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マゾヒズム論の歴史についての簡単な覚書

 マゾヒズムという語は、精神科医のクラフト=エビングが1886年に刊行した著書『性的精神病理』の中で初めて現れる。語の定義と共に、数々の症例が提示され、考察が加えられている。クラフト=エビングのこの本は大きな影響力を持ち、後にフロイトが『性の理論に関する三つのエッセイ』(1905年)、『子供が打たれる』(1919年)においてマゾヒズムに言及し、フロイトのマゾヒズム論は『マゾヒズムの経済論的問題』(1924年)に結実している。

 その後、フランスにおけるマゾヒズム論の名著として知られるのが、テオドール・ライクの『マゾヒズム論』(1953年)であり、ドゥルーズが『ザッヘル=マゾッホ紹介』(1967年)の中でしばしばライクの著書を参照している。空想や待機、処罰による快の獲得、演劇性や説得性など、マゾヒズムが持つ多様な側面を浮き彫りにしている。

 また、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』では、なぜドイツの人々が、自由かつ自発的に、抑圧的・権威主義的な独裁体制を支持するようになったのか、という問題を扱いながら、人間には自由を求める欲望がありながら、服従を求める欲求も同時に存在するのではないか、という仮説を提唱した。自発的な服従というのは、マゾヒズムにも関連するテーマであるが、必ずしもそれはそのままマゾヒズムと結びつくわけではない。平野嘉彦『マゾッホという思想』で挙げられている、マゾッホが交わした三つの契約書や、彼の手紙における女性に対する説得的な姿勢などからわかるように、マゾヒズムにおいては主従関係に先立って、マゾ的な空想と、それに基づいた契約が存在している。そして、マゾッホにおいては、彼は実生活上で、自らの作品世界をなぞるかのように、『毛皮を着たヴィーナス』の重要人物ワンダと同じ名前を名乗る女性と、マゾヒスティックな契約関係を結んだり、作中の人物の行動を真似るようにしてフィレンツェへ旅立ったりしている。あるいはフロムの提唱する服従の心理をより掘り下げたものとして、ミルグラムのアイヒマン実験やその著書について調べてみるのも有益かもしれない。

 また、上に挙げた著作は主に、マゾヒズムを精神医学の立場から分析するものであるが、それではマゾヒズムを何よりもまず治療の対象として眼差すことになり、治療のためにマゾヒズムの起源や、原因を遡求していくものが多い。一方で、ジョン・K・ノイズの『マゾヒズムの発明』は、社会構成主義的な立場から書かれており、なぜ近代という時代の中でマゾヒズムは「発明」されるに至ったのかを考察している労作である。また、社会学的な立場からのマゾヒズム研究として、性的遊戯としてのSMプレイを実践する人々に対するフィールドワークをもとに書かれたMartin S. Weinberg, Colin J. Williams and Charles Moserの”The Social Constituents of Sadomasochism"という論文がある。この論文では、フィールドワークや当事者へのインタビューを通じて、SMプレイに通底する5つの特徴が挙げられており、興味深い。
また、この論文においては、苦痛が果たす役割は主従関係を際立たせ、強調することであるが、ドゥルーズにおいては、苦痛がその後の快楽を享受することを可能にする条件であるとされている。両者は、マゾヒストが苦痛それ自体を快とするものではないとする点においては一致しているが、苦痛の役割や、その活用法という点では異なっているように思われる。マゾヒストにおいて苦痛はどのようにして経験されているのか、どのようにして快と結びつきうるのか、という点についてもっと調べてみたい。

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