吾唯足るを知る
京都市右京区にある龍安寺のつくばいに刻まれた有名な四文字の言葉です。
「われただたるをしる」シンプルながらそこには深い意味が込められていると思います。
日々仕事をしていると、思い通りにはいかない出来事に翻弄されます。小さなことから大きなことまで、これでもか!というように繰り返しそれは襲い掛かります。ああ、何でこんなことになってしまったのか?この先どうすればいいのだろう?と過去を悔い未来を憂うことで頭のなかはいっぱいになります。もうこれ以上先に進めそうもない・・・特に若い頃はそう感じて目の前の問題に向き合えなくなることが多かった気がします。
だけど、これって考えてみれば誰の身にも同じように起こっていて、いい事も悪いことも全部ひっくるめて自然な出来事と捉えれば目の前の事象に必要以上に振り回されることが少なくなりました。
そんな気づきのきっかけになったのが、「吾唯足るを知る」という言葉です。
目の前だけ見てると困った出来事に追い詰められて自分の人生を恨めしく感じられるかもしれません。でもちょっと視点を変えてみると、住む場所があり、食べるものがあり、家族・友人・職場の仲間に囲まれて独りぼっちではない自分。実は必要なものに満たされていて、何より今を生きている自分がここにいる。そんな何気ない日常が本当は奇跡といえるほど幸福なのではないか、と気づくのです。
いいことも悪いこともひっくるめて、まあ時にはそんなこともあるよねと、どれも自然に起きる出来事と捉えるようにしています。そうすることで心が落ち着き、問題だと感じた出来事がさほど問題でもないような気持になります。人生って不思議です。
もちろん、言葉の解釈は人それぞれだと思いますが、私の場合はこんな風にとらえて、この言葉の教えが人生の指針の一つになっています。
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