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騙し絵の牙と僕が愛したMEMEたち

日本の若者の読解力が世界の15位に急落したことで賑わっている今日この頃。根本の原因はなんだかわからないし、それの対策も多分あいまいなものであるし、そもそも読解力の定義云々で議論することは多いけれど、紙媒体の活字を読むことが衰退しているのは紛れもない事実。

文化としては重要だと認識されていても、デジタル化の波には抗えないのは明白で、短文でのやり取りや動画ベースのコンテンツが繁栄している今、
もはや”読解”の登場回数はものすごく減っているのではないかと感じる。

特に煽りを受けているのは出版社なのではないか。本は売れず、本屋の数も激減、もはや業態の抜本的な変革は免れられない。

「騙し絵の牙」は、そんな出版界の実情も詳細な描写で理解できる小説。

大手出版社の雑誌編集長の速水が、廃刊を免れるために持ち前の「人たらし」で奮闘・奔走するお話。
大泉洋を主人公に「あてがき」していることでも話題になっており、軽妙なやり取りが鮮明な映像で頭の中に再現される。

最低限の役割を残してアナログ文化は減少していき、それに伴うデジタル化を推し進めることに対しては肯定派であるけれど、その変革に歯止めを掛ける人々の感情もリアルに伝わる。
ともすればデジタル化を躊躇してしまいそうになる。

「電子化の波は、時計の針が進むように、戻ることはない」

そんな中でも紙媒体の雑誌という、作家にとっての「場」を死ぬ気で守ろうとした編集者・速水の姿はあまりにもリアルすぎて、これを読んだ人は出版社なんて行きたくなくなるなあ、なんて。
(「不毛地帯」を読んだときも商社への憧れがそがれた)

この手のリアルな描写がベースの小説を読むたびに、その解像度の高さに驚かされる。本当にその業界に何十年もいたんじゃないかと思わせるほどの言葉選びだったり文脈の構成だったり。やっぱり映像とは異なる、文章ならではの投影ってあるなあ。

最終的に速水がとる「企業」という手段が人を欺くという意味でタイトルにもなっているのだけど、原体験から結び付いている彼の作家への思いがすべての機能を包括した作家専用総合コンテンツ企業に結実したことは自然な流れにも見える。
業界でのしがらみを経験したことのない人間だから言えることかもしれないけれど、"Think outside the box"の重要性だったりがこの結末に反映されている。その上でそれを履行しきった行動力こそが価値のあるものだけど。

"Ideas are cheap. Execution is everything."

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”Meme”という言葉を聞いたことはあるだろうか。
進化生物学者リチャード・ドーキンスにより提唱されたこの概念は
ウィキペディアによると、

脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である。例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である。 文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である。

物語はMemeに当たる。
人と人が繋がることでGeneが継承されるのと同じで、人が本や映画などと繋がることでMemeは継承される。

メタルギアなどのゲーム制作者である小島秀夫さんの著書では、彼の読んできた数々の本とのエピソード=MEMEがつづられていて、自分もこんな感じで文章書きたいな、と心を動かされた。世界のクリエイターを作り上げた本の数々は、小島さんが築いてきた”読解力”の賜物に他ならない。

本と当人の繋がりはなかなか他人には伝わらないけど、それを伝えることは自分を伝えることで、
それこそが発信力ではないかと思う。
小島さんのMEMEは少なからず自分に影響を及ぼしている。
そして発信力の前には読解力がある。

真に読解されたものが発信されたときに、人の心が動く。
家電メーカーのバルミューダの社長も言っていた。

「本気は伝わる」

そんな個人でありたいし、アナログが廃れようともその精神はすたれないように。伝えるのは難しい。

読解力の低下は、読解すべきものの減少が原因なのではないか。
それは本気の「伝え手」が減っているからではないか。
チープなネット記事ばかりではなく、
本気を伝えられる人がたくさんいる社会がいいよね。

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上海で注文した刀削麺。
辛いものが食べたくて、担々麺感あるやつたのんで、外見98%担々麺のやつ来たのに、食べたらめちゃめちゃケチャップの味した。鬼のようにピーマン沈んでた。
これが騙し絵か…(ちがう)

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