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人生の初バス‼ バスプロ小森嗣彦が初めて手にしたブラックバスのお話。

ようやく初めての一匹を手にしたのは、野池でライギョに出会ってから2年経った11歳の春休みのことでした。4月3日、この日は私のバス釣り記念日です。

4月から小学6年生になるのをきっかけに電車で遠くに釣りに行く許可を親からもらうことができ、友人たちと遠征に出かけ掛けることになりました。(※小学生だけで電車に乗って遠方に釣りに行為は今ではとても危険です。今は保護者の方と行動してください。) 釣り人あるあるですが、遠くへ行けばより良い釣果が得られるという、不思議な感覚を持っている方は少なくないと思います。実際にはモーリス・メーテルリンクの童話「青い鳥」のお話と同じで、遠方へ苦労して行ったにもかかわらず、意外と身近なところに幸せの青い鳥がいたように、釣りもまた、近くのフィールドにのほうが釣れるところだったということもあるのですが、人間の心理としては、それでも新たな場所を探し求めて旅に出たくなるものです。この探究心は、新しい体験を求める人間の本能に根ざしているのかもしれません。


神戸新聞社からタイトルは忘れましたが、バス釣りの野池ガイドの本が出版されており、それを運よく古本屋で見つけることができました。その本に載っていた小野大池という池が、降りた駅からもそれなりに近く、数も釣れるということが書かれていたので、最初の遠征はそこへ向かうことになったのです。こういった本がこの当時からあることが神戸でバス釣りを初めてよかったと思うことの一つです。その著者である力丸卓夫氏のブラックバス指南というムック本をその後、父に買ってもらい、この本は何の情報も持っていなかった私にとって聖書のような存在となりました。それまでルアー釣り入門という大雑把な釣りの基礎本で得た知識以外は、ほぼ独学だったバス釣りでしたが、これでやっとその道らしきものが見えた気がしました。この本は今でも大切に本棚に並んでいます。

この本は私が初めて読んだバス釣りの本です。

初めての遠征は5時台の始発で向かいました。私の住んでいたところから神戸電鉄小野線に乗って1時間、神鉄小野駅で下車して徒歩15分にその小野大池はあります…のはずだったのですが、電車を降り、しばらく歩いていても、そこは池などありそうもない商店街と住宅街でした。前夜に地図で確認してきたのですが、しばらく歩いているうちに、こんな住宅街の中に池があるはずがないと思い込み、方向を変えてしまったのが間違いの始まりでした。当時はスマートフォンなどは当然なく、山へ登るわけでもないため地図も持ってきていませんでした。30分ほど歩き回りましたが、池はどこにも見えてきません。見知らぬ土地で見事に道に迷ってしまったわけです。途中で2回ほど人に道を尋ねました。その二人とも、釣りに行くのであればここじゃないか、と案内してくれたのは、小野駅から徒歩で1時間以上かかる「鴨池」という全く別の池でした。

この遠征では先に書いたように家の近所よりは釣れそうな不思議な感覚がありましたから、別に初めてのところならどこの池でもよかったのです。この鴨池もポイントガイドの本には載っていましたし、そしてなんとレンタルボートがある池だったので、途中からはそのボートの魅力に惹かれ、鴨池を全力で目指して歩いていました。小野駅に着いてから2時間、ようやく鴨池に到着すると、友人とお金を出し合いさっそくレンタル手漕ぎボートを借りました。小学生だけのグループでもボートを貸してくれる、それは時代を感じます。もちろん初めての手漕ぎボートです。しかし操船はさほど難しくなく、すんなりとできました。ただ操船しながらの釣りというのはとても困難で、それは大人になってからもそう思います。実は最近になってからも手漕ぎボートで釣りを何度かしているのですが、フットコントロールエレキの偉大さを思い知らされることが多いです。そんなフットコントロールエレキの存在をまだ知らない当時の私は、それでもこれまでの岸からのアプローチより格段に釣れそうな気配だけは感じていました。

慣れない手漕ぎボートを操船しながら、頑張ってボートからスプンを投げ続けました。ボートに乗って4時間が経過しましたが、それでもバスは釣れませんでした。釣れそうだった気配もいつしか薄れ、友人は釣りに飽きてボートの漕ぎ方を工夫することに夢中でした。さすがの私も諦めかけていました。ここまでの釣行で、釣れないことにも慣れていたので、今日もダメだったか、というそれだけの気持ちでした。そして桟橋に戻り、上がろうとしたときに、私はなんと落水をしてしまいました。もちろん人生初の落水です。ボートから降りようと片足を桟橋にかけたとき、ボートが沖へ動いてしまい、股裂けの状態で池へ落ちてしまったのです。すかさず桟橋を掴み、上半身は水に浸からず大事には至りませんでしたが、靴とズボンが水を含み、重たくて動けなくなりました。落水とはこういうものなのだと知ることはできました。私はスイミングスクールに通っていたし、学年でも早くから級をもらっていて、泳ぐのは得意なほうだったのですが、服と水の重みで身動きできなくなると泳ぐことなど絶対にできません。今後は落水しないことに越したことはないですが、もし落ちても、冷静になって動けないと判断したら服を脱いでしまうほうが良いかもしれないと、このときに思いました。


