【短編小説】7/18『その人は音楽と共に』
来た。
“その人”が近くに来るとすぐにわかる。香りとかオーラとかそういうのを察知しているのではなく、音楽が聞こえるから。
その現象は私と彼の間でだけ起きているよう。私以外にその音楽は聞こえてなくて、私もその人以外から音楽は聞こえない。
メロディにはいくつかのパターンがあって、どうやら本人の喜怒哀楽に紐付いているらしい。
なぜそんなことに気づいたかというと、私がその人のことを気にかけ、よく見ているから。
……はい。そうです。片想いしてます。
だから彼の“音楽”が聞こえてくると、ドキドキとソワソワが入り混じって心臓が騒がしく踊る。
でも外見では平静と冷静を装って対応する。
「いらっしゃいませ」
私の声かけに彼は小さく会釈してくれる。
私にだけ聞こえる音楽が、少し軽快なリズムに変わる。
そのリズムはやがて、店内BGMに紛れてしまう。
耳に実際聞こえてるわけじゃないのに、距離に応じて音量が変わるのなんでなんだろ。
不思議だけど、そのメカニズムを解析できるほどの知識はない。
彼は私がバイトするコンビニの常連さん。来る日時は決まってなくて、だからいつ会えるかわからない。ルーティンが決まっていればシフト希望もそれに合わせられるけど、法則がないから会えるかどうかは運次第。
そういえば、彼から音楽が聴こえてくるようになったのはいつからだろう。
最初からじゃなかった気がするけど、覚えていない。私が彼を気にし始めたのは、彼から音楽が聴こえてくることに気づいてから、だから。
そうか。だったら最初は聴こえてなかったってことだ。
だから彼のことは、つい最近まで意識してなかった。
いや、ちょっとは【かっこいいな】とか【優しそうだな】とか【イケボだな】とか思ってたけどさ? でもホントに【ちょっといいな】って思ってただけなんだ。ホントにちょっとだけ。
いつからか彼から音楽が聞こえてきて、その気持ちのいい音楽が気になって、インストだから歌詞から探すこともできなくて。同じ店で働いてるバンドマンさんに聞いてみたら、そんな音楽聞こえないよって言われて、知った。
自分にしか聞こえてないんだって。
その“特別”は、私のような恋愛経験少ない人をときめかすのに充分な理由だった。
ある日、彼が店内のコピー機を使っていた。そのあと缶コーヒーを買って退店。
店内清掃のとき、コピー機のガラス面を拭こうと蓋を開けて、彼が原稿を忘れていったことに気づいた。
追うにももう遅く、連絡先も知らなくてすぐに返せなかったその原稿は、メロディが書かれた五線譜だった。
良くないことと十分にわかってたけど気になって、その五線譜を写真に撮った。
自動演奏アプリに読み込ませて奏でてもらったら、その曲はいつも彼から聞こえるあの音楽だった。
頭の中で流れている旋律が、音になって私に届いているんだ。
不思議な現象だけど、本当なんだから仕方ない。
後日、レジカウンターで備品整理をしていたら彼がやってきた。
「あの」
「はい」
「こないだ、コピー機使ったとき原稿を忘れていったみたいなんですけど、届いてますか?」
「原稿の内容を教えていただけますか?」
知ってるけど、こちらから詳細は言えないルールがもどかしい。
「五線譜……楽譜です」
「ご来店日時を、おおまかでいいので覚えていらしたら……」
「えーっと、おととい? のお昼過ぎくらいです。あ」
彼が言って、肩に下げたバッグからクリアファイルを取り出した。
「これの、原本です」
「はい、ありがとうございます。少々お待ちください」
バックヤードで保管している拾得物の中から、五線譜が入ったクリアケースを取り出した。ケースは、楽譜が折り曲がらないように入れた私の私物。
「こちらですね」
「あぁ、そうです。よかったー」
ケースから出して、無事返却。
「ケース保管、ありがとうございます。力作だったんで汚れてたら悲しいなと思ってて」
「そうなんですね! お役に立ててなによりです」
自分の気遣いが無駄ではなかったことが嬉しくて、自分でも驚くくらい弾んだ声が出た。
音楽が一瞬止まって、いままでに聞いたことのないメロディに変わる。
弾むような、輝くような、そんなキラキラとした旋律。
「はい……。ま、また来ます」
彼が頭をさげて、慌ただしく退店していった。
耳に残るあのメロディは、なんだか心を弾ませた。
それから、彼の来店頻度が増えた、らしい。
授業や予定があるとき、私はバイトをお休みするからわかんないんだけど、同僚の子から、私がいないか聞かれた、と聞かされた。
顔を合わせるだけだったレジの時間に、会話が増えてきた。
私と喋っているときに流れるその楽しそうな音楽は、期待していいってこと? だといいな。
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