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【短編小説】11/21『もう触れられない指先』

 確かに、『あの中に入りたいなー』とは思った。でもそれは、『あの(人たちの輪の)中に入り(仲間になり)たいなー』って意味でさ、こういうんではないんだよ。

 テレビ画面の中から、私の上半身が出ている。目の前に、目を見開いて驚く男性。それを見て驚く私。
 男性はさっきまで私が見ていたドラマの主人公だ。
 男性にはきっと、私の姿があのホラー映画で有名な人のように見えてるだろう。さぞかし怖かろうなと気の毒に思っていたのに、そうではなかった。
「ひ、引っ張りますか? それとも押し戻しますか⁈」
「えっ? あっ、えーっと……どうしましょうか」
 予想外の質問にすぐ答えられない。
「えっと……」
 しばしの沈黙……に耐えられず笑ったのは彼だった。
「なんか、間抜けな会話しちゃいましたね」
「確かに」
 ふふっと笑う私は、まだ体の半分がテレビから出ている状態のまま。
 テレビに身体が引っかかっているとかそういう感じではなくて……でもやっぱ自力で出ることも戻ることもできない。

 何かが光った気がして画面に近づいた。
 もう何度見たかわからないその物語の映像で、いつもと違う光を見つけた気がした。
 気になって近づいて、手を伸ばしたら画面に吸い込まれた。
 薄い膜を破ったような感覚のあと、目の前に、テレビの中で生活をしていた架空の男性がいた。
 演じている俳優さんとも違う、その物語の中の人。
 この人に会いたくて、この人と親しくなりたくて、テレビの中に入りたいと焦がれた。
 でもいざその世界に介入したら、やはり私はこの世界にはいてはいけない存在なんだと実感した。
 肌で感じるというか、空気を察知するというか……やはり“住む世界が違う”のだ。
 周囲の空気が異物である私をピリピリと刺す。早くどけ、いなくなれって、無言の圧力をかけてくる。
 わかってるよ、この世界のこの人の物語(人生)に、私は要らないって。
 だから……押し戻してもらうことにした。

 腕まくりをする彼の傍らに、書きかけの原稿がある。この世界の彼は、いまはしがない小説家。
 もう少しあとに出版した作品が認められて、権威ある文学賞を受賞することになる。そうして彼は売れっ子になり、地位も名誉も手に入れるのだ。
 この物語が好きすぎてもう何度もリピートしているから知っている事実。でもこの時点での彼はそれを知らない。知ってはいけない。
 あの書きかけの原稿になにか影響があると、出版した本の内容が変わってしまうかもしれないから。
「あのっ……」
 押し戻される前に伝えておきたいことがあった。
「貴方が創り出す作品が好きです。大好きです。これからも、なにがあっても書き続けてください」
「……ありがとう」
 テレビから半分出てる間抜けな恰好の見知らぬ女の言葉に、彼は心底嬉しそうな笑顔を見せて、はにかんだ。
 泣きそうなくらい嬉しかった。

 彼に押してもらって、私は自分の世界に戻った。
 一時停止されたテレビ画面の中で、彼は原稿に向き合っていた。うん……元の画面だ。
 私なんかが入ってはいけない神聖な場所。だけど少しだけ、世界が重なった。それがとても嬉しかった。

 その後、何度見ても“あの光”は見つけられなかった。
 私がいた痕跡など一片もないあの世界に、私はいまも焦がれている。
 あのとき、引っ張ってもらっていたらどうなっていただろう。
 あちらの世界であのまま暮らせていただろうか。
 あの空気はいずれ、私を認めてくれていただろうか……。

 テレビの画面に触れる。
 ただの平面。
 ただの映像。
 あの出来事も夢だったのではないかと疑うくらい、遠い存在になってしまった。

 押してもらって元の世界に戻ったあと数秒間、こちらの世界を彼が見ていた。
 少し名残惜しそうだった手に触れたら、画面の向こうで彼が微笑んだ。
 サヨナラ、と動いた口と共にヒラヒラ振られた手は、そっと画面の向こうへ戻っていった。
 私はその手を見送るしかできなかった。戻ればもう、二度と触れられないとわかっていたのに。
 あの手の温もりは、確かにそこにあったのに……。

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