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【短編小説】4/24『不思議の樹の街』(リメイク版)

 小型端末機で調べられぬものはないこの世の中でただひとつ、街の中心にある大樹のことだけがわからなかった。
 かつて知ることが出来なかった“死後の世界”のことさえつぶさにわかるというのに。
 図鑑にも学術書にも、森羅万象の検索結果にすら書かれていないその樹のことを、私たちはこう呼んだ。

“不思議の樹”

 ある日の夕暮れ、樹のそばを通りかかると誰かに呼ばれたような気がした。辺りを見回すが誰もいない。普段ならある程度の人通りがある時間なのに、と不思議に思いつつその場を離れようとしたとき、もう一度声が聞こえた。
 見上げると、不思議の樹が夕焼けに照らされ穏やかに光っている。普段は鉄柵で囲われている樹の根元に足を踏み入れようとした刹那――呑まれた。
 樹に、身体を、丸ごと。
 方向もわからぬ暗い空間。しかし不安な気持ちは一切なく、むしろ居心地が良い。
 背後で幾多の音が聞こえ振り向くと、そこには歴史書で見た“かつての街並み”が広がっていた。
 樹の足元や胴体、腕によじ登り遊ぶ子供たち。登るのに苦労している子がいれば手助けしてやり、落ちそうな子がいれば安全を確保する。
 樹には自我があり、意思があった。
 樹を慕い集った人間たちを樹は暖かく迎え入れた。
 樹の周辺にできた集落は村へ、村から街へと発展を遂げる。
 誰もが樹を愛しみ、尊重し、保護し、そして人々は樹に育てられていた。
 樹は人間や動物たちと友好な関係を築き、程よい距離感で共存をしていたのだ。
 年月が経ち、子が親へ、親が祖へとなる頃、その街の権力者が欲に溺れた。
『あの樹を切って材木にしよう。それを使って伐採後の土地に家を建て、賃料を得る。そうすれば、財力と共に街はもっと繁栄する。この街を、都市にするのだ』
 主張に反対する人々の意見を聞こうともせず、その権力者は欲望を実現しようとした。
 重機を用いて樹に刃を向ける。しかし、生い茂った細かな枝葉が操縦者の視界を遮り、侵略を阻んだ。何度試みても同じことが起こり、操縦者は気味悪がって役目を放棄した。
 怒りに震えた権力者は自ら重機に乗り込み、粗雑にレバーを押し引きして車体から伸びたアームを樹に振り下ろそうとする。しかしそれは実行されなかった。
 できなかった。
 権力者が胸を押さえ、操縦席で倒れたのだ。
 病院に運ばれ処置を受けた結果命に別状はなかったが、それ以降、樹を伐る計画が実行されることはなかった。
 権力者は元々心臓を患っており、急激な興奮状態が原因で発作を起こしたのだが、それを知らない住民たちの間に“樹を伐ろうとすると災厄が降りかかる”という噂が流れた。
 大人たちは樹を避け始め、子供らに近付いてはいけないと説く。
 噂を真に受けて街を出ていく者も現れ、権力者の思惑とは逆に、街は衰退していった。
 それを悲しむ樹は、涙の代わりに葉を落とす。樹の足元に落ち葉が降り積もっていく。
 雨が降り、日が射し、雪が降り、風が吹き――。
 月日が流れたある日、樹木の医師と名乗る人物が街へやってきて、樹を診ると言った。どこからか樹の噂を聞きつけてきたらしい。
 ほとんどの葉が落ちてしまった樹に聴診器を当て、耳を澄ます。肌質や根元の視診、触診を終えると、医者は意気消沈した街の権力者に伝えた。
『この樹は人間同様に生きている。感情を持ち、幹や枝を動かす力を備えている。しかし、それを他言してはならない。人が恐れ、また伐ろうとする。街の下に張った樹の根は、この土地を支える基盤であり、人間でいう血管のようなもの。それがなくなればこの街は土地もろとも崩壊する。樹はそれを阻み、この街を守ったのだ。樹の傷を癒し、回復させればこの地は再び繁栄する。私が力添えすることも可能だから、希望するなら声をかけて欲しい』
 権力者は予言のようなその言葉を信じて、医師へ樹の復活を願う。
 医師は街に滞在し、樹の治療を始めた。一週間もすると葉が生い茂り、樹は元の姿に戻り始めた。
 それを確認すると同時に権力者は自らの病気を公表し、あの日倒れたのは“樹の呪い”が原因ではないと説明した。住みやすい街になるよう、いままで住民の過負担となっていた税金を下げ、環境整備に力を入れ、樹の傷を癒すことに注力した。
 噂を聞きつけた人々が移住を始め、街は徐々に活気を取り戻した。
 権力者は医師から聞いた樹の話を子孫へ口伝することにした。そしてその口伝は、子に街を引き継ぐとき、親から語り継がれることになった――。

 すべてを識った私は樹から吐き出された。
 なるほど、だから私はまだ知らなかったのか。
 きっと来週、私はこの街の権力者からいま見た事実を聞くだろう。
 私ももう、この樹を伐ろうとは思わない。そう決意して見上げた樹は、風と光を受け、優しく揺らめいていた。

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