日記 29/06

昨日だと思ったら一昨日だった。

デ・キリコ展へ。今日は昨日と違う人と行ったが、まあまあペースがあっていてよかった。(しれっと今日と描いているのが面白い、まじで書くを描くと変換されるのがうざい)一番好きな彼の絵が展示されていなかったので、少し残念だったが、時代や影響を受けたものによってころころ変わる彼の芸風が見えておもしろかった。写真撮影不可で、撮影会になっていなかったのもよかった。戦争の影響を色彩にみてしまうのは、固定された見方な気もするが、そう感じてしまった。というより、その論を固定しようとする脳のはたらきに抗えなかった。自画像(1948)の、耳の上に描かれた一束の髪の毛が一番印象に残っている。

昨日、絵を描く同行者が、輪郭の有無を気にしているのを知って、その見方を導入したが、彼はどちらもやっていた。また、筆跡を残すものが少しあり、残さないものが多いことも印象的。他の画家もそうかあまり認識していないが、どちらかな印象がある。

筆記体を描いたり、フランス語を勉強したり、無駄な学びが、絵に描かれた文字を判読し、意味を理解する役に立っていてよかったなと思う。別にそれも何かの役に立っているわけではないが、そういった、誰の何の役にも立たないことを身に付けていくことは、(余裕のある環境にいさせていただいている)人間の特権というか、ありがたいなと思う。それは、生きていくために必要だと思う(前も書いたが、穂村弘の「生きる」と「生きのびる」の違いの概念が自分に溶け込んでいる)

中世写本展にも序に行ったが、見たことあるなという感想だった。ボリュームが一杯で、デ・キリコ展もボリュームがすごかったので、大分疲れた。時代や国による装飾の傾向が理解できたのは良かった。モチーフから描かれた人物が誰かわかるようになりたい。

その後、上野・御徒町で店を決められず、池袋までもどって鉄板焼きをたべた。はたらきたくねえ、失敗したくねえ、とメランコリックになっていたが、そういうことを考えるから余計そう思うのだと思う。

メランコリーキッチン

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