【短編小説】7/23『魅力的な出会い』
その道を通るたびに腹が鳴る。
【う】の字が鰻の特徴的な幟が立つ店。換気扇から出てる匂いだけで白飯食えそう。
なんでトレーニングコースにあるかなー。いや、コース設定したの俺なんだけどさ。この匂いの誘惑に耐えられたら、精神力があがるんじゃないか、って。
実際に精神力は鍛えられ、大概の誘惑には打ち勝てるようになった。
こうして頭が回ってるうちはまだいいんだ。
試合前の極限状態になると、栄養が足らなくなってきてなにも考えられなくなる。その状態はけっこう地獄。
それでも、自分の夢を叶えるまでは耐えなければならない。
俺の夢――ボクシングで世界チャンピオンになって、そのファイトマネーで自分のジムを建てること。
その夢のためなら、このくらいのつらさ……。
あぁ、減量が終わって試合に勝ったら絶対に鰻食いにこよう。
目深に被ったフードの奥で歯を食い縛り、走るスピードをあげた。
来る日も来る日もトレーニングと減量の日々。俺ってなんてストイック。などと酔いしれる間もなく身体づくりは続く。
そうして挑んだ世界タイトル戦。相手は連戦防衛中の強豪国選手。
勝つ、勝つぞ、俺は勝つ。勝って無理な減量なんかしなくてもいい地位を奪取するんだ。
自分を鼓舞し、気合充分にリングへあがった。
結果から言うと、勝った。勝って、新チャンプになった。
試合内容はあまり覚えていない。とにかく無我夢中だった。
カッコ悪い、泥臭いと思われても勝ちたかった。その執念が、長年焦がれたベルトを俺にもたらした。
あとから試合の録画を見て、戦ってるのホントに俺? と思ったくらいの激戦だった。それまでのすべてを出したと言っても過言ではない。
巨額のファイトマネーを手にして、念願のボクシングジムを開業した。
優秀なスタッフも集まり、あとはオープン日を待つばかり。
投げ込みチラシやウェブ広告を出した。あまり得意ではないが、オファーを貰えたテレビ番組に出演し、宣伝させてもらった。
オープン後の体験会にはテレビを視て来てくれた人がたくさんいた。出といて良かった、クイズバラエティ。
大概はダイエット目的のおばさまがた。まれに俺のファンだと言ってくれる男性陣。ちらほらいる若い女性……の一人に目を奪われた。
どんぴしゃ好みの女の人。なにこれ運命? 世界王者になったご褒美?
ときめくなんていつ以来だろう。ボクシングを始めてからは記憶にない。
彼女がいたこともあったけどどの人にも短期間でフラれたし、プロになってからは恋愛する余裕がなくて断り続けてきた。
聞けばその女性も、テレビ番組の告知を見て参加してくれたらしい。出といて良かったー!
体験入会だから今日しか参加しないかもしれないけど、初対面で誘われても怖いだけだろうしと悩んでいたら、なにも発展しないまま終わった。
その後、彼女は予約なしでふらりと現れるビジター会員になった。
ビジター会員はジムを利用できる時間帯が限られているから、その時間帯に出勤すれば会える確率が高くなる。
だからなるべくその時間はジムにいるようにした。
「あ。丹羽さん」
「戸上コーチ、こんばんは」
「こんばんは。よく、お会いしますね」
「そうですね。……いつもいらっしゃるのかと」
「毎日はいないですね」
「そうなんですね」
「えぇ。今日も、前回と同じ内容でいいですか?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ準備終わったら、始めましょう」
断るスキを与えず半ば強引に担当する。事情を知っている従業者たちは、俺の態度をニヤニヤしながら見ている。
飲みの席はその話題で持ちきりだ。
「もういい加減告っちゃえばいいのに」
「お客さんだし」
「丹羽さんだって、まんざらでもないのでは?」
「優しい人だから、嫌な顔しないだけだよ」
俺の意見は無視して、どんどん酒を注いでくる。その結果ベロベロになって……。
「今度の試合、誘う。そんで、勝ったらプロポーズする!」
周りに乗せられ、拳をあげた。
目が覚めた。二日酔いで頭痛い。
ぐったりしつつジムで事務処理をしていたら、トレーナー陣がニヤニヤしながらやってきた。
「これ、覚えてます?」
見せられた動画は、俺のプロポーズ宣言。
「え、なにこれ」
「戸上さんよく“男に二言はない”って言いますけど、これはー?」
トレーナーにまんまと乗せられ、試合に勝利したのち、付き合ってもないのにプロポーズした。
「ごめん、断りづらい環境でこんな」
「いえ、一生の思い出になりました」
「終わったみたいに言わないで」
「あ、え、そういうつもりでは」
慌てる彼女に、愛しさが募る。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
試合後にこんなに癒されるなんて……。
彼女はきっと、俺の勝利の女神だ。
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