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【短編小説】7/21『高台の神さま』

 大きな公園の敷地内で空いているベンチを見つけ、座る。
 広がる青空、爽やかな風、程よい日差し。今日も心地いい。
 イソイソと出したフルーツカップの蓋を取る。公園内にある神社へお供えしたおさがりだ。
 ご神気を入れてもらえたから、食べると身体の中から力が湧いてくる感じ。最近落ち込みがちだったからありがたい。
 ベンチの隣、空いたスペースに座っているのは、フルーツにご神気を入れてくださったタヌキの神様。
 足をプラプラさせて座る姿がとってもキュート。
 でも周りの人には見えてない。
 見えるのは、私が修行を頑張った成果……だと思ってる。
 もともと見えるほうだったけど、それはお化けとか幽霊とかの類で、子供のころはその能力が嫌で仕方なかった。単純に怖かったし、普通の人とは違うものが見えるからって周りの人には不審がられていた。
 普通の人には見えないものが見えるだなんて嘘をついてるんじゃないか、と言われたこともあった。
 子供のころにしか見えない、幻覚のようなものなんじゃないかとも言われていた。けれど結局、歳を重ねたくらいでその“幻覚”が消えることはなかった。
 嫌で嫌で仕方なくて、あるとき神社へお願いしに行ったことがある。
 この能力を、消してください。
 その日の夜、不思議な夢を見た。光っているのに眩しくなくて、とてつもなく優しい存在が私の頭を撫でてくれてる。声は聞こえないけど、伝えたいことはなんとなくわかる。

 幽霊ばかりを意識するのではなくて、神仏に意識を向けてみなさい。

 目が覚めて、部屋の中は眠る前と一緒で。でもなんとなく、意識が変わっていた。
 いままでつい見てしまっていた暗がりや、打ち捨てられた物に視線を向けないよう意識した。幽霊が見えてもなにもできないから、見るのはやめようと決めた。
 力の使い方を、私はきっと間違ってた。だからこれからは、光の存在に目を向けようって。
 学校帰りに、昨日お願い事をした神社へ行った。
 夢を見て、その中で意識を変えなさいと教えてもらったこと。その夢のおかげで見る物が変化したこと。そして、これからは神様や仏様の姿が見たいと思っていること。
 心の中で全てを話したら、辺りが急に明るくなった。木陰にいたのに明るくて、眩しくないけど暖かくて。
 その光はすぐに消えてしまったけど、きっと私の考えを応援してくれたんだと感じた。
 それから、細心の注意を払い、無理なくできる範囲で【修行】を始めた。
 時間が合う時は大好きな神社数社でお願いをした。
 神様や仏様のお姿が見えるようになりますように。
 そのお願いをすると、決まって【不思議な現象】が起こった。
 神社の敷地一帯が創建されたと思しき時代の風景に見えたり、社殿の千木からパワーが放出されているのが見えたり。
 そんな体験をしつつ地道に修行を続けていたら、あるとき神仏の姿が見えはじめた。会話はまだ断片的にしかできないけれど、【ひらめき】に似た形で質問の答えや悩み事の解決方法を教えてもらえるようにもなった。
 お姿が見えるだけでも嬉しくて、一方的に近況を話して聞いてもらったりして、大好きな神社、仏閣が増えた。タヌキの神様が祀られているのも、その内の一社。
 大きな公園内にある神社で、拝観料を納めれば誰でも透塀の内側に入れる。煌びやかな社殿や凝った作りの塀、大きなご神木などがある敷地の一画にある境内社に、その神様はいらっしゃる。
 境内社は入口から本殿へ行く順路の間にあるから、まず主祭神にご挨拶。それから境内社へ戻る。今日のお供えは、季節ごとに内容が違うけど、お好みの果物は入っているかしらと悩みつつ購入したコンビニのカップフルーツ。
 お供え物を置けるスペースに蓋を開けて置き二礼二拍手して祝詞を唱えると、タヌキの神様がお姿を見せてくれた。いつ見てもキュートでエヘエヘしちゃう。
 前回祈願したことを叶えていただいたお礼を伝えて、次の参拝者が来るまで世間話を聞いてもらい、ご神木の前にあつらえられた癒しの休憩スペースで少しのんびりしてから神社をあとにする。
 今日のフルーツ、柑橘系多かったけど酸っぱくなかったかな? ってちょっと心配になって、公園内のベンチで食べることにした。タヌキの神様は優しくて、たまにだけど公園内を一緒に散歩してくださる。今日もベンチの隣に座ってくれた。
 心配していたフルーツは甘くて瑞々しくて美味しかった。
(甘いですね! お好みの味だといいんですけど)
 心の中で語りかけたら、タヌキの神様はニコニコしてうなずいてくれた。
 子供の頃、怖い存在に困らされていたのが嘘みたいだ。
 言葉のキャッチはまだできないけど、修行を続けてたらきっと会話もできるようになるはず。
 生きてる内に実現できるよう、また明日からも精進しよう。

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