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『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』の著者ふたりが語るホン・サンス監督作品の面白さ~『自由が丘で』や『逃げた女』etc

 5月15日、川崎市アートセンターで「日本映画大学学生企画上映会 手紙と映画~拝啓、スクリーンの前のあなたへ」が開催され、『自由が丘で』(2014年 ホン・サンス監督 韓国)上映後のトークに『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』の著者、西森路代さん、ハン・トンヒョンさんが登壇しました。本の中では詳しく触れていなかったホン・サンス監督の作品について、ありきたりなイメージにとらわれず、それぞれの感覚で捉えた読みや解釈を語り合っています。読む方によっては、ホン・サンス作品に対するイメージが変わったり、新たな気づきがありそうな内容です。

ホン・サンス監督の2014年作『自由が丘で』を観て


ハン 私と西森さんは、映画については気楽な感じでいつも話していて、最近は本まで出してしまったんですけど。で、実はこの本の中ではホン・サンスって扱われていないんです。

西森 そうですよね。

ハン なんでかな……? たまたまそういう企画がなかったからか。私はホン・サンスのことは別の方とは何度かトークしたこともあるのですけど……。

 この本の中では、私がシネフィルや映画の専門家というわけではないということもあって、割とシンプルな社会反映論というか、世の中の変化とか韓国や日本の変化と映画を結び付けて話している感じで。そういう意味ではホン・サンスって、社会を反映した作品を撮る監督ではないとよく言われているのですが、まあそういう部分はあるのかな、と一応は思っていて。

西森 私も、昔は「そうじゃない」ほうの監督だと思ってたんですけど、最近の作品を見て少し振り返ってみると、「そうじゃない」ほうの監督ではないかもしれないと思うようになってきましたね。今日お話しする『自由が丘で』についても、映画の中では、「JIYUGAOKA8丁目」っていうお店が出てくるだけなのに、『自由が丘で』ってタイトルにしたのはなんでだろうな、って考えたり。そういうタイトルに、意味がないようであるんだろうなって感じてきました。韓国の人は、日本の「新宿」や「渋谷」じゃなくて、「代官山」や「自由が丘」みたいな部分が気になってるんだなって。町の性質として。

 あと、この映画って、時系列がバラバラになる話なので、どこを最後の時系列だと解釈するかによって、ハッピーなものになったり、悲しいものになったりするなと思って。最初観た時は、ハッピーエンドだと思ってたんです。

ハン 最初観た時って、2014年?

西森 はい。その時はそんなに悲しいって思ってなかったんですけど。

ハン えっ、私悲しいって全然思ってなかったから気になる。どこが悲しい?

西森 それには、今年公開の『逃げた女』(2020年 ホン・サンス監督 韓国)を見たこととか、『夜の浜辺でひとり』(2017年 ホン・サンス監督 韓国)を観たことが関係していて。

ハン 『夜の浜辺でひとり』は、2017年の作品ですね。

西森 『自由が丘で』を2014年に見たときは、当時のホン・サンスの映画と同様で、登場人物がああでもない、こうでもないと与太話をしてるっていう空気感の映画だと思ってたんです。でも、その後のホン・サンスって、だんだんと、ちょっと重めの愛の話とかになってくるじゃないですか。それが孤独の話とかになっていくんですよね。

ハン ああ。

西森 それを経て、『自由が丘で』をまた観てみたら、結構そっち寄り、愛や孤独の話に見ちゃったっていう感じがあって。

ハン たとえばどういう?

西森 『夜の浜辺でひとり』って本当に孤独の話だと思うんですけど。キム・ミニ演じる主人公が夢が覚めた時にひとりを実感してしまう感じがあって。夢から覚めた後の悲しさがすごいんですよ。

ハン だとしたら、その視点で『自由が丘で』を観ると、この映画は、今日の「手紙と映画」ってテーマにも関わってくるけど、手紙の再現だったわけですよね、あれって。加瀬亮演じるモリからの手紙を恋人のクォンが読んでいるときに落としてバラバラになってしまって、そのバラバラになってしまった時系列に沿って再現されている設定になっているのですが、どこかで手紙が終わっているんだけど、どこが終わりかわからないってことで、もしかするとそこが悲しく感じられたってことかな? 最後、クォンと再会できてさ、でもあれは私、現実かどうかもわからないと思っていて。

西森 そうなんですよ。そこも含めて、どこが現実で、どこが現実じゃないかどうかもわからないふわふわした感覚があると思ってて。しかもなぜ私が『自由が丘』を見たときに、夢から覚めた後のことを重ねてしまったかっていうと、『夜の浜辺でひとり』の最後のシーンは、キム・ミニ演じる主人公が夢から覚めたところで終わるんですけど、『自由が丘で』も同じで、最後のシーンで加瀬亮は寝てて、目覚めたところで終わるんですよ。って考えると、『自由が丘で』での時系列はバラバラなので、そのひとつ前のシーンはハッピーなエンディングのように見えて、実は夢であるとも思えてくるわけなんです。

