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【短編小説】2/27『山に住む女』

「良かった、また会えて」
「そうね」
「キミは本当、変わらないね」
「貴方はー……」
「老けただろ」
「……“生きてる”って感じ」
「物は言いようだな」苦味を含む笑みを浮かべて、男は女の隣に座る。「でもその言い方は間違ってるよ」
「どの?」
「“生きてる”って」
「あぁ……そうね」
 女が静かに笑う。
 男の頭上には、光る輪が浮いている。

 男が女に初めて会ったのは男が子供のころ、雪深い山奥で遭難しかけていたとき。
 四方八方景色は白く、天か地かさえわからぬような猛吹雪の中現れたその女の姿は、救世主のように見えた。
 女に案内され、少年はふもとにたどり着いた。
「ありがとうおねーさん」
 少年の礼に、女は返事もせず山の中へ戻って行った。女の周囲には、雪混じりの風が吹いていた。

「それにしても、わざわざあたしのとこに来なくても」
「いやぁ、だってキミ、ある時から見えなくなっちゃったから」
「そういうものだから」
「そうかなぁ」
「拗ねないでよ、子供じゃないんだから」
「子供みたいなもんさ。これからまた子供に戻るんだから」
「生まれ変わりってやつ?」
「そう。いや、まだ転生しないんだけどね? しばらくこのままでいるつもりだから、また来るよ」
「……いいわよ、時間もったいないでしょ」
「もう時間に縛られずに動けるから、気にしないで」
 反論した男に、雪女(ゆきめ)は呆れ顔を見せる。
「何年? あれから」
「最後に会ってからは70年くらいかな?」
「……人の一生が短いって本当なのね」
「そうだね。終わってみたらあっという間だった」
「そんな短い間に何度も会いに来るなんて、やっぱりおかしな人ね。大体怖がるか忘れるかして、一度きりしか会わないのに」
「会いたかったんだよ、どうしても」
「なぜ?」
「最初はキミがどんな存在なのかもわからなかったし、普通の人だと思ってたから、あんな吹雪の中薄い着物一枚で、しかも裸足で寒くないのかな、とか、お礼に暖かい羽織でもと思ったりとか……まぁ色々」
 言い訳めいた男の説明に雪女が目を細める。
「……わかってるよ、言い訳ってのは」
「なにも言ってないわよ」
「恋してたんだ、キミに」
 唐突な告白に、雪女が笑った。
「なんで笑うの」
「変な人って思ったから」
「ひどいな」
 男も一緒になって笑う。
「……恋心を自覚したあたりからキミの姿が見えなくなった。声は聞こえるのにね。しばらくしても同じ状況で、そのうち声も聞こえなくなって……“大人”になったらキミには会えないのかなって、最終的には諦めた」
「ちゃんと伴侶を得て、子孫も残したんでしょ? いいじゃない、それで」
「良くないよ。天に帰って自分の人生を振り返ったときに知ったんだ。キミが意図的に僕の前から姿を消したって」
「あらそう」
「それで、どうしてもまた会いたくなって来たんだ。なんでキミが僕のこと避けたのか知りたかったから」
 雪女は男から視線を外した。
「教えてくれない?」
 覗き込む男に観念したように、雪女は口を開いた。
「……私が触れた生き物はみんな凍ってしまうの。最初に人を助けたとき、それを知った。その人、命は助かったけど指が動かなくなったって。凍傷っていうのかしら」雪女は自嘲気味に続ける。「別に人が嫌いなわけじゃない。ただ共存が出来ないだけ。その辺で野垂れられても困るから道案内だけして終わり。そうすれば元の生活に戻ったとき、幻覚だったんだって勝手に思い込んでくれるから」
「キミの指も、そのとき?」
 男の視線は、雪女の右手に注がれている。
「……そう。私のは“火傷”になるのかしらね。生き物の体温は熱すぎる。だから近づいてはいけない。どちらも傷つく」
 雪女の瞳から結晶が落ちて、雪の中に沈んだ。
「……私だって貴方に会いたかった。けど、会ってはいけなかった。だから」
 言葉を遮って男が雪女の身体を抱き寄せた。
「……どう?」
「……熱くも、冷たくもない」
「一緒だね。やっと“同じ”になれた」
 男の肩に雪の結晶がいくつも落ち、降り積もった。
「行かない? 一緒に」
 男が見ているのは、遠く先にある光の扉。
「この山は、近くの神様が自分の山と一緒に見てくれるって。だからもう、キミが守らなくても大丈夫。もう誰も、キミと同じようにはならないよ」
 雪女は泣いた。その瞳から零れる涙が、雪女の身体に着いた雪を溶かした。白い髪も、肌も、人だった頃の色に戻る。
「キミがいてくれたから僕や、僕みたいに遭難した人がたくさん助かった。この山は“奇跡の山”って呼ばれてるんだよ。知ってた?」
 女は首を横に振った。
「積もる話は、あちらでしようか。あちらは暖かくて、とても穏やかだよ」
 女を安心させるように語りながら、男が手を引いた。その手はとても、暖かかった。

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