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【短編小説】2/28『透明な猫』

「エッセイ?」
 凡庸な会話劇のように、担当編集者に言われた言葉を繰り返してしまった。
「はい。読者の方々からのリクエストが多くて~」
 提案した割に曇り顔の彼。致し方ない。数十年の作家生活でプライベートな部分は出してない俺への依頼だ、断られると思ってるんだろう。
「編集長からも無理を承知で、という前提で話してこいと言われているので、ご無理でしたらご無理なさらず……」
「いや、そこまで頑なに無理ってほどでもないんですけど……」
「えっ! ほんとですか!」
「えぇ。でも別に、取り立てて書くことがあるような生き方してないんですよね……」
 そもそもが引きこもり。小説だって部屋の中にいるのが退屈になってきたけど外に出るのもおっくう、という状況下で浮かんだ妄想を文字に起こしたら、それを面白がってくれる人がいた、ってだけで……。
「“風”、ってのはどうでしょう」
「ふう?」
「エッセイ“風”です。先生の日常っぽい創作、というか」
「ウソつくことになりません?」
「それはちゃんと書くので、“風”って。ただたまに? ちょっと多めの割合で? 実際の生活風景なんかも織り込んでいただければ」
「あー、それなら普段やってる妄想と変わらないですね。……そんなんで商業レベルになるかなぁ」
「そこはぜひご相談させていただきたいです」
「あー、じゃあ……企画だけ作って、あとのご判断はそちらにお任せしても?」
「はい! もちろん!」
 うっかり色よい返事をしてしまったものの、家に帰るや後悔した。
 ホントに人に話せるような優雅だったり面白おかしいような生活してないんだよな。もし本決まりになったらどうしよう、と広くない家の中を歩きまわる。
 あーストレス。ペット可のマンションだったら良かったのになー。いい機会だし犬とか、猫とか……猫、欲しいなぁ。
 こう……こういうサイズで、こういう模様で、できればオスがいいかな。仲間欲しい。血統書とかなくていい。保護猫ちゃんを引き取って、そしたらあそこにご飯の場所、トイレはこっちで猫タワーは……って考えながら部屋をウロウロ。
 ネタ帳に間取りと配置を書き込んだら、完璧な猫と人間が共存するための生活動線ができた。
「これ、いいかも」
 配置表と同じページの隙間に、さっき考えてた猫のプロフィールを書き込む。絵は不得手だから、条件に当てはまる猫の画像を漁ってプリントアウトして貼り付けた。うん、だいぶイメージ固まってきた。ちょっと相談してみようかな、って考えてたら、担当編集者から連絡が来た。
【お疲れさまです。先ほどのお話を編集長にしたところ、エッセイ風連載、面白いって話になりました。なにか題材などございましたら、お手数ですがご連絡ください。】
 おーおー、あるよアイデア。なんて乗り気でネタ帳のスキャンデータとちょっとしたプロットを送ったらサクッと連載が決まってしまった。
 そうして、毎月一回訪れる締切のために原稿を書いた。書き続けた。自分の部屋に猫がいて、その猫と一緒に暮らしてるっていう、エッセイ風の創作を。
 書いているうちに、家の中に猫がいる気がしてきた。いや、いる。確実に。
 そこにはない猫タワーを登ってぶら下がっているおもちゃで遊び、腹が減ったとご飯をねだり、トイレに入って砂をかき、眠くなったら好きな場所で眠る。その音や気配がするのだ、現実に。
 いや、幻聴だよ、忙しいしさ、って気にしないようにしてたのに、ある日担当編集と電話で打ち合わせしてるときにとうとう言われた。
『あれ? ホントに猫ちゃん飼ったんですか?』
「え、いないけど……なんで?」
『いや、鳴き声が聞こえた気がして。あれぇ? いや、気のせいですね』
 そうだと思いたい。だってその声、俺にも聞こえた。電話してると耳元でニャーニャー鳴いて参加してくる、って書いた、その設定通り。
 どういうことだ。ホントにいるなら姿を見せてほしい。うちの猫なら絶対可愛いに決まってる。
 たまたま立ち寄った100円ショップでネズミ付きの釣り竿のおもちゃを見つけて、100円ならいいかと買ってみる。
 家に帰って荷物を片付けていたら、近くに暖かさを感じた。
「……遊ぶ?」
 袋の中からおもちゃを出して包装から出し、ホントの釣りのようにネズミを投げたら、その方向に音が動いた。猫がフローリングを走る音。
 見えない猫の動きに、何故だか胸が締め付けられる。
 しばらく遊んでいたら、急に音がやんだ。いなくなったのかと心配したら、違った。
 遊び疲れた“猫”は、おもむろに俺のあぐらの窪みにのしのし入ってきて、その場でくるくる回って寝ころんだ。足に温もりと喉を鳴らす振動を感じる。撫でると暖かく、毛並みがふわふわ。
 なんだよ、本当にいるなら、姿見せてよ……って思ったら、寂しくて、泣けてきた。

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