徳川家茂の花押
今回紹介するのは江戸幕府14代将軍の徳川家茂の花押が入った領知判物です。安政7年(1860)3月5日付のものとなります。井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された2日後のものです。
領知判物
篠山侍従へ宛てています。篠山侍従は当時の篠山藩主の青山忠良です。江戸幕府として最後の領知安堵の文書となります。
丹波国多紀郡之内百拾箇村桑田郡之内
三拾七箇村摂津国武庫郡三箇村
遠江国榛原郡之内拾箇村城東郡之内
拾四箇村高六万石(目録在別紙)事
充行之訖依代々之例領知之状如件
安政七年三月五日(花押)
篠山侍従とのへ
目録はこちらの記事で紹介しています。
家茂の花押
家茂は当時14歳です。「徳川家茂 花押」で検索しても何故か家茂の花押は見つかりませんでした。歴代将軍の花押でも家茂の花押が記載されていないです。どこかにはあると思うので引き続きネットで探してみます。
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