ハン 手紙の中が夢だってことですよね。

西森 そうです。手紙の中の一部分が夢のようにも見えるという。『夜の浜辺でひとり』を見たあとに、そういう風に考えてみてしまった、っていうことです。で、クォンは手紙落としたときに、一枚は拾えてないんですよね。それとかもすごく気になりました。

ハン うんうん、なるほどね。だから、ピースを埋め合わせるのが、埋め合わせになってなくてむしろ欠落っていうか。手紙に書いていたことも本当かどうかわからないわけで。もちろん映画そのものがフィクションなんですけど、もうちょっと、本当でないかもしれないという二重性みたいな話ですよね、たぶん今の話って。

実はノンポリではない⁈


ハン ちなみにホン・サンスってめちゃくちゃ多作な人で、年に1本くらい作っている。2014年が『自由が丘で』で、次の年の『正しい日 間違えた日』(2015年 ホン・サンス監督 韓国)がキム・ミニが初めて出た作品で、そこからが「キム・ミニ以降」っていう新しいフェーズに入っていくんですけど。

 そういう中で、『自由が丘で』って、特異とまでは言わないけど、ホン・サンスのフィルモグラフィーの中では面白い位置にいる作品だと思っていて。いっぱい作っている中で、まずは唯一日本人が出ている作品です。で、ホン・サンスって一般的な評価としては、さっきも少し話しましたが、いわゆる韓国映画的な社会性とか政治性がない監督だと言われているのですが、改めて観てみると、そうだろうかと思う疑問があって。

西森 そうですね。

ハン 『自由が丘で』を最初に観た時は、むしろものすごくそういうことを感じていました。2014年というのは、当時の李明博大統領が2012年に日本で言う竹島、韓国で言う独島に上陸したことを機に、日韓関係がものすごく悪かった時期なんですね。そんな時期に日本人俳優が出ているということ。あと、声高には言わないけれど、でもはっきりセリフでありますよね。ユン・ヨジョンが演じている宿の主人が、人種的なステレオタイプみたいなことというか、日本人は礼儀正しくて、っていうのを二回繰り返すんですが、最初に言った時に、加瀬亮扮するモリは「そういうことじゃない、韓国人だっていろんな人がいるでしょ」と返すんです。

西森 そうですね。モリが「でも、礼儀正しくて清潔だからという理由で、誰かを愛したり、尊敬したりしません」って言うんですよね。よく、海外の人は日本の人のことを、「礼儀正しい」と褒めてくれるけれど、そんなことで我々が喜んでいてはいけないというか。そういう礼儀正しくて、ぱっと見、人を「不快にさせない」ことが、人とつきあうときに重要なことではないんだなっていうことを、最近すごく思うので。それって、単にうわっつらなんですよね。

ハン そうですね。一見ほめているようだけどステレオタイプな決めつけだし、ホン・サンスお得意の「反復」を使うことでそう思わせる効果が増している。しかもそれを韓国人側にやらせ、日本人が否定するという構図。くどいようだけどあの時期に韓国人監督が韓国映画でそれをやるっていう。

 もうひとつ、英語っていうのもポイントだと思っていて。韓国人が英語をしゃべり、日本人も英語をしゃべり、アメリカ人が韓国語をしゃべっていたりとかするんです。全員がネイティブではない言葉でコミュニケーションしているというのも、なんかすごく、ステレオタイプみたいなものから離れようとしているというか。フラットさを目指しているというか。加瀬亮の言動とかも、日本語だったら言わないようなことを言っているようにも見えて。クレームをつけたりだとかね。宿の主人が自分の身内にだけ朝食を出すことに怒るところとか(笑)。

西森 あと、モリが韓国で語学学校の教師をしていたのに、同僚の教師と喧嘩して学校をやめてるとかって、外国でそんなことをしたらトラブルメーカーだと思われちゃうんじゃないかって思うけど、この映画の中では、そういう気持ちを隠している人よりも、思ったことを言う、ある種の日本人のステレオタイプからかけ離れた人を加瀬亮が演じていましたよね。

ハン そうそう。みんなが英語を話していることで、韓国人もある意味韓国人っぽくないし、日本人も日本人っぽくない。英語だからあまり難しい話はできないけど、お酒飲んだりしてなんとなくコミュニケーションしていて、仲よくなったりセックスもしちゃったりしているという。こういうグダグダな感じ自体はホン・サンスのいつものフォーマットなんだけど、なんか私はメッセージみたいなものを感じて。

