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【短編小説】3/19『夢見る獏』

 なんだか疲れた。
 帰宅してすぐ風呂に入ってサッパリしたところで、定位置に置いたバッグから昼間つけたばかりのキーホルダーを外す。
 手の中に収まる大きさのぬいぐるみは、架空の存在のほうの獏。キャラグッズとかじゃなくて、実際の獏が変化してる、はず。
 この獏に俺は命を救われた。だから無碍にはできなくて、ソファベッドの上に置いた。
「さて……」
 夜メシを食うためにテレビを点けて、帰りに寄ったスーパーで買った冷凍食品をレンジにかける。
 時間はちょうど夕方のニュースも終盤のころ。昼間見た光景が、少し違う角度からテレビに映し出されている。
 またなにか未来の光景が見えてるのかと思ったら、画面の端に【視聴者提供】との表示。あぁ、あの車両の中で誰か撮影してたのね。
 ご時世にあわせて全員の顔にボカシがかけられている。もちろん俺にも。
 床に確実にいた獏の姿はない。
 ニュースの題材としては、妊婦の危機を勇敢な行動で助けた女子高生たちと、停車していなかったら大規模災害に発展していたかもしれない状況を回避した奇跡、という扱われかた。赤ちゃんは無事産まれ、母子共に健康だそう。
 速報を読み終えたメインキャスターは、女子高生たちは妊婦とお腹の赤ちゃんだけじゃなく、その電車に居合わせた乗客の命も助けた、と称賛していた。
 確かにそうだ。彼女たちがあのときSOSボタンを押してなかったら、電車はトラックと衝突していた。
 それが見えていたのに行動できなかった俺とは雲泥の差。もちろん泥は俺だ。
 獏に未来を見せる能力があるなんて聞いたことないけどなー。 
 獏の言い伝えなんかをスマホで調べつつ温め終えたチャーハンを取り出し「あちちち」テレビの前の座卓まで……「わ」
 いつも使ってる低反発座布団の上に、獏が座っていた。ぬいぐるみから元の姿に戻ったらしい。
「お前もご飯食べる?」
 声に反応してこちらを見るけど、特に頷いたりはしない。
「やっぱ夢? 獏が食べるっていうと」
 でも確認してみたくて、実家から送られてきたリンゴを皿に乗せてテーブルに置いた。
 象の鼻を使ってリンゴの匂いを嗅いでいる獏の横に陣取って床に座る。
「いただきまーす」
 手を合わせてチャーハンを食う俺。嗅ぎはするけどリンゴは食べない獏。
「腹一杯か。たくさん食べたもんな、夢」
 っていうか、でかいのか、リンゴ。
 気づいて、ほとんど使ったことのない包丁とまな板を持ってきてリンゴを切った。不器用ながらにまぁまぁまぁ。
「はい」
 手に持ったリンゴを差し出してみたけど、香りを楽しむだけで食べはしなかった。そのまま自分の口に運ぶ。うん、甘い。
 獏は座布団の上で猫のように前脚を内側に入れて座り直した。
 実体あるよね?
 気になってちょっと試しに指先で虎の手を触ってみる。
 モフフワの感触。犬とか猫とかこんな感じかな?
 ぬいぐるみのときの触り心地にも似てるような。
 バラエティ番組を視ながら夕メシを食べ終え、食器を洗う。獏は部屋の中を探索するようにウロウロ。
 昼間電車の中で眠ったからか、夜になってもあんまり眠くない。獏が枕元に座ってるけど、これって夢待ちかな。なんにせよ、猫みたいで可愛い。
 結局寝たのは明け方で、身体に悪い感じすごい。
 夢を見ないと獏の食べるものがないってのも気になるし。腹が減るという感覚があるのかはわからないけど、それが原因で消えちゃったら悲しいし。
 昼過ぎに起きると獏はまだ枕元に座ってた。
「夢喰えた?」
 聞くけど獏は答えない。
 もうずっとこんな感じでいるのかな?
 ペット禁止のマンションだから正直ちょっと嬉しい。
 たっぷり貯金してから仕事を辞めて以来、なにもせずにただのんびりしてたけど、昼間は獏と一緒に散歩するようになった。元の姿は誰にも見えてないのに、ぬいぐるみになると見えるみたいで、たまに子供に指さされて羨ましがられる。ごめんな、非売品なんだわ。
 昼間動いて夜眠るようになったら、夢を見るようになった。覚えてるけどちゃんと喰えてるのかな? って心配したけど獏は元気そう。たまにケプッてしてるから満腹になってるんだろう。
 悪夢は覚えてなくて目覚めはいいし、獏は可愛い。
 食事やトイレが必要ないだけで、あとは犬や猫みたい。
 いまはすっかり定位置になった低反発座布団の上で眠ってる。たまに手足をバタバタかいたり耳や顔をピクピクさせたり。なんか具合悪いのか心配して犬猫の同じ症状を検索してみたら、どうやら夢を見ているらしい。
 獏も夢見るんだ。どんな夢見てるんだろう。獏にとって幸せで楽しい夢だといいな。
 そっと撫でたら、落ち着いたように手脚を伸ばし、寝息を立てた。

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