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【短編小説】10/30『幸運は甘い香りに乗って』

 いつのころからか覚えてないが、気づいたときにはその現象が身近にあった。
 他の人たちも同じ経験をしているものだと思っていたけど、どうやらそうじゃないらしい。
 人とは違うと気づいたのは、だいぶ大人になってから。
 その現象は【いいことがある前触れに、どこからか甘い香りがする】というもの。
 果物のような生花のような、あとから思い出せないけれど、とても甘く芳醇な香りということは覚えてる。その香りを感じたあと、経過時間はまちまちだけれど幸運と思えることが舞い込む。
 その種類は様々だけど、幸福度があがることに違いはない。
 今日もどこからか甘い香りが漂ってきた。周囲の人は感じていない、いつもの芳醇な香り。
 あぁ、またなにか幸運が訪れるのだな、と嬉しい気持ちで待っていたけれど、これだ、と感じる幸運がやってこない。不幸なわけじゃなく、いつもみたいな【わかりやすい幸運】がない。
 その後も度々甘い香りを感じるけれど、やっぱり【いつもの幸運】が訪れないのだ。
 香りの恩恵はもう受けられないのだろうか……。いや、それが一般的な普通のことなのだから、なくても当たり前なのかもしれない。けれど……寂しいな。
 ふと気になって、甘い香りを感じた時の状況をメモに書き留めることにした。そうして見つけたひとつの共通点。
 あの香りがするとき、必ずいる人の存在。
 家の近所でたまに会う、よく犬の散歩をしている女性。その人と遭遇するとき、決まってあの香りがする。香水などと間違えるはずのない、あの芳醇な幸運の香りが。
 あの女性が俺にとっての幸運……? だとしても、一方的に見かけて一方的に覚えてるってだけで面識もないし……どうやって確認すべきだろう。
 考えながら道端に設置された自販機で水を買っていたら、遠くから「まってぇ〜〜〜!」と女性の声が聞こえた。
 何事かと思って振り向いたら、白くてフサフサででっかい犬がこちらに駆けてきた。
 リードを空中にたなびかせているから、不意に手からすり抜けるかしたのだろう。
 咄嗟に浮かんだのは、ネットで見た漫画の一コマだった。
「ふぅわっふぅ〜♪」
 楽しそうな裏声を出し、その場で踊ってみた。そしたら脱走中の大型犬は何事⁈ とばかりにこちらを見て、楽しそうな笑顔で僕と一緒にはしゃいでくれた。
 ヘイヘーイ♪ と楽し気に踊りつつゆっくり腰を落として、地面を踊るリードを掴み、輪っかの部分に手を通した。腕がちぎれても離さないという気迫が伝わったのか、大型犬はワフワフ呼吸をしながら僕を見つめる。
「おすわり」
 目を見て言ったら、犬はその場に座ってくれた。見ず知らずの僕の言うことを聞いてくれるくらい人懐っこい犬で良かった。
 息を切らせてヨロヨロと近づいてきた飼い主と共に漂ってきた甘い香り。
「あ」
 犬の飼い主はあの女性だった。
「すみ、すみま、せん。あ、ありがと、ございます……!」
「ちょっと落ち着きませんか。ベンチ、公園内にあるので」
「あ、ありが……」
 息を切らしながら頭を下げる女性と一緒に、近くの公園に入る。大型犬は力が強く、男の俺でも引っ張られるくらい。こんな華奢な女性がよく一人で散歩していたものだと感心する。
「これ、開けてないので良ければ」
 買ったばかりのミネラルウォーターを女性に渡す。
「なにからなにまですみません……」
 開栓し、勢いよく水を飲む女性にちょっとときめいた。
 多分、幸運の甘い香りの効果もあるんだろうけど……なんだかとても魅力的に見える。
「届いたメールを確認しようと思って、ちょっと油断してしまって」
 あぁ、片手じゃこいつは無理だわ。
「不注意でご迷惑をおかけして、すみません」
 いえいえ。俺も貴女に興味を持っていたので、という意味をこめて首を振るけど当然伝わってはいない。
「ちょっといま、現金持っていなくて……」
「あぁいいですよ、水くらい。もらってください」
「ありがとうございます……。では、これで……」
 リードを渡そうとして気づく。
「手首……」
「え? やだ、擦り剝けてる」
「ご迷惑でなければ、散歩コース一緒に回ります」
「いえ、でも」
「また逃げちゃったら心配ですし、同じ手に二度かかるかわからないので」
「確かに……すみません、お願いします……」
 やったぜ、と心の中で喜んで、リードを持って散歩に御供することにした。
 散歩コースを歩きながら色々話をして、彼女の情報を獲得した。
 それとなく連絡先を交換して、たまに一緒に犬の散歩をするようになった。

 彼女といるといつでも幸せで、甘い香りがして、そのうちに嗅覚が慣れたのか幸運の甘い香りを感じなくなっていた。それにすら気づかなかったくらい、彼女と一緒にいる時間が幸せだ。

 幸運の甘い香りは風に乗って、きっとどこまでも……。

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