日記 11/06 関心領域

「一生懸命足掻く人でありたいから読む」ともいえるかもしれない。本を読むということは、願いに近い。

願い 高橋麻也 『鬱の本』

自分はこれが、竹原ピストルであり、野狐禅であった。就活というタイミングで余計にそれに囚われたこともあるが。すぐにあきらめたくなるし、楽に生きていきたいと思うが。ただ、楽な生活をしたらしたで、罪悪感を感じる。このままでいいのかと。

12日の自分に引っ張られるので、この話はこのあたりにする。
映画を観た。ハマりきれなかった。頭が疲れた。いや、そもそも疲れていたのかもしれない。その後、ピザトースト発祥という喫茶店に行き、ピザトーストを食べた。百名店だそうだが、ハマりきれなかった。店内が明るすぎるなと思った。それは最近よく感じることなのだが。あと、店員の人がずっとまあまあ大き目な声で話しているのも気になった。ひとつ気になると、全て気になる。ピザトーストはチーズたっぷりでそこそこ美味しかったが、そこそこって感じだった。ボリュームがありすぎ。ボリュームがありすぎというと、「お別れの歌」のMVを思い出す。

最後に、映画の感想?とメモを記して終わる。

最初真っ暗で不穏な音楽が流れる。ユダヤ人虐殺の様子が見えないことを示しているのだろう。その後、鳥の声。家族が川辺で平穏に過ごしている。

光が当たる森と暗い森に分かれている。車は暗い方を走る。ユダヤ人の方にスポットライトが当たるが、今回は逆にドイツ人の方を描くということか。この光と影はずっとテーマになっていた。影から光の方を見る構図が目立っていたように思う。それは、観客から見た、スポットライトの当たるスクリーンの中ということなのか。合わせて、部屋の外から写しているショットが多かった。これも、外から眺める観客ということか。

また、壁や植物や人物で区切られていることが多かった。こちらとあちらが強調されていた。あちらの音声はずっと入っているが、そこに関心が向けられることはない。使用人が通っても無関心のシーンがあったように、現前していても関心が払われないこともある。

最初の洗濯物が干してあるシーンでも、大きなリネンが奥の景色を隠し、小さなリネンの干しているところしか見えない。

妻は、子供が泣いていても無関心だし、犬が部屋に入ろうとしても入れないで、自分に服が似合うか、口紅が似合うかだけを気にしている。それを悟られないように、口紅を拭って外に行く。クリーニングしてと、自分の要望を言う時だけ話をする。

ルドルフ夫婦が話をする時、間にライトがある。夫を写すカメラにはライトがなく、妻の方だけにライトが入っている。

川で2人が話すシーンは、話している方の横顔をカメラが基本写すが、もう片方が話を聴いているかいないかを、顔の向きで表していた。
この時も、妻は自分のこと(と自分の理想である家)のことしか考えていない。それは、離れた夫から電話がかかって来た時も同じである。というより、ずっとそうなのである。

カメラが切り替わる時は、メインの人物が動く時であり、それに合わせて背後の人物も移動する。
何かを追っているとき、何かが動いているとき、そこに注目してしまうが、その周りでは違う動きが起こっているのである。

ユダヤ人があの家の中にいる(妻の母親?)のかなと思った。失踪したことや、隣のアウシュビッツを眺める様子から。
白黒で写った、リンゴを土に置くシーンからも、それが示唆される。ユダヤ人たちがリンゴに群がるという声が聞こえていた。実際に置いたのは使用人か。

ラストシーンは何だったのか。嘔吐して、現代のアウシュビッツの博物館?を掃除する人たちが映る。
ユダヤ人にはユダヤ人目線の歴史が、ドイツ人にはドイツ人目線の歴史があるということか。

全体的に長いなと感じてしまった。自分のコンディションの問題も大きいが、ハマりきれなかった。
面白い描写や撮り方は多々あった。


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