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私的日記:表現

ご無沙汰しています、小宮です。
最近はどうも、作品として写真を放つにも、予期しない受け手の気持ちを配慮しなければならないような気がしたりで、なんだか窮屈な世界だなーと首をひねったりです。強い心、嘘のない気持ちを大事にしたいと思います。

さて、今日はそんな自分に関連した話を書いておきます。

…何か外に出したい、というフラストレーションが、積もっているこの頃。
創作的なことをしたい、というよりも身体全体で表現したいなあ、というのが最近の感覚です。
また少し、身体を動かしたり、いろいろ、やっていきたいと思っています。
(早速、久々にスタジオを予約しました。)

これまた、思っていることを表現するってのは、結構労力がかかりますよね。
冒頭の通り、自分の知らぬところで予想外な受け止められ方をしたりすることもありますし、人生失敗の連続…。読んでくださっているあなたも、きっとご経験あるかと思います、きっと。

仕事だったらね、相談援助の中であれば、その辺はある程度割り切るわけですけれども。
(バイスティック7原則、「統制された情緒的関与」を想起します。)

相手に伝えるというのは、その先には相手が受け取り、相手が感じるという「結果」がある…その結果を逆算(または想定)をして私たちは言葉を放ったり表情を変えたりしているんですものね。同じ表現をしたとしても、それは相手の心情で何通りにもなります。

でも、そのすべてを深読みしすぎたり、気遣いしすぎても、難しいもんで。
そうしているうちに、自分を見せない選択になりがちになることもあるでしょう。
(本音を言わない、自分を知らせないのが防衛、というのも大変必要な「要素」ではあります。)

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人は、嫉妬、妬みの多い生き物。私だって、嫉妬しますし、他人の表現に対して嫌悪感を抱くことは多々起こります(苦笑)。
主観的に考えれば、とにかく辛い苦しい依存状態、執着ですし、なるべく持ちたくないなあと思います。それに、そのマイナス感情がさらに人へ悪さをすることも。周囲に嫉妬するということは、私自身が弱い証拠だなあと常々感じています…これもまた長年の課題。そう、自分はとてつもなく醜いという真実を認め、受け入れ、そして、外に出す前に処理をする、自分で面倒をみる、世話をする。それを心掛けたいです。

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他人には、程よく見せる。
そして思いっきり表現できる場所も確保。

でないと、バランスがうまく取れなかったりもします。
私の場合、その場所が写真だと思いたいのに、うまくいかず。
今一番の課題になっており、強い意志を持たなければならない部分だと、頭を抱えている最中です。

「アサーション」なんてのもありますが、自らの主張、伝えたいことをより気持ちよく伝えるような工夫をするためには、あれこれと慣れが必要だったりもしますよね。社会的な能力、というのもそれに該当するのでしょう。
…私はそのへん本当に苦手なもので、だから人付き合いは波長の合う数少ない人に限定されがちなのです。良くも悪くもです。


あらあら…久々に書いたら思いのほかごちゃごちゃになりました。
脳内で整理できていない証拠です。

ちなみにここまで書いておいて今更言い訳がましいですが、決してプライベートの交友関係で何か起きたわけではありません(笑)。むしろ、穏やかです。ただ、全く知らないところで、自分の思いもよらないことが発生したことについて、ウジウジしちゃっている、というのが正直な話。

強く!つよくなりたいです。偽りないんだから、自分は。
変に欲を持たず、フラットに、自分にだけは嘘をつかず、まっすぐな気持ちで表現していきたいと思います。時にはお高く留まってもいいんですよね、自分を保つ強さを。

乱文失礼いたしました。

KOMIYAMIYAKO

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