日記、考え癖の欠如

夢を見た。二度寝、若しくは三度寝の最中の夢だったので、短かった。

誰か(或いは自分?)が手にしているクシャクシャのレシートのようなもの(視点は別の人間からのものだったが、レシートを手にした彼の行動は僕の意思で動いた)。それを広げると(内容が気になる、と僕が意識した時点で登場人物の彼が行動してくれた)、ポイントの欄が目に付いた。

「新規ポイント 200」

それまでに持っていたポイントと比較しても、それなりに大きい額の取引を示していることが伺えた。
話を聞くと(実際に会話したのか、それとも彼は僕自身で、会話などなかったのかはよく覚えていない)、葬式の際に獲得したポイントであるらしい。ある芸人のコントに出てくるような世界線だな、と思ったところで目が覚めた。身内が亡くなった、という知らせは未だ無い。

真っ先にTwitterを開くと(僕の友人達は深夜が大好きなので、早朝にタイムラインを追ったほうが効率的なのだ、ということにしておく)、尊敬してやまない友人の文章に出会えた。綺麗で、読みやすくて、彼の友人の魅力を余すところなくつたえている素敵な文章だった。

普段思うことや経験したことを記せるようになる、或いは効率よく行動する、自分の行動に責任を持つ上で必要なことは、まず「自分の行動を中規模のスパン(これは僕の認識で、他の人にとってはもっと短く感じられるのかもしれない)で意識して、その影響や結果を考慮した上で実行に移す」ことなのではないか、と思い始めた。というか、ここ数年間で他人には当たり前のこの意識を、自分は持たず、場当たり的な行動だけで何とか生きてきていた、ということに最近気付いた。

気を抜くとその状況に没入してしまう、というのはよくある事だと思うが、自分はそもそも「気を抜いている」ということにすら気付けずに行動し、日々を送ってきたのだ。社会生活に苦労しているので、一種の病気と看做してもよいだろう。

この感覚を表現することは少しばかり難儀なので、別の機会に記したいが、中学二年生くらいからこの『没入感』には悩まされてきた(あの頃には辛うじてその「自覚」はあった気がする)。

日記の習慣から「考え癖」を後天的に獲得することは可能だろうか。原因と結果の逆転。

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