。

強いて言えば、お散歩するときは歩きやすい服やクツ、軽い荷物がいいかなあというくらい。

なので、「お散歩エッセイスト」の前の「○○で△△な~」の部分に個性が光るわけです。

ですが、この形容詞の部分が私は「なりたい」やら「似合う」やら「好き」やらがゴチャゴチャ~と混在してしまって、その中のいろんな要素に目移りしては「良いんだけどなんか物足りない…」という感覚を味わってきました。

この点については前回のnoteにて解決しました。
アプリ「GidMind」を使ったアウトプット法で自分の中のいろんな理想を体系化して整理し、5個のキーワードに絞ることに成功。

私が大切にしたい5つのキーワード

「透明感」はライフスタイル(スキンケア・瞑想など)に、「深い森の奥」は真鍮の幻想的なデザインのアクセサリーとして自分に取りいれることにしました。

残る「朴訥」「ミステリアス」「わくわく」は、人としての在り方というか生き様?みたいなものとしてすべて取り込みたい。

だけども、まず「朴訥」と「ミステリアス」が真逆っぽい感じがする。

「ミステリアス」と「わくわく」も静と動、大人と子どもという感じで真逆。

「朴訥」と「わくわく」も古きを知り欠損を味わうものと新しいものに興奮するようなもので真逆。

たった2個同士でも真逆なのに、3つすべてを網羅した生き方とはは果たして…!?

という感じになっていました。

こりゃあnoteを書いた当初の予定どおり、「今日は『ミステリアス』の扉を開ける気分~♪」「今日は『朴訥』の日…」という風に使い分けるようになるなあと思いました。

すべてがあって「私」なんだけどもね、しかたないね。


以上、3つの悩み事を踏まえて、シン・コンセプトについて考えることになりました。



2.以前のコンセプト活動についてご紹介


ここで、以前の「お散歩エッセイスト」としてどのようなコンセプト活動をしていたかご紹介しましょう。

「○○で△△な~」の部分も含めて紹介するとそれこそ超長文のnoteになるので割愛しますが(というか過去のnoteに書いてきたからね)、「お散歩エッセイスト」というコンセプトのメインのところについて書きます~。

・日々の自問自答したことや参加したイベントなどについて、絵なども加えながらnoteやtwitterで発信する。

・お散歩は暇があればご近所だけどもフラフラ歩いたりする。(楽しい)

・お散歩時に最適な軽くて防水性もあるバッグを買った!(topologieのオレンジショルダーバッグ)

・水族館やプラネタリウム、博物館なども広い意味での「お散歩」だぜ…!と解釈し、いろいろ行ってみる。(楽しい)

・お祭りや地元のイベントなどに参加するのも広い意味での(以下略)。(超楽しい)




〘このコンセプトで活動してみて思ったこと〙

色んな場所に行ったり色んな体験をしてすごく楽しかったけど、結局私は何がしたいんだろう…?

お散歩感覚でいろんな新しい知らなかった世界に触れること。この活動自体は自分的に間違いじゃないなと思う。だってすごく楽しい。でもどこかで「だからといって何…?」という感じもあった。誤解を恐れず言えば。

この「だからといって何…?」は何かというと、「色んなことを知った先に何があるの?何もないの?」ということです。

いろんなものに出会って、楽しい体験をして、でもそれで終わりだとなんだか自分の中のエネルギーが発散されるだけで味気ないいうか物足りないというか。

体験それらを一つひとつエッセイや絵にもしてみるんだけど、やっぱりそれらはそこで終着点という感じがする。

そういう創作を1つの本にまとめることが私のやりたいことなのだろうか?それで満たされるのだろうか?と自問自答してみると、「なんか違うな」ということになった。

いや、実は最初は「そういう方向性なのかな?」と思って、コンセプトを「お散歩エッセイ編集長」とかにしようかとも思ってた。

(オモコロの原宿編集長リスペクトです!)

