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【短編小説】7/30『妻の休暇』

 育児を一段落させた妻が“母”と“妻”を休止すると言い出した。離婚でも切り出されるのかと思って身構えていたら、小さい頃からの夢に再チャレンジしたいのだという。
 俺も転職のときかなり応援してもらっていまは成功しているから、今度は俺が妻を応援したいと思った。
 妻の夢、漫画家。
 子育てエッセイとか描くのかな? って思ってたら、劇画調の本格推理漫画だった。
「え、意外」
「そう? イラストタッチのやつ描くの苦手なんだよね」
 ペンタブを器用に操作しながら妻が言う。
 うん、画風もなんだけど、推理物なのも意外だった。そういえば結婚前はよく謎解きイベントに行ってたっけ。
「なにか手伝えることある?」
「私がいままでしてきたこと、やってほしい」
「というと?」
「家事全般」
 自分も手が空いたり時間ができればやるけど、コンテストの締切が迫っているからしばらくは無理、とのこと。
「わかった、頑張ってみる」
 とは言ったものの、仕事との両立はなかなかハードだった。息子は手伝おうとしてもくれないし、娘は学校と趣味で忙しそう。
 ごはんなに、ごはんまだ攻撃に耐えかねて気づく。自分もその攻撃を妻に浴びせていたな、と。
 子供ができるまでは共働きで、子供が生まれてからは家事と育児につきっきり。仕事で疲れて帰ってきてるんだから部屋くらい綺麗にして、メシと風呂の用意も終わらせておいてくれよ、とか言ってた自分をぶん殴りたい。
 趣味を仕事にするな、という提言をよく聞くが、自分の場合は趣味を仕事にしたからここまでやってこれた感がある。
 妻は自分に適しているという理由で前職に就いたらしく、確かにバリバリ働いていたが、それはそれで大変だったようだ。
「趣味だったの? 漫画描くの」
 目と手を休めるためにお茶を飲んでいた妻に聞いた。
「いや、子供の頃からプロになりたいと思ってた」
 使命というか決定事項というか、とにかく何故か自分は漫画家になるんだ、と思って生きて来たらしい。子供の頃もプロになるための下準備として、ノートに何作も漫画を描いたりネームを切ったりネタ帳を作ったりしていたという。
 いまの作風は高校生の頃に培ったものだそうで、もっと子供の頃はラブストーリーなんかを描いていたという。
「でもなんか、性に合わなくて……そもそもそういう漫画は家になかったし」
「いまの絵は誰の影響?」
「父さんが好きで集めてた漫画の作者さんが劇画界の大御所でね。その人が描く線がステキだったんだよね~」
 妻はウットリと言って、ネットで検索したその漫画家の絵を見せてくれた。
 繊細で緻密な絵は、確かに見る者の心を動かす。
「到底及びませんけどね」
「いやいや」
 絵心が全くない自分には、見ていても違和感なく楽しめる絵が描けるだけで尊敬に値する。
 妻はずっとプロになると思って漫画を描いていたのだけど、ご両親にせめて就職してくれと懇願されたという。
「いまならプロになるための学校とかもあるけど、当時なかったからさ。あっても通わせてもらえなかったと思うけど」
 妻のご両親は公務員で、真面目でお堅い印象。てきとーに楽しく生きてきた俺とは大違い。
 妻の実家に里帰りするときは、いつでも緊張する。
「仕事も楽しかったけど、やっぱりこの道に進めないで人生を終えるのは嫌だなって思って」
「わかる。やり残すことはないに越したことはない。無理して倒れるのを回避してくれればいいから、頑張って」
「ありがと」
 プロデビューも、ヒット作を生み出すのも狭き門だろうけど、妻を全力で応援したいから、俺は今日も家事に勤しむ。
 いい機会だから子供たちにも手伝ってもらって、俺みたいに一人暮らしするとき困らないようにしてもらおう。

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