西森 私、日本の人の特異性みたいなことを考えたんです。言いたいことを言えずににこにこして、何を考えているのかわからない、っていうのはありそうだから。でも日本の外の人から見ると、怒りというか、腹立ったりしたときにそのまま言うというのは気持ちいいとされるんだな、と思いながら見ちゃいましたね。

ハン うん、西森さんも英語、がんばったらいいんじゃない?(笑)

西森 言語の問題もあるけど、それ以上に、日本の中での気持ち悪さっていうものが最近気になっていて、中からも見直したほうがいいんじゃないかと思っていて。まあ「おもてなし」とかもそうなんですけど。

ハン 2008年の『アバンチュールはパリで』っていう作品があって。韓国語のタイトルは全く違っていて、原題は、直訳すると『夜と昼』。まあパリなんですが、浮気したり、男女がなんやかんやしているっていうパリである必然性はあまりないような映画なんですが、そこに「北朝鮮の人」が出てくるんですよ。北朝鮮からフランスに留学している、という設定で。で、その頃も、南北関係が悪かった時期なんですよ。まあちょっと後付けで言っているようなところもあるけれど、2006年に北朝鮮が初の核実験をして、その2年後なんですよね。そんな時期に北朝鮮からの留学生役を映画に登場させたのも、ちょいちょいちゃんと時代に寄り添うというか、問いかけというと大げさだけど意味はあるのかな、って思ったんですよ。

西森 そうですね、時代時代で、意外と、そのときの感覚が反映されてるんじゃないかってことが、後になってわかる感じはありますね。

ハン キム・ミニが最初に出たのは2015年の『正しい日 間違えた日』で、その2本後が2017年の『夜の浜辺でひとり』で。それ以降は女しか出なくなるという。

西森 男性がしゃべってる映画ばかりだったのに。

ハン そしで2020年の『逃げた女』は、女しか出てません(笑)。監督とキム・ミニとの個人的な関係というのもあると同時に、やはり韓国だけではないですけど、2016年以降のフェミニズムの盛り上がりみたいなものもあって。なんかそこへの、ホン・サンスなりの何かなのかな、というか……。

西森 そうですね。しかもそれが今の時代に共有されているフェミニズムの解釈ともまた違う感じがあるのが。

ハン そうそうそう。

西森 それが面白いんですよね。

ハン 自分のフォーマットでやっているだけなんだけど、そういうかたちで時代性が反映されているというような気がして。で、中期ぐらいの作品は大体情けない男の話を……というか、情けない男が出てくる。でも最近の何作かは、情けない男は出てこない。情けない男や変な男がいたよねっていうエピソードを女たちが話しているだけで、もはや男が出なくなってきている。

ズームアップ、とぼけた味、噛み合わない会話……ホン・サンス作品の魅力

西森 『逃げた女』の話になるんですけど、この映画って、キム・ミニ演じるガミが3人の女性のところに行く話しなんですが、その3人のところを訪れる間に必ず山のズームアップがあるのはめっちゃ面白くないですか(笑)? なぜこんなに山を……(笑)。

ハン 山だよね(笑)。

西森 毎回毎回山をズームアップするんですよ、どこかから。なんかそれが、どういう意味なんだろうなって思って(笑)。

ハン たぶんあんまり意味はないと思う。

西森 え、でもちょっと意味があると思うんですよ。あんなに毎回ズームアップするんですよ。いろんな周辺の町から、真ん中にある山をいろんなところからズームアップするというのは……。

ハン 3つのパートを結びつけるのりしろみたいな効果とか、そういう気がするけど。みんな疲れて逃げてるっていうことかな? 都会から(笑)。

西森 私は山って、エピソードとしてしか出てこない男性みたいだなと思って。それってガミの夫かもしれないし、なにか彼女たちをつなぐ存在としての不在の男性と山が重なってるのかなと思うと、なんかそのズームされる妙な山の存在感の滑稽さが際立ってしまって笑えるというか。

ハン なるほど……。どうですかね? 皆さん観て、判断してみてください。

西森 でもほんと笑えるんですよ、その山が。

ハン でも基本的にさ、ホン・サンスのズームって笑えるじゃん? 映画祭とかで評価されてるし、ホン・サンスの映画って、気取った映画だと思われてるじゃないですか、割と。すごく映画好きとか、映画マニアの人が凄い、凄いって言ってて。何が起きているのかよくわかんないけど、すげえっていう風に言われている系の映画じゃない?

西森 そうなんですよね。

ハン なんかあのズームって、そうじゃないよ、って言ってくれている感じというか。笑っていいんだよ、っていうか。

西森 わかります。別に映像自体がおしゃれな感じとかでもないんですよね。ズームがそれを物語っていて。

ハン うん、私、あのズームにすごく愛を感じるんですよね。ほっとするというか。難しく観ないでいいよ、と言ってくれているような。あのズーム、超ラブです。ホン・サンスのズーム大好きです。

西森 私は初めて観た(ホン・サンス作