それも間違いではないんだろうけど、やりたいことの一部って感じなんだよね。

なので、いっそ「エッセイスト」という名称も一度手放してみることにした。


あらためて考えてみる。

私は何をしているときが一番楽しい?
何をしているときが「このときがずっと続けばいいのに」と思える?
何をしているときが「この世界は楽しい」と思える?
私にとって価値あるものとは?(たとえ全世界の人に「そんなものくだらない」と言われたとしても)


やっぱりお散歩しているときが一番楽しい。
お散歩中に見つけた公園の原っぱで裸足になって寝転んでいたり、散歩中に偶然見つけたお店で美味しいものを買って食べ歩きしたりしていると、「毎日がこんな生活ならいいのに~」と思ってしまう。
お散歩中に自然が偶然つくりだした風景に出会うと、ハッとしてしまうし、世界ってなんて美しいんだと思う。
私にとっては、お散歩中に人の暮らしの中で作られた何気ない玄関先のDIYとか、お地蔵さんにかけられた赤い帽子とか、トマソン的な無意味な建造物は素晴らしく価値のあるものだ。「くだらない」と言われてもいい、「くだらない」からこそ愛おしいのだ。

うん、やっぱり私にとっては「お散歩」はすごく大切なコンセプトなんだ。

この「お散歩」という言葉には実際に足を動かして街・町を練り歩くという意味だけではなくて、「気軽に知らない世界を覗いてみよう!」という意味も含めている。

これは大好きなコンテンツ『ゲームさんぽ』にあやかったものである。

ゲームさんぽとは、各分野の専門家と共にゲームをプレイし専門家独自の視点からゲームの世界を散歩するYouTubeの動画企画である。

ゲームさんぽに台本はなくぶっつけ本番のフリートークである。案内人がゲームの見せたい場所をゲストに見せ、気になる場所があればそこへ向かい語りたいものがあれば語るといった流れで進行する[2]

ゲームさんぽはコンセプトとして「世界の見え方の違いっぷりを学ぶ」を掲げている。

出典:wikipedia「ゲームさんぽ」の項


やっぱり私にとっては「お散歩」は気持ちのリフレッシュとか健康のためとかそういうのではなくて(そういう恩恵にもめちゃあやかっているけど)、どちらかというと小学生の頃の「社会科見学」とか「総合的な学習」とか「自由研究」とかそういうのに近いものな気がする。

テーマを決めて調べたり、知識や経験を増やしたりなど、知的好奇心を満たすためにするもの。

こういうの、小学生の頃から大大大好きなのです!

自分自身で調べるテーマを決めるのも楽しいし、図書館やインターネットで調べものをしたり、実際に学校を出て施設見学したり、歩きまわって発表素材集めたり。
それを模造紙や冊子にまとめる作業も大好きで、見た人に楽しんでもらえるように手書きイラストや図表にまとめるのにも自分なりの工夫を織り込んだり。
人前に出るのはそこまで好きではなかったけど、発表をするのは大好きだったな。

そうか。
難しく考えずに、「子どもの頃に大好きで、大人になった今も変わらず好きなもの」という観点からコンセプトを考えてみてもいいのかも。

大学生とかになっても、こういう活動が好きだったんだよね。

大学では「ゼミ」という形になるんだけども。

私は文系で、大学では江戸時代の文学(近世文学という)を取り扱ったゼミに入っていました。

いろんな演習をこなす中で、その時代の日本文学に関する教養を深めたり、調べもののしかた、図書館での資料の探し方とか、レポートの書き方を学んだりして、最終的には自分で卒論のテーマを決めて書くのです。

いや~もう本ッ当に楽しかった!
大学の講義が入ってない休みの日とかにも大学内の図書館に入り浸って、朝から晩までものすごい集中力で調べものをしていた。

調べものをしてると「あれ、もしかして○○にはこういう観点もあるんじゃない?」とか、「こういう資料を探してみたら説の補強になるかも…」とか色んな着想が湧いてきて、もう最高に幸せでしたね…。

これは、実際の私が卒論テーマについて調べていたときのノートなんですけど、伝わりますかねこの熱量…。

卒論のメインテーマはざっくり言うと「江戸っ子」だった。
実はあんまり興味のないテーマだったのだが、調べ学習自体が好きなのでかなり楽しかった。


調べものの熱量はもちろん、演習の発表資料を作ることにも大変力を入れてまして。

紙面上のデザイン(読みやすさ)にこだわるのはもちろんなんだけどさ。
自分の発表の順番が後のほうだったりもしたので、それまでに発表した人の良いところと悪いところを分析したりしてね。

