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「たかが指先」

日付を超えたあたりから、実家の自室でマニキュアを塗り始めた。

どうせならもっと早い時間から塗り始めたらよかった。速乾タイプを謳っているがそれでも乾ききるまでに結構な時間がかかる。そもそもマニキュアを塗るのが下手なので、納得する出来にならなければ除光液で落としてもう一度初めから塗りなおす。布団に入るまでどれくらいの時間がかかるだろう。自分から始めた事ながらかなり面倒くさい。

それでも塗らないといけない理由があった。明日は久しぶりに高校の同級生たちと飲みに行く。恋愛的な集まりではない。本当にあの頃、バカみたいな話をしてげらげら笑い合っていたやつらに会いに行くだけだ。それでも私はマニキュアを塗らなければ、それもできるだけきれいに、と思った。思ってしまった。
マニキュアごときで変わることはそんなに無い。せいぜい、指先がちょっとだけきれいに見えるだけ。それでも、そんなことにすがらないといけないくらいには今の私は空っぽで、何にもなかった。


久しぶりに会う友達とは仲が良かったし、嫌いなわけではない。現に嫌いなら飲みになんていかない。だけど会うとなったときに少し気が引けたのも事実である。
私が通う地元の大学より偏差値の高い大学に進学し、そのまま留学にいったやつだとか、いい企業に就職が決まったやつだとか、SNSで充実した生活をしている様子が見えるとか、そういう、私にはないものを持っている友達ばかりの飲み会。そこに行ったとき私は何を考え、感じるだろう。妬みか、羨望か、自己嫌悪か。
当たり前だが、その友達が得たものは全て、本人たちが努力してつかんだ事だ。それを何の努力もしていないくせに勝手に妬んで、羨ましがって、卑屈になっている自分に向き合うかもしれないと思うと恐ろしかった。何もできない、何も無いからっぽな私を、かつての友達に知られる恐怖、とも言う。


液を塗りたくりすぎてギトギトになってしまった右手中指をみる。私は、これはさすがに無理だな、とコットンと除光液を手繰り寄せてぬぐい取った。オレンジ色に細かい金色のラメが入った色をしていたその爪は途端に色の無い─それでいて端っこの方は少しだけ汚れたままの─状態に戻った。不思議なものだなと思う。塗るのにこんなに時間がかかるのに、落とすのにかかる時間はその半分以下。一瞬だ。爪からコットンへとうつったその色は先ほどよりきれいには見えない。

色を失った爪と汚れたコットンを見た時、ふと思った。自分の人生も似たようなものなのではないか。時間をかけて様々な色に染まろうとして、結局うまくいかなくてあきらめて除光液で落とす。残るのは少し汚れが残った爪と残骸。そこまで考えて、ため息をついた。あまりにもむなしい、そして幼稚な想像だと心から笑い飛ばせそうにないことが一番面白かった。自嘲して、そして私はもう一枚コットンを手に取ると残りの爪にのったマニキュアを落とす作業に取り掛かった。


部屋に充満するアセトンの匂いに顔をしかめながら爪の橙色をコットンへうつして捨てていく。
時刻はまもなく深夜2時。もっと早い時間から塗り始めていたら何か変わったのだろうか。早くから、丁寧に、きれいに塗る準備と努力していたら。




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