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【短編小説】3/18『環状線の霊獣』

 春眠暁を覚えず、とはよく言ったもので、春先って本当に眠たい。
 特にバスや電車なんかで座ったら、つい寝てしまう。走行中の規則正しい揺れがなんとも気持ちいいんだよなー。
 窓から入る日差しも曲者。首から肩が温まってなんとも心地いい。
 俺はいま、環状線の電車内で眠りの世界にいざなわれている。
 うとうとハッ……うとうとハッ……。を繰り返していたら、一瞬意識がなくなって、そしてパキッと目覚めた。
 電車の中には俺一人。いまどのあたりだろう。
 ドアの上に設置されている電光掲示板を確認するけど、なにも表示されていない。そんなことある?
 不思議に思いあたりを見回し、違和感に気づいた。
 窓の外には見慣れぬ景色。木々はブルーやパープルの葉を揺らし、空はピンクに染まる。規則正しくコトコト揺れる電車は、一体どこを走っているのだろうか……。
 前後にある別の車両へ移動するためのドアはどんなに力を込めても開かなくて、この車両から移動できない。
 なんだこの世界は、と振り返った先に動物がいた。
 長い鼻につぶらな瞳。茶色の身体に取って付けたような虎柄の四肢。尻尾は鞭のように空気を切って左右に動いている。
 図鑑でも見たことない謎の生き物は車内に点在する黒いなにかを鼻で器用に取り、その下にある口に運んでモグモグ。
 なにこの生き物。
 観察しようとしゃがんだら、ビクリと身体が跳ねた。その衝撃で起きる。
 いつの間にか増えていた乗客が、俺のことを見て忍び笑いしてる。
 おぉ、めっちゃ寝てた。寝てた? いや、起きてただろ。だってしっかり記憶あるもん。
 謎の生き物の正体が気になって、特徴をいくつか入力して検索したけど、該当するものが出ない。
 そういや悪そうななにか食べてたな。夢で食べるといえば……。思い浮かんだ生き物の名前を検索すると、それはすぐに出てきた。
【獏】
 実在するバクの写真と、空想のほうの獏がイラストいくつか表示される。数種類あるイラストのなかの一つが、さっきまで目の前にいた獏そのものだった。なんか黒いの食べてたけど、夢は食べられなかったなー、なんて思いながら視線を下げたら、目の先の床に獏がいた。
 ぎょっとしてるのは俺だけ。ということは、きっと俺にしか見えていない。
 獏の鼻先はなにかを掴んで引っ張っている。それは漫画の吹き出しみたいな形をしたスクリーン状のもの。その薄い幕の中に、踏切内に立ち往生しているトラックと電車の先頭車両が衝突する映像が映し出されていた。運転席に置かれた懐中時計の時刻は、いまから八分後。
 嘘でしょ、この電車、衝突するっての? えっ、非常停止ボタン押す? いや、でも実際にはなにもなかったら……そうこう悩んでいるうちに時間は迫ってくる。確かにこの先には踏切があって、交通量もまぁまぁ多い。このままじゃ大惨事になる。いやでも……!
 悩む俺を見た獏が目を細め、小さく息を吐いた。と思ったらその宙に浮かんでた事故のイメージを食べた。湯葉のようにちゅるんと吸い込んで、モグモグごくり。
 次の瞬間、近くに座っていた妊婦さんが「う、産まれる……!」とお腹をおさえた。隣にいた旦那さんが慌ててスマホを取り出す。
 停車駅までは少し距離があって、すぐには停まらない。同じ車両に乗り合わせていたギャル二人組が一瞬目を合わせてすぐに立ち上がり、緊急停止ボタンを押した。ゆるやかに電車が停まって、ボタン横に備え付けられている受話器で女子高生が乗務員に譲許説明をする。
 停車後ほどなくして、乗務員がやってきた。
「本来でしたら近くの駅に向かうのですが、別途緊急停止が必要との報告がありました。車両を手配なされているとお聞きしましたので、ここでドアを開けます」
 手動でドアを開け、夫婦は乗務員に付き添われて車外に出た。避難経路を辿って線路の外へ。タイミングよく到着したタクシーに乗って、夫婦は病院へ向かったようだ。
 乗務員が戻ってきてドアを手動で閉める。しかし電車は動かない。車内アナウンスによると、線路内の安全確認を行なっているとのこと。きっとトラックが立ち往生してるんだ。
 全身に走る鳥肌。
 足元には獏。
 獏はケプッと息を吐き、俺の膝めがけて飛んできた。
 いやさすがに重い! と身構えたら、着地する前に小さなぬいぐるみに変化して膝の上に転がった。ご丁寧に背中にボールチェーンが付いてて、バッグに付けられるようになってる。
 悩んだけど、空席に置いていたバッグに付けて一緒に行動することにした。
 命を助けてもらったお礼に、獏が食べるのに美味しいであろう夢を見るために、昼間ちゃんと行動して夜ちゃんと寝ようと決める。
 とはいえまだ電車は動かないから、もう少しだけ眠ろうかなってバッグを抱えてまぶたを閉じようとしたら、獏は呆れたように俺を見ていた。

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