「みんな数枚にまとめたレジュメを山折りにして配ってくるけど、机の上でそりかえっちゃって見づらいな…谷折りにしよう」
「引用した文章の部分にはマーカーをふったほうが探しやすいな」
「配布資料にはみんながメモを書き込みやすいように余白も多めに作っておこう」
「発表者の声が小さいと聞き手も集中力がなくなるな~自信がないと声が小さくなっちゃうのかも。何聞かれても打ち返せるように、配布資料とは別に自分用の質疑応答想定集を作っておこう」
「『あの~』とか『え~と…』というのはつい言っちゃうけど、聞き手にしてみると結構ノイズだなあ。必要ない言葉は一切喋らないようにしよう」

とかね。
こちとら“ガチ”ですわ。

うちのゼミは10人ほどで、やる気があるのは私と友人と留学中の中国人2名だけでしたけども。

そんな中であんまりやる気なさそうだった子に「湖森さんの作ったレジュメ、わかりやすいし読みやすくて、たまに読み返してるんだよ~」と言われたときはめちゃ嬉しかった!!!

自分がわかりやすく読みやすく資料を作ることで、そういうものに対して苦手意識とか入りこみづらさを感じていた人が「面白そう!」とか「私にもできそう!」と敷居の高さを取っ払ってもらえるのってすごく嬉しいかも…と思った。

就職してからも自発的に「新人マニュアル」を作ったりしたのもこの経験が元かも。



つまり、ここまでのことをまとめると、大好きなのは「お散歩」をすること。

そして、お散歩の中で何か自分なりのテーマとか、切り口とか、「まだ知らない世界(たぶんそれは一般に「教養」といわれるようなもの)」のヒントとなるようなものを拾っていくこと。

そうすることで、見慣れたこの世界や何気ない日常に新しい視点を持つこと、自分の価値観を豊かにしていくこと。

この3つが私にとってのライフワークなんだなぁと思った。

そして、そのライフワークは他人にとって何の役にも立たず面白くなくとも、私にとってはとてもわくわくするものであったらそれでOKということ。

これも外せない。

欲をいえば、古いものも新しいものも大切にできたら良いな。
あと、謎の多きもの。

そしたら「朴訥」「わくわく」「ミステリアス」のすべてを叶えられるので。


3.シン・コンセプトは「おさんぽ民俗学」


はい、唐突に話が飛びましたがそんなわけでシン・コンセプトは「おさんぽ民俗学」になりました!

「民俗学」とは?

民間伝承を主な研究資料として、民俗性や民俗文化を庶民の生活感情を通して研究する学問。民伝学。フォークロア

コトバンク


ちなみに、「民俗学」と「民族学」の違いについて。

民俗学は、伝承を資料とし、主として自国、自民族の基層文化を叙述していこうとする学問であるが、それに対し民族学は、一般に資料的制約をもたず、あらゆるデータから主として他民族の文化、社会を解明していこうとする学問である。

wikipedia「民族学」の項


このnoteの本題でもあるシン・コンセプト「おさんぽ民俗学」であるんだけども、しかし私はこのコンセプトに決めるに至った経緯をここに書くことができない…。

なぜなら全然覚えていないから。

どういう経緯で思いついたのか、まったく覚えていない。
なんか気づいたら頭の中にあった。怖い。

でも、強いて言うならこれまでのこれらの経験がそれぞれ小さなキッカケだったのかもしれないな~ということについて書いていく。


お散歩中に見かける日常の中の風俗

風俗(しきたり・風習)というほど大袈裟なものではないんだけど、お散歩をする中で一番楽しいのは人々のリアルな生活感に触れることができることなんです。

もう使っていないタイヤや木材を組み合わせたDIY的なものを玄関先においていたり、家に植物が這って(もはや侵食されて)いたり、街中にふいにあるお地蔵さんにかわいい手作りの毛糸の帽子がかぶせられていたり。

なんかそういう何気ないものがすごく好きです。

自分の中のポリシーとして、人の家のお庭や家の中は絶対に覗かないように気をつけているのですが、玄関先(つまり余所様へ向けた部分)を不審者にならない範囲でチラ見して楽しんでいたりします。

