婚活「市場」ではバージョンアップ禁止

お金で買えなかったものを、お金で買えるようにパッケージングする。それを「商品化」といいます。
たとえば、人類全員が、家族に散髪をやってもらっていた時代があるとして、新しく理容師・美容師という職業が確立するとき、散髪という「サービス」に、たとえば、5,000円という値段づけをして「商品化」することにより、お金での売買が可能になります。つまり、家族どころか、見ず知らずの人、恩も仇もない、まーったく知らない人と、「髪の毛を切って下さい」「いいですよ」というやりとりが可能になるわけです。

このような商品化は、当世、ほっとくとどんどん進んでいく傾向がありまして、まさに、政治学者のいう「それをお金で買いますか」な世界が訪れていきます。
べつにぼくは、これを市場原理主義と呼び、そんなのは良くない!というつもりはありません。ていうか、当否はさておき、避けられない流れだし、その恩恵を十二分に受けております。一見すると、お金で買えなさそうなものを、お金で買うことによって(しかも、かなり安い値段で)、生活が便利になっていますね。

これを比喩的に適用したのが(ていうか比喩であってほしいのですが)、婚活市場というやつです。
おそらく、これの前段階として、労働市場、雇用市場という概念があって、それを横滑りさせたとぼくは思っているのですが(違ったらすみません)、要するに、何か価値を提供したい人材がプールされている、そして陳列されているマーケットのようなものがあって、
その人材(が提供する価値)を必要とするひとたちが、そこの「人買い」に行くというモデルです。※くり返しますが、非人道的だからヤメロ!と言いたいのではありません。

人材を商品化するとき避けられないのが、スペックを確定させることなんですよね。
学歴はどれくらいー、年収いくらー、居住地はー、みたいな感じで、ほかの商品と比較可能なかたちになるように、ハード情報を確定させていく。そうしないと、「市場取引」ができないわけですから、これは、避けられない手続なのです。
たとえばスマホを買うときに、使われているソフト、画面の大きさ、処理能力の高さ、記憶容量など、一覧表にして比較できるやつです。あれです。

基本的に、商品化し、市場取引の対象になったからには、スペック未定、もしくは「スペックが変化しつつあります」みたいなものは、取引不能というか、選んでもらえないですよね。
「現在、iPhoneですが、半年後からAndroidになります」
「予告なく自動更新が掛かって、寝て起きたら違う仕様になります」
みたいなことが、1%でも起こり得るというふうに、店員さんに説明されようものならば、「だったら辞めます、他のにしときますー」ってなります。

つまりは、婚活市場に出て行ったひとたち(自らを陳列した人たち)は、その時点でスペックを確定させておく必要があり、かつ、変化の可能性が少なければ少ないほど、商品としての信頼性が増すわけです。
上のスマホの例のように、たとえ、能力アップの方向へのアップデートでも、それが行われる可能性は、徹底的に忌避されるわけです。
「わたしは、人生観が完成し、生きていく方向が定まっており、よほどの不測の大災害や交通事故でも起きない限り、固定的に振る舞っていきますー」という、宣誓、自己規定をしてはじめて、商品になることができ、陳列棚に並べられる権利を持つのです。

しかしですねー、そんな人間はいますかね。
かりにも、適齢期を過ぎそう/過ぎたと思っている人は、変化しなければ、人生を変えることができない。変化をこばんでいる人と、これから一緒に過ごしていくのって、楽しいのか?
もしくは、変化や成長はウェルカムだが、婚活市場で取引対象となるために、人生を一面的に切り取って、見せ方をアレンジしていますー、だとしても、そんな詐欺師まがい(とまでは言わないが)な「営業マン」さんと、これから人生について、どのような話がしていけるのでしょう。

身の回りを見ていて、婚活して幸せになった!ってひと、あんまり聞かないんですよ。それには、「商品化してはいけないものを商品化する」ことからくるジレンマというか、不可能性、相克性のようなものが関係しているのではないかと思ったのでした。