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出会いは大切‼ 私はこうやってバス釣りを始めました。バス釣りに出会ったときのお話 (前編)

こんにちは、小森嗣彦です。

今回は、私がバスフィッシングという素晴らしい趣味と出会った瞬間について、お話ししていこうと思います。

私は兵庫県神戸市の、都会の喧騒から少し離れた山間部に位置する新興住宅街で幼少期を過ごしました。神戸と聞けば、多くの人がその長い歴史や開港都市としての繁栄、そして西洋文化の強い影響下にあるおしゃれな街並みを思い浮かべるかもしれません。特に旧居留地や北野町の異人館は、この町の象徴的な美しさを代表しています。しかし、私の育った地域は、そうした都市的なイメージとは一線を画す、自然に囲まれたところでした。少し住宅地から離れると、1980年代の当時はまだ手つかずの自然が豊富に残っていました。

今振り返ると、こういった自然の中で過ごした日々が、自然科学への興味をを育んだのだと実感しています。ちょうどファミコンが世に出て流行りだした頃だったのですが、私はテレビゲームより、野山で虫を獲ったり魚を獲るったりすることのほうが楽しく感じました。ファミコンを持っていなかったのもあるかもしれませんが…でもそれを不幸だと感じたことは当時から一度もなかったです。

小学生の頃の私。この頃はこんな遊びばかりしていました。

ブラックバスとの出会いの前に、少し私の父の話をしておきます。私が釣りや自然科学に興味を持ったのは、その育った環境もそうなのですが、やはり父親の影響が大きかったと思います。その父は海釣りを趣味にしていました。月に1度くらいの頻度ですが、幼いときはよく私も連れていかれました。連れていかれたと表現したのは、正直その頃はあまり釣りへ行くことが楽しいと思っていなかったと記憶しているからです。道具も用意してくれ、ちゃんと釣りを教えてくれた父には今となっては感謝しかないのですが、子供心に父が釣りにいくのに利用されているような気がし、毎回出かけるたびに少しふてくされていました。父と釣りに行くのはいつも夜のなので、子供の私は暗くて怖いし、冬場は寒いし、帰りはもう眠たいし、そして何より思ったように釣れないのが面白くなかったことが原因でした。魚のことも、道具のことも理解が浅かったので、釣れなかったのは仕方ありませんね。

しかしそれらの理解が少し深まり、魚が釣れるようになってからは、釣りが楽しくなってきました。普段からめったに褒めるということをしない私の父なのですが、大きい魚を釣った時だけはいつも自分のことのように喜び、他の人にも自慢して褒めてくれました。垂水海釣り公園で初めてチヌ(クロダイ)を釣ったときは、それまでの人生で一番褒めてくれたかもしれません。私はうれしくてそれを絵に書いてテレビの釣り番組に投稿したり、学校の作文にしたりしました。もっと大きい魚を釣って褒めてもらいたい、そんな気持ちになりました。今思えば私はきっと褒められて伸びるタイプの子供だったのだと思います。他のことをすごく褒められていたら…もっと違う人生を歩んでいたかもしれませんね。
高校に進学してからは、部活動などの忙しさから、父と一緒に釣りに出かける機会が格段に減少しました。そんな中で、たまに出かけた釣りの釣果を自慢しても以前のように父から褒められることは少なくなり、代わりに「勉強しろ」との声が増えました。釣りに行くことも部活をすることもときには反発されました。ちょうど私も反抗期にも入っていました。その頃は父との衝突が原因で家出をすることも多々ありました。
そんな父が私に教えてくれた大切なものは釣り以外にもう一つ、「何か一つでも人に自慢できる一番になれ、日本一になれ」という教訓でした。この教えは、釣りに限らず、人生のあらゆる面において私に影響を与えています。初めてプロトーナメントで優勝を果たしたとき、そしてA.O.Y.を獲得したとき、父はかつてのように私を心から褒めてくれ、友人たちにも私のことを自慢してくれました。最近では「勉強しろ」とはさすがに言われませんが、代わりに「次の試合で優勝しろ」と会うたびに言われます。

さて、話を戻します。ちょうど釣りが面白くなりだした小学4年生のときでした。私はその頃、よく友人とハイキングコース沿いにあるいくつかの池でマブナを釣りを楽しんでいました。その日は天気が良く、私は釣りではなくそのハイキングコースに一人でなんとなくサイクリングに来ていました。その途中で何かに導かれるように自転車を降りて土手を登ったところにある池をのぞき込むと、見たことのない大きな魚がそこにいました。蛇のような柄でゆうに50㎝は超えており、水面に姿を現してそのあと深みへ消えていきました。この発見を多くの人に自慢したく、その夜は両親に、翌日学校で興奮して話しました。数日後、その魚はたぶんライギョという名前だということをクラスメイトから人づてに聞きました。そして図書館で図鑑を見ると間違いなくその魚でした。あれほど大きな魚、きっと釣ればたくさんの賞賛が与えられるに違いない、父もまた褒めてくれる。私はその魚を釣りたいと考えました。


ライギョ(カムルチー)


ライギョを釣りたいと思ったとき、今のようにインターネットで「ライギョの釣り方」と検索すれば情報がすぐに手に入る時代ではありませんでしたので、当時は、その魚が、何を食べ、どのような生活をしているのか、詳細を調べる手段が限られていました。情報収集の主な手段は図鑑や口コミに頼るしかなく、それによってライギョを釣った経験があるという2つ学年上の先輩に辿り着くことができました。先輩からは、ライギョ釣りにはルアーという疑似餌を使うと教わりました。このルアーというものは本来、ブラックバス釣りに用いられるもので、先輩はブラックバスを釣ることの方がより価値があるというニュアンスで話しました。そのため、私は元々の目的であったライギョよりも、見たこともないブラックバスを釣りたいという強い興味を持つようになりました。

そうしてバスフィッシングにトライしていくわけですが、ブラックバスに出会うのはまだまだ先の話です。私たちの多くは、人生のある時点で何か特別なものと出会います。それが私にとってはこの日のライギョだったのかの知れません。そして私がのちに40年以上情熱を注ぎこむバスフィッシングの入り口だったとはこのときは思いもしませんでした。

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