廃屋も私の地元ではよく見かけるのですが、こちらはじっくりガン見しても問題ないとは思うのですけど「何か」に囚われてしまいそうであまり見ることができません。
これは多分私の中にある廃墟に対する愛ゆえにその場から離れられなくなってしまうという意味と、廃屋にいる(ある)「何か」に目をつけられそうで怖いからというのがあります。
お化けは信じてないけど、そういうのは信じるタチ。

私は人見知りの皮をかぶった人嫌いなんだけど、でも「人」は苦手なのに「人間」は好きだなあと思うし、人が作ったものとか文化にもすごく愛おしさを感じるのですよね。

そういうのの延長線上にもしかしたら「民俗学」もあるのかもなぁと思ったりしていました。

うん、この考えが土台なのかも。

「トマソン」とかも関連して好きですね。
これは民俗学とはあまり関係がないことだけど。
トマソンは建築学とか芸術学とか、そっちだろうか?


地域イベントで感じた不思議な感覚

これもお散歩エッセイストとしての活動の一環!と思って、町中で掲示されている地域イベントのポスターは地元でもお散歩先でも気にするようにしていました。

そんな中で江戸時代の風習を再現したイベント(町中でおこなわれるので入場料とかいらないやつ)があるとのことで、そこまで興味があったわけではなかったんだけどその日は暇だったし、行ってみることにしました。

結果からいうととても良くて、美しくて味わい深いものを見れたなあ!という感じでした。(本当はもっと詳しく書きたいけど、地域が特定されてしまうので濁します)

で、その中で当時の音楽を再現したもの?が実演奏としてあったのですが、それにすごく胸を打たれてしまったんです。

それは音楽というのかなんというのか、ホラ貝を鳴らしたりとか、鈴のついた杖をついたりとか、何ていうんだろう?

音楽というより神社音楽とか「神楽」というジャンルのものなのかな。

数秒に1回鈴の音が「シャン」と鳴るだけの、たまに太鼓が「ドン」と鳴るだけのすごくシンプルなものなんだけどこれがすごく良かった。

人の心をトランス状態に引き込むような感じがあるというか、一瞬にして空気が清浄で神聖なものになった感覚。

私の心は確かにそのシンプルな鈴の音や杖を打つ音を悦んでいて、それってたぶん大昔から人間の心の中にあったものなんじゃないかなって。

江戸時代の人たちもこの祭事の際にはこんな気持ちになってたのかな、って思うとすごく不思議な気持ちになった。


子どもの頃から大好きだった民俗博物館

電車で少し行ったところに民俗博物館があるのですが、ここにある展示物の大昔の家を再現したものが子どもの頃から大好きで。

竪穴式住居ってやつなのかな、こういうやつね。

参考画像

何が幼稚園児コモリの胸を打ったかはわからないのだけど、まあ子どもながらに太古のロマンを感じていた気がします。

小さな頃は母がいろいろ博物館とか連れていってくれて(母がそういうのが好きだったので一緒に連れていかれただけとも言える)、どの博物館でどんな展示を見たかなんて私も母も覚えていなかったので「あのワラの家があるところに連れて行って!」と何度も要求しまくったのですが、どの博物館かわからずに困ってたのですよね。

なので長らく行けてなかったのですけど、高校生のときにその博物館に偶然行ったときに「あるやんけ!」と本当にビックリしたのだけど。
遠いところにある博物館かと思ってたので。灯台下暗し!

それ以来、不定期ですが通ってたりします。
展示物だけじゃなくて博物館の建物の感じとか、周囲に自然が多い感じとかも大好きなんだよね。

ここで書いてる博物館のことです。

シン・コンセプトをなんとなく「民俗学」を絡めてみる…?と思って、その気持ちを確かめるためにお花見もかねて行ってきたのでした。

その結果、

すごく良かった。

なんか「コンセプト活動できてるな~」っていう感じもあったし、「やっぱりこれが好きだ」という実感も得られた。


考えてみると、今までの人生の中でも「これ面白い!」「なんか気になる」というものがいくつもあったけど、けっこう民俗学と親和性の高いものが多かったぞ?ということにも気づいた。

たとえば…

・大学時代にゼミに次いで好きだった講義が、いろんな歴史上の文化人の功績ややってきたことを毎回紹介するものだったけど、一番印象に残っている回が南方熊楠(生物学者・民俗学者)の話だった。

あきやさんのこの⇩ご質問に回答したときのエピソードの講義と教授のことです。

・大好きなホラー映画『残穢』はその土地に残る「穢れ」の概念など、取り扱っているテーマが民俗学的。
この映画、主人公が核心にせまっていく様子(推理パート)が文系としてはすごく親しみを感じる。古い文献のある記述を参考にしたりするとことか。
古地図とかを調べに行くのは、国文学の身としては馴染み薄いけど。

・通勤中にたまに見かける、地面に刺さっている謎の半紙がついた小さな串が気になっていた。

こういうやつ。画像お借りしています。

信号待ちのあいだとかにね、ふと足元を見るとこういうのがチラホラ刺さってたりするんです。
でもいつもあるわけではなくて、あるときには色んなところに刺さってるんだけど気づいたら全部なくなってたりする。
どんな風習なんだろう?怪しいスピリチュアル的なものか?(地元には怪しげな新興宗教の支部がやたらあるので)

と訝しんでたんだけど、これって「御幣(ごへい)」のミニチュアっぽいよな?てことは神社関係?とも思って。

amazonで御幣売ってた。何でもあるな!

私はそういう神事とかの教養とかぜんぜんないんだけど、たまたま大学の江戸時代の物語の文献を読んでいた時に(ゼミ生はひとり3ページくらい担当ページを持って、そのページを現代語訳したり考察したりして物語を少しずつ協力して読み進めていく)私が担当していたページが御幣がひとりでに飛んでいって悪事をした奴の目の前にポトリと落ちる…というシーンだったので形状に見覚えがあったのです。

調べてみたら、大晦日に神社で貰う「紙垂(しで)」を誰かが刺したもののようだ。

こういう自分が今まで学んできたものが、ある日思いがけない形で呼び起こされるのってすごく面白いなと思った。

あと、何気ない日常のそういうものを見かけると町の至るところに異界の入り口がある気がして厨二心が非常にくすぐられます。

・卒論のテーマは最初は「江戸っ子」ではなくて、「海」だった。
「なんで海?」かというと、当時『崖の上のポニョ』や『リング』にはまっていて、ポニョも貞子も海の「何か」と人間のあいだにできた子どもということで共通点があるなあと思って。
で、それを調べたくて、でも江戸時代の文学とあんまり関係ないので(江戸時代の文学ゼミなのでそこからは離れられない)苦肉の策で「近世文学における〈海〉の描かれ方」というのを最初に考えたんだけど。

※ちなみに貞子というホラー的概念は井戸から這い上がってくるものなので、海というよりも井戸(地獄)から来た者という認識…という面白い説をどこかで見た。

ゼミの教授からは「海…?」というリアクションでしたね。そりゃそうだ。
結局、やめて「江戸っ子」というテーマにして書いたんだけど、ずっと不完全燃焼だったんだよね。

今思うと、大学卒業してようが何だろうがライフワークとして自分で調べていけばいいじゃんて話だったんだけどね。
まあ就活とか仕事とかで忙しくて忘れちゃってたんだよね。

やりたかったこととしては、昔の人々にとっての〈海〉という存在の捉え方を知りたかった。

私は海無し県に生まれ育ったので海ってすごく異質で畏怖みたいなものを感じてしまうんだけど、たとえばポニョの映画ではグランマンマーレは「母なる海」という母性や包容力のかたまりなんだよね。

その二面性とか、あとは漁師にとっての海とか、海上他界観、堺の神、海の民俗行事(彼岸とか)、遣隋使・遣唐使・黒船襲来など未知の文化がやってくる場所とか、波という境界線の曖昧さが日本家屋の境界線の曖昧さに似てるなあとか、日本人って青春ものだと海に向かって叫ぶしサスペンスものの2時間ドラマでは海のそばの崖で犯人は罪を告白するし海って感情を吐露する場所なんだなあ…とか、胎児が胎内で聞く音は波音に似ているというのを昔どこかで読んだなあ…とか。

おま、民俗学大好きやないか!!!
(最後の2つは関係ないかもだけど)


いや~民俗学って「場」とか「人の意識」をわりと図式化するところあるじゃないですか?境界線とかね。

ああいうの好きなんですよねえ…。

関係ないけど、この系譜表おもしろい。画像

国文学やってても「貴種流離譚」とか昔話や神話の類型のハナシとか大好きだし。
(※「貴種流離譚」とは民俗学者・国文学者の折口信夫が名づけたもの)
(※現代のお話しの類型でいえば「異世界転生モノ」とかそういうこと)

こういうのゾクゾクするほど面白くて好きだ!


そういうわけで「おさんぽ民俗学」というコンセプトに相成りました。
造語です。


サブコンセプトは「プリミティブでミステリアスな美しさのある女性」です。

プリミティブとは、太古の・素朴な・原始的な・根源的な、という意味。好みとしては原始時代~縄文時代がとくに好きなので。

ミステリアスについては前回noteに詳しく解説してます。

「おさんぽ民俗学」というコンセプトにしてみると、私が叶えたかった要素全部乗せができるのです。

つまり、ここまでのことをまとめると、大好きなのは「お散歩」をすること。

そして、お散歩の中で何か自分なりのテーマとか、切り口とか、「まだ知らない世界(たぶんそれは一般に「教養」といわれるようなもの)」のヒントとなるようなものを拾っていくこと。

そうすることで、見慣れたこの世界や何気ない日常に新しい視点を持つこと、自分の価値観を豊かにしていくこと。

この3つが私にとってのライフワークなんだなぁと思った。

そして、そのライフワークは他人にとって何の役にも立たず面白くなくとも、私にとってはとてもわくわくするものであったらそれでOKということ。

これも外せない。

欲をいえば、古いものも新しいものも大切にできたら良いな。
あと、謎の多きもの。


そしたら「朴訥」「わくわく」「ミステリアス」のすべてを叶えらえるので。

意外にも全部落としこめた!


お散歩中に見つけたものを民俗学的な観点から楽しんでみるというのと、民俗学というまだまだ基本のキも知らないような学問に「お散歩」感覚で気軽に足を踏み入れてみよう!というものでもあったりします。

これがいずれは自分の中だけでなく、誰かにも紹介したり思ったことを発信できたらいいなあと思うけど、今は欲張りません。

とにかく自分がやってて楽しいことだけをやっていくことにします。

「おさんぽ民俗学」の湖森です!って名乗れるようになれたら嬉しいな。

職業名としての言い方もあると使いやすいから、「おさんぽ民俗学者」とか「おさんぽ民俗学研究家」、「おさんぽ民俗学愛好家」とかになるのかな。

でも「おさんぽ民俗学」のシンプルな言い切りのほうがインパクトと同時に素朴さがあって好きなんだよね~。



4.今後の展望


〘ファッション面〙

トップ画にしたイメージボードのようなテイストにしたいなと思っています。
白、焦げ茶、紺などがメインカラーで。

洋服はリネンを使ったナチュラルだけど「森ガール」とか「ていねいな生活」には寄らない、もうちょっと社会性のないデザインのもの。(ヤドカリさんの新コンセプト発表noteで「社会性がないデザインの服」のお話しをされていて、個人的に共感してました。)

「社会性のないデザインの服」というものに対する解釈は私はわりとマイルドで、目立つわけではないしTPOをそこまで選ぶわけではないんだけど、でもこの服じゃ仕事には行けんよねという感じのもの。

「土」や「風」を感じたいので、風にゆらめくようにリネンの布を大きく使ったもので、色合いは地味なものがいいな。

ここに真鍮のアクセサリーを足したり、少し民族調の小物とかを入れたい。

でも100%そういう世界にドップリというよりも、新しいものも同時に取りいれていきたいので、クツやバッグはモードなものがいいな。

これ⇩はお散歩には履いていけないけど、ネットで見かけてかっこよくてずっと心に残っているミュール。


ただ「重さ(重厚感)」も大切なテーマだとスギサキさんのカラーレッスンで学んだから、白のリネンばかりではなくて焦げ茶や黒色のアイテムもしっかり盛りこんでいきたい。


〘コンセプト活動面〙

「おさんぽ民俗学」というコンセプトにしてみたら、やりたいことがふつふつと湧いてきたのでこのコンセプトにしてよかったなあと実感している。

たぶん最終的にやることは「お散歩エッセイスト」と同じで、思いつく➡体験する➡何かを考える・感じる➡アウトプットする、という流れになるんだろうけど、「民俗学」というテーマが加わったことでグッと視界がクリアになった気がする。

これがたぶん私の探し求めていた「納得感」だったのだと思う。

「おさんぽ民俗学」の湖森が生息する場所は主に4つです。

①町・街歩き
なにげない閑静な住宅街も歩くし、自然の多い風景の中も歩きます。

その中で美しい景色に出会って心打たれたり、トマソンを発見して興奮したりします。

その町・街のイベントにも参加したりしたいです。

あとは、銭湯に行ってみたり、工芸体験とかもしてみたいです。
民俗学関係ないけど、お散歩の民としての活動です。

②公園
白いリネンガウンを着て、かごバッグを持ってピクニックに行きたいです。

可愛いレジャーシートと、あとはカルディで買ったちょっとお洒落な炭酸ジュースやお菓子を買っていったりして。

最近は公園の原っぱにテントを持参して寝っ転がっている人とかよく見るので、これも気になりますね~。

原っぱは裸足で歩きいたり、大の字に寝っ転がったりして休日を謳歌する予定です。

民俗学は関係ないですが、まあ良しとしましょう。

③博物館
最近チョコチョコといろんな博物館に行ってます。楽しい。
大人の課外学習として、お勉強するつもりで。

④神社
お寺にはそこまで興味がないのですが、神社はすごく好きです。
自然が豊かで、大きな鳥居の下をくぐると自分が小人になったような気がして面白い。

日々の疲れがとれてすごく癒されます。
ブームも過ぎ去った頃だし、そろそろ御朱印集めをやってみようかな?
(みんなと同じときに同じことをするのが嫌いなので)

この前よく行く神社でまったりしていたら、少女たちが衣装を着て舞の練習を境内でしてました。(今度その神社でおこなう神事の練習)

その練習風景を少し遠くから眺めていて、すごく静かな境内の雰囲気とか、日に当たる木々の美しさとかと相まってなんだか神聖なものを見てしまった気がしてたまらなかった…。



5.まとめ


以上がシン・コンセプトが生まれるにいたった経緯です~。

でも、コンセプトは作ってからが本番!


とりあえず次回のnoteでは「民俗学ド素人が選ぶ!民俗学をあつかった面白いコンテンツ」的なテーマで書く予定です~。

漫画とかyoutuberさんとかね。
自分用の備忘録も兼ねる予定です。

それと、私が素朴な音と神事の美しさに胸を打たれてしまった江戸時代の祭事を再現したあのイベント、今年の冬にもやるとの告知ポスターを先日見かけたのですが。

参加料を払えば、祭事をする側を体験できる(着物を着て町を練り歩く)らしく。

参加者側としてあのイベントに関わってみたかったので、申し込むことにしました。
すごい!コンセプトが与えてくれる謎の行動力!

人数制限あるから、まだわからないんだけどね。
応募時期になったらソッコー応募する予定。

私が親しんできた国文学と民俗学の違いって(まあたくさんあるのだろうけど)素人目からすると「フィールドワークの多さ」かなって思ってて。

国文学って大学生レベルだからかもだけど、そういうの全然なかったのですよね。
一度、ゼミ生のみんながあまりにも古い日本家屋の構造にピンと着てないことに教授が絶句して(たしか「軒先って何?」という人がいた)、急きょ古い時代の日本家屋が保管されている施設に課外学習に行ったことがあるくらいかな。

お米を入れておく箱にネズミの絵が掘られていて、「ネズミが来るほどお米がある」ということが食料の豊かさへの祈願として当時の風習にはあったんだという教授の解説があって「おもしろい~!一生こういうこと学んでいてェ~!」と思ったものだった。

国文学は当時の風習を理解しないと文献を読み解けないから、部分的には民俗学的なことも学ぶんだよね。

そういうわけで私も積極的にフィールドワーク(と称した気ままなお散歩)をしていきたいなって。

いずれは「おさんぽ民俗学者の7つ道具」(実質的な「what's in my bag?」)というnoteも書きたいね。


そういうわけで軽くまとめる予定がまた1万字を超えてしまやした!
ここまで読んでくださって、どうもありがとう。

シン・コンセプト、ゆる~くやっていきます~💪

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