【短編小説】6/30『おやすみ、アインシュタイン。』
アルベルト・アインシュタインの脳は、彼の死後7時間半後に摘出され、46の切片にされた。
その脳は世界各国の脳学者のもとへ送られ研究素材とされたが、いまでは所在不明な切片もあるらしい。
そしてその内の1片が、いまここにある。
本物かどうかは定かじゃないけれど……試してみる価値はありそうだ。
私は目の前に置かれたマシンに、切片入りの試験管を設置した。うまくシナプスに接続できれば、この脳片に刻まれた記憶が再生されるはずだ。
マシンは様々な電気信号で脳へのアクセスを試みる。モニターには進行度が数値化され、表示されている。
徐々に増える数字と共に、心拍数があがる。
もしこの欠片が未発表の思考を持っていたとしたら、世紀の大発見になるのではないか。そんな期待が入り混じる。
モニターの数字が【100%】を示す。少しのちに、モニターに文字が表示された。
【創造力は知識よりも重要だ。知識には限界があるが、創造力は世界を覆う。】
これは……。
モニター上の文字が消え、新たな文字列が表示される。
【宇宙と人間の愚かさは無限大だ。宇宙については確かではないが。】
これはいわゆる、“アインシュタインが遺した名言”というやつではないか。
どうやらこの脳片は、【名言】を生み出すための言語野だったようだ。
こんな調べればわかるような内容を引き出すために、この装置を開発したわけではないのだが……。
モニターは脳片に刻まれた記憶を、一定時間毎に呼び起こす。
【創造力の秘密とは、その源を隠すことにある。】
【人生とは、自転車に乗っているようなもの。バランスを保つためには、走り続けなければならない。】
……うーん。そうじゃない。
もっとこう、彼の頭の中にだけあった理論なんかが知りたかったわけで……。こんな“名言bot”のようなことがしたいわけじゃないんだ。
本当にこの表示は脳の記憶を取り出しているのだろうか。他の脳片で確認してみたいが、あいにく持ち合わせがない。
一番手近にあるのは自分の脳。自分の記憶なら、表示された内容が本当かどうかの確認はとりやすいけど、肝心な自分が確認できる状況じゃなくなってしまうし、さすがに無理だ。
「はぁ……また研究しなおしかぁ……」
うなだれる私の目にうつったのは、彼が遺した“名言”のひとつだった。
【失敗したことのない人間というのは、挑戦をしたことのない人間である。】
そうだな。今回の研究が失敗だとしても、挑戦したことにかわりはないのだから、この経験をふまえて機能を進化させればいい。このマシンだって、こんなふうに気持ちを前向きにさせてくれるのだから、作った意味はあったんだ。
【私は未来のことを考えたことはない。すぐに現実になるからだ。】
【創造力の秘密とは、その源を隠すことにある。】
マシンは脳片から読みだした記憶をモニターに映す。
うん、いまはこれでいい。いずれまた、他の脳片が入手できたら試してみよう。それまでにもう少し研究を進めたい。
……毛髪や骨があっても電気信号は通るだろうか……。
自分の頭をわしづかみにする。
いやいや、リスクは冒したくない。動物実験なんてもってのほかだし……。食用の動物の脳が入手できれば……我が国では難しいか。
ふと見上げたモニターに、アインシュタインの名言が表示された。
【重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。】
いいこと言うな、アインシュタイン。
【真実とは、経験というテストの結果、得られるものである。】
一度、電気、通してみようかな……いやいや、きっとそういう意味の“経験”じゃないと思う。……そう思いたい。
【成功者になろうとしてはいけない。価値のある男になるべきだ。】
いや、そうなんだけどさ……あれ? いま名言と会話してない?
これはもしかしたら、別の角度からも研究すれば、理想に近づけるのではないだろうか。
なんだか少しだけ、目の前が開けた気がする。
いまは少し脳を休めて、また別の機会に再開しよう。
だからそれまで、あなたもおやすみ、アインシュタイン。
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