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和了り性り

和了あがさが


キャタピラコメダと申します。趣味とお仕事の狭間で毎日エッセイ日記を書いています。くだらない文を、くだらねぇと笑ってもらえれば

麻雀覚えた

ここ何年かで麻雀を覚えた。大学入学時とかに覚えていたら生活がぐちゃぐちゃになっていただろうなと思う。
「運」と「技術」が複雑に絡み合うゲームは性に合っている気がする。

配られた牌に大きな差があればプロでも初心者に負ける。

麻雀を全く知らない人になんとなく私の感覚だけで伝えると「スタートに差がある状態で1000m走してください。ゴールテープの切り方で芸術点が加算されます。」って感じ。
1000mきっちり走らされる人もいれば、残り400mの地点からスタートできる人もいる。それは運。極端な話ホップステップでゴールできる距離から始まる場合もあって、そんなことされたらウサイン・ボルトでも勝てないよ。
逆に言えば残り300mで始まったから「よっしゃヘッドスピン決めてから芸術点貰いながらゴールしちゃお♪」って調子乗ったら後ろから真っすぐゴールだけ狙ってきた全力疾走マジレス野郎が搔っ攫っていくこともある。そこは戦略と読みや技術の範囲。
それを繰り返して状況と期待値と相手の行動を考慮して運を技術で絡めとっていくゲーム。(麻雀ガチ勢は怒らないで)

伝わらなかったら申し訳ない。



配られたカード

天和には誰もかなわない

昨日『だが、情熱はある』の最終回だった。
私自身、JUNKとANNと文化放送のラジオをひたすら聞いてきてほぼ10年くらい。
オードリーANN、不毛な議論、「たりないふたり」も当然通ってきた道なのでなかなかクるものがあった。


若林さんのANNオールナイトニッポン内でのトークを二つを思い出した。
『アイシールド21』で一番好きな言葉についてのトークと、春日さんがすべらない話でMVSモストヴァリアブルすべらないを獲得した時のトーク。

ないもんねだりしてるほどヒマじゃねえ
あるもんで最強の戦い方探ってくんだよ 一生な

『アイシールド21』蛭魔妖一

私自身も大好きなアイシールド21という漫画の中で蛭魔妖一という人間は決して身体能力に恵まれておらず、それを奇策とカードの切り方で乗り越えていく第二の主人公だ。

人は配牌が違う。配られたカードが違う。マリガン配りなおしもできない。それに「運ゲー運ゲー」叫んでたら知らないうちに寿命が来ちゃうわけだ。

どうして犬なんかでいられるの?
(Sometimes I wonder you can stand being just a dog … .)
配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。
(You play with the cards you’re dealt …whatever that means.)

ルーシーの問いかけ  スヌーピーの答え

蛭魔妖一 ≒ スヌーピー
スヌーピーの世界観には詳しくないが、あいつ犬であることを配られたカードとして認識してるのか。それなら相当配牌悪いのかもしれないなぁ。

とか色々考えたけど、山里さんが下から関節取ってるところや、初期のたりないふたりを見返すと、配られたカードの弱さに文句言いながら噛みつくのも「立派なカードの切り方」なんだなぁと思わされる。カードを出さない、という出し方があるんだなと。


運の総量

スピリチュアルな話というわけではないが、運というものに対してどう考えるか、個人的には運を「波」「設定」「徳」で考える人がいると思っている。
波のようにツイてる時とツイてない時が来ると考えるのか、運がいい奴はずっと良くて設定1の俺と設定6の芸能人だと嘆く奴なのか、いつかきっと日頃の行いなりナンダカンダが返ってくると信じきるのか。

個人的には公正世界信念が嫌い。運の波や上がり下がりがあるって感覚は信じたい報われたいって願うだけでそんなところに留まりたくない。

春日さんがMVSを取った時、オードリーが二人とも出演していたのにサイコロの目は若林さんが2度、春日さんが6度出ていた。

「勝負の厳しさを知らないやつはねえ、人間の運の総量は一緒、それがいつ来るかみたいなことを言うバカがいるんですよ!総量なんて違う違う!!」

若林さんが叫んでいたことを記憶している。

私自身お笑いファンである。「人を笑わせます」という事を職業にしようとすること自体がとんでもないことだと思う。実力があっても世に出る機会に恵まれるとは限らない世界だろうし、それに人生懸けて食っていこうとするなんて本当に誉め言葉として狂っていると思う。尊敬している。


人にさがあり


決して勘違いしてほしくないのは私のような素人がお笑いを語るつもりは微塵もない。批評ではなくただただやっぱりスゴイ!!って叫びたくなっただけ。狂った世界に一歩踏み込めることもそれだけで才能なんだと思う。

自分にはそんな度胸は無い。人生におけるカードの切り方について、考える時には自分のさがも地盤として重要になってくるのだろう。


自分の切り方はおそらく、その狂った一歩を踏み込めない人間として弱いカードを「配牌弱いんだけどおぉ~~!!」ってクソデカボイスで叫んでその高周波でワイングラス割っていく感じなんだろうな。


このエッセイもその高周波の一環です


あ~『だが、情熱はある』面白かった!
来年のオードリーのANNin東京ドーム行きたいな。



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