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改易された大名の手紙(その2)

今回紹介するのは、江戸前期の父から息子に宛てた手紙です。
前提として大名だった青山忠俊は改易され、相模今泉(現在の神奈川県海老名市)で蟄居していました。息子の宗俊も連座して蟄居していましたが10年ほどして許され、江戸で出仕しています。下記の手紙のその後なので、少なくとも寛永11年(1634)から数年は経過しています。

手紙

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元々、手紙が包まれていた紙なのか
伯耆守様御自筆 因幡守様江御教訓状
と書かれたものも保管されています。

差出人:伯耆守(青山忠俊)
宛先:因幡守(青山宗俊)

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手紙は掛け軸として貼り付けられています。

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1. 先祖代々の系図だて並びに御忠節がましき事申せられ間敷候 只今の御出頭衆系図よく御忠節の人は有間敷候 当座の御奉公肝要候 内々其の心得あるべく候
2. 其方事寒熱をもいと申せられず 晝夜(昼夜)油断なくご報告申せられ候由 新左衛門より申し越し候 酒をもひかへ申せられ候由一段尤も候 酒過ぎてよき事は一つもあるまじく候 萬事其の方心づかい肝要候 
3. 彌八事酒過ぎ候て頬もおこり候由内々聞き及び候 よくよく申し付けられるべく候 
4. 大学事 何とぞと情入れられ候由 新左衛門より申し越し候 満足申し候 当年は成る間敷候間 来年の事に仕えられるべく候 以上
十一月十七日       (忠俊 花押) 
因幡守殿

*手紙にはないですが、区切りの良さそうなところで数字をふっています。

1. 先祖代々の系図だて

家臣への接し方のアドバイスと思われます。
家柄を家臣に強調するなと言ったところでしょうか。青山氏は改易によって家臣の多くは離散しています。宗俊は旗本となったことで新たに家臣を雇ったと思います。自身の家柄を誇ったところで家臣がいきなり忠節を尽くしてくれるわけではありません。まずはちゃんと奉公してくれるように心がけることが重要と言った感じでしょうか。

2. 其方事寒熱をもい

新左衛門という家臣からも忠俊は報告をもらっているようです。宗俊が昼夜働いていることや、お酒を控えていることを褒めているようです。前回紹介した手紙でもお酒の飲み過ぎを注意しており、ずっと飲み過ぎが良くないことを言っています。

3. 彌八事酒過ぎ候て

彌八は宗佑で忠俊の次男です。どうやら宗佑は父親の言いつけを守れずお酒を飲みすぎているようです。注意するよう言っています(笑)

4. 大学事 何とぞ

大学は忠栄で忠俊の九男です。この頃は宗俊の世話になっているようです。面倒見ていることに感謝しています。この年は忠栄はまだ出仕はしていないようで翌年から出仕するようです。


手紙を読む限り、宗俊はちゃんと働き、弟の世話も行い面倒見の良い長男な感じが強いですね。それと比べると次男の宗佑には奔放な感じがして微笑ましいです。現在でもありそうな親子関係ですね。本人たちは400年近くも未来に手紙が読まれるなんて想像してないでしょうね。

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