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【短編小説】8/24『そうして、運命の扉が開いた。』

 洗面所に歯ブラシが二本、並んでいる。
 毎朝毎晩見るたびえへへってなる。ようやく一緒に住めるようになったんだなぁ、って。

 結婚して籍は入れたけどタイミングが合わずになかなか新居が決められず、しばらくの間“別居婚”状態になっていた私たち。周囲からは関係性が危ないんじゃないかとか偽装婚だったんじゃないかとか、いい加減な噂を流されていた。
 面白おかしく言いたいだけの人がたくさんいるんだなって実感した。
 ようやくお互いにまとまった休みが取れて内見できるようになって、引っ越すことができた。これで両親も安心してくれるだろう。

「やっとだねー」
「やっとだね。これで大手を振って一緒に外歩きできるね」
「ねー。発表までが長かったしなー」
「それは、ごめん。こっちの会社のアレだわ」
「いや、大丈夫。仕方ない。人気者の宿命だ」
「そう言ってもらえると助かる」
「人気下がったりしちゃうかな」
「うーん、下がったとしてもそれは、俺のチカラとか魅力が足りなかったってだけだからなー。結婚はそんなに関係ないんじゃないかな」
「そっか」
「女性からしたらどうなの? ファンだった人が結婚、っていうの」
「ファン……の度合いによるかな。リアコだったら当然ショックだしねぇ、失恋したわけだから」
「あぁ」
「普通に応援してるだけだったら、祝福できるんじゃないかな。可愛いカップルだなーとか、可愛い夫婦だなーってニヨニヨできるかもだし」
「そういうもん?」
「私はね。男性は?」
「俺がそもそもそういうのないからなぁ」
「住む世界が同じだから?」
「そう。入る前はあったけどね、知り合いになれたらなーとか。でもまぁ、結局ねぇ。そういうのは縁だから」
「そうかぁ」
「俺らだってさ、他業種だったわけじゃない。だけどほら、縁あって、ねぇ」
「縁ねぇ」
 お互い顔を見合わせて、ほろ苦く笑った。

 私たちの【縁】は、行き倒れていた彼を私が助けた、っていう、なかなか稀有なもの。
 その当時、グループ活動に行き詰まった彼は極度のプレッシャーから逃げるために、見知らぬ街に身を隠そうと思ったらしい。
 音楽番組のリハーサルを脱走したはいいけど、荷物はすべて楽屋に置いたまま。たまたまポケットに入ってたスマホの充電も尽き、道路に座り込んで途方にくれていたところに私が通りかかったとか。

「声かけてなかったらどうしてたの?」
「こっちから声かけようと思ってた」
「それは、逃げるなぁ」
「逃げるよねぇ……」
 私自身なんであの時、彼を部屋にあげたのかわからない。ただ、放っておけないなにかを感じたのは確かだ。
 一晩だけ寝泊まりした彼は、翌朝どこかに帰って行った。一番親しいメンバーに連絡を取って事情を説明し、事務所に詫びを入れて自宅に戻ったそう。
「結局、グループは解散しちゃったけどね」
「事情はよく知らないけど、自分の人生を尊重するのが一番大事だよ」
「多方面に色々迷惑かけたけどね……」
「騒動っていうか、めっちゃニュースになってたもんね」
「うん。大変だった」
 音楽性の違いだったりこれからの活動方針の違いだったり、色々あったらしい。
 グループ解散後、彼は事務所を移り、ソロ活動をすることになった。
 それまでは海外での仕事が多かったけど、新しい事務所と活動方針のすり合わせをして、国内の仕事を多くしてもらったそう。
「だって会いたかったし」
「押しかけ彼氏だもんね」
「やめてよそれ、カッコ悪いから」
「でもそれしてくれてなかったら、結婚してなかったから」
「そうだけど……」
 お別れしたあの日、もう会わないだろうと思っていた。もしまた再会しても、そしてお互いが恋心を抱いてたとしても、それは一時の、刷り込み現象なんだって思ってた。だけど、私たちは結婚した。
「やっぱり運命だったんだよ」
 彼は言う。
「僕らが出会うにはあの方法しかなくて、僕がこの家の場所を覚えてたのも、無事辿り着けたのも、全部運命」
「すっごい方向音痴だもんね……」
「地図が読めるようになるように努力はしてるよ」
 いまだにナビゲーションが示す方向とは逆方向に行っちゃうけど、それでもだいぶ改善してきたらしい。
「好きにならないようにしようって思ってたのになー」
「好きになってくれて良かった」
「うーん」
「幸せでしょ?」
 彼が私を背後から抱きしめる。
「……うん。明來(アクル)は?」
「幸せに決まってるじゃん」
「……じゃあいっか」
「いいよ。これからも二人で幸せになろう」
「うん」

 辛くて悲しくて起こした行動がのちの幸せに繋がるなんて、思ってもみなかった。
 私たちは洗面台に置かれた二本の歯ブラシのように、隣り合って並んで、いつまでも幸せに暮らしていくだろう。
 それが私たちの、運命、だから。

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