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【短編小説】5/25『アカシアの本』

 作業机の前の壁に貼られたカレンダーには、細かくビッシリと【締切】の予定が書かれている。
 空欄の日はなく、どの日も最低でも【一人分】の締切が設けられている。
 その締切日は、現世へ修行をしに降りた魂が、常世に戻って来る日。

 数多の魂の軌跡はすべて自動でアカシックレコードに記録される。その記録を抽出して編集・印刷し、製本するのが私の仕事。
 一冊一冊、その人の好みや特徴、歩んだ人生にちなんだ装丁を施す。
 その本を読むことができるのは一部の限られた存在のみ。
 たまに常世に戻る前に招待されたり迷い込んだりする人がいるが、極めて稀だ。
 私は生前も同じ職業に就いていた。というか、こちらでこの仕事をしていて、ふと地上が恋しくなり、地上にしかない技術と材料で物質としての本を作りたくなって、現世へ降りた。
 現世ではこちらの世界のことを忘れていたから天職だと思っていたけど、こちらの世界に戻ってそれまでの人生を振り返っていたときに過去世のことも思い出して、私も好きだなぁと苦笑したのだった。
 生きているときになんとなく、これが最後の人生なのではないか、と感じていた。実際に最後の現世修行のつもりで、その計画を思い出せるようにしていたので、その感覚は正解だった。
 だから、悔いのない人生を送れるように毎日しゃかりきに働いた。そのおかげで、こちらで働くだけでは得られなかった知識や技術を身に着けて戻ってくることができた。頑張ってくれてありがとう、私の身体。という気持ちでいっぱいだ。
 というわけで、私は今日も一人の人生を装丁している。
 カバーの材質や色味、タイトルを箔押しにするかエンボスにするか、フォントはなにを使うか……その人生を送った人がすぐに自分の本だとわかるように、その本が自分の人生を表現するにふさわしいと思ってもらえるように。
 その創意工夫は留まることを知らず、いくら作っても新たに手法が生まれてくる。なんとも奥が深い職業だ。
 にしても、いくら物質としての身体がなくて疲れないとはいえ、生きていたころと同じ感覚がある以上、たまには休養が欲しくなる。アウトプットばかりしているとインプットしたくなるような、あの感覚に似ている。
 そんなときは作業部屋を出て、雲の切れ間から現世を眺めたりする。ミニチュアのような街で人や車が行き来して、建物が出来て、消えて……。現世の風景はなんとも癒される。

 時間の流れからは外れた世界で作業していても、締切はある。なぜかある。装丁師が怠けないようにする制度なんじゃないかと、私は勝手に推測している。
 締切翌日には【アカシアの図書館】に納本する“係の人”がやってきて、本を大事そうに抱えて運んでくれる。運ばれた本は専門機関で確認および審査され、認定された本だけが棚に収められる。
 認定されなかったって話を聞いたことはないけど……第三者に確認してもらったほうが安心だから、その制度はありがたい。
 一度功績を認められ図書館に招待してもらったことがあるが、その光景は圧巻だった。ここにある本の何分の一かを自分が装丁したのだ、と感動すら覚えた。
 装丁師は私のほかにも存在していて、それぞれで担当するエリアが決まっている。
 現世で分けられた【国】とか【地域】とかではなく、ある法則に従って区分けされているのだけど、詳しいルールは私たち装丁師も知らされていない。
 目の前のカレンダーに【締切】が自動で書かれるから、それに間に合うようにデータを抽出して製本するだけ。
 たまに早まったり遅くなったりするから、なるべく先んじてできる作業は終わらせておくようにしてる。
 現世でもその締切感覚は重宝された。
 現世で作っていたのは創作物だったり自叙伝だったり、大切にしていたけれどボロボロになってしまった本の修復だったりで、いま作っている本とは内容が違うけれど、作業の重みは同じだった。
 誇りに思うこの仕事のために人生を、魂をささげようと誓った。間違いはなかったと思っている。なにせこれが、私の【天職】なのだから。

 さて、現世に癒してもらったし、次の人の人生を彩るために、ささやかながら尽力しよう。

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