落水もあり、私と友人の手にはボートを漕いだことでマメができていました。冒険としてはここまでで達成感十分のイベントがあったわけで、このあと駅まで2時間近く歩かなくてはならないことも踏まえると、疲労感もあったし、友人の提案で帰路につくこととなりました。しかし、いざ帰るとなると未練が湧いてくるものです。鴨池を背に歩き始めると、やはり慣れないボートからの釣りで、釣りには満足がいっていなく、せっかくの遠征なのに、何かやり残した感じがしました。さらには、この遠征を逃したらブラックバスともう会えないままなのではないかとさえ思えてきました。
しばらく帰路を歩いていましたが、まだ少し明るく、日没まで時間はありました。やはり、もう少しでいいので釣りをしていきたくなり、私の提案で帰り道にある別の野池で再び釣りをすることになりました。その池は少し水が引いていて周囲を歩けるようになっていました。帰り支度をしている先行者がいて、ここは釣りをしてもよく、バスはいるということを聞けました。

ルアーはもちろんスプン。この池は手ごろな大きさで、しかも周囲が歩けるので、バスがいるのならばどこかで釣れそうな予感がしました。これまで1年以上、単にスプンを投げてゆっくりリールを巻くだけでは魚が釣れないことから、もしかしたらスプンのアクションに問題があるのではないかと自分なりに考えていました。その考えは見当違いな方向性かもしれませんが、当時11歳だった私が、魚を釣るためにあれこれと工夫を凝らしていたのですから、たとえそれが見当違いの方向性であったとしても、釣りの神様は寛大に見守ってくれていたのかもしれません。それはロッドを大きく回しながらリールを巻くことで、スプンが水中で様々なレンジを変えながら泳ぐという考えです。今で言うボトムジャークというアクションに近いと思います。この動きで魚を広範囲から引き寄せようと思い、さっそく試してみました。

今思えば確かにそれは素人の出したアイデアでしたが、この動きを始めて数投目、手元にココンという弱いアタリを感じました。この瞬間に何か叫びたかったのですが、言葉が詰まるほど、いや呼吸が止まりそうになるほど緊張が走りました。明らかに何かがルアーにかかっている手ごたえもありました。おそらく私は慌ててリールを巻いていたと思います。そこからのことは夢中ではっきりと覚えていません。こんな大切なシーンを?と思いますが、アタリから先のことは本当に無我夢中で、どうやって取り込んだのかとか、よく魚が外れなかったとか、そんなことも記憶から飛ぶくらい一生懸命でした。そうしてついに陸へ上げ、手にした憧れのブラックバスは24.5cmの大きさでした。それは私にとっては十分すぎる大物でした。そこまでの1年半、その日の2時間に及ぶ徒歩移動、ボートに初めて乗る経験、さらには初めての落水など、多くの挑戦と冒険を経て、最初に釣り上げたその1匹に至るまでの過程を振り返ると、その感動は計り知れませんでした。当時はカメラなど持っていなかったので、家に帰ってから何度もそのブラックバスを絵に書きました。そしてしばらくは部屋にその絵は飾ってありました。そのときに使用していたスプンは、私が人生で初めて購入したルアーでもありました。このスプンも何度も手に取って、数日間は思い出に浸りました。そしてこの日同行していなかった友人や家族にこの日の武勇伝を何度も語りました。
この一匹はここから先にある、私とバス釣りの長い長い物語の最初の一匹です。ここから私はバス釣りにさらに深く魅了され、さらに没頭するようになるわけですが、このときはまだバスプロになる人生をさすがに想像はできていませんでした。


余談ですが、帰り道は完全に暗くなってしまいました。朝の記憶を辿って小野駅へ向かいましたが、そのまま歩いていては途中で道に迷ったら終電(と言っても当時の小野から市内へ向かう終電は21時台だったと思います)が間に合うか危ういくらい遅い時間になってしまいました。小学生3人で夜道を歩いていると、通りすがりの車の方が心配して声をかけてくださり、神鉄小野駅まで送ってくれることとなりました。知らない人の車に乗るのは本当は危険です。しかし、そのときは何の疑いもなく乗せていただきました。大きな興奮、そしてボートの操船や落水、徒歩など、無限の体力を持つ11歳の私でも疲れ切っていました。駅までの数十分、話しかけてくれる車の方には大変申し訳ありませんでしたが、私は眠りに落ちていました。

※この日のさまざまな体験は昭和の時代だからということもあり、今ではとても危険がともなう冒険ですので、この全てが良いとは思いませんが、私の体験をそのまま書かせていただきました。今は決してすべて真似をしないようにお願いいたします。また本文に登場する野池や、そのほかに関しましても釣りを禁止しているところも当時より多くなっています。釣行前には必ず事前に調べてから釣りをするようにお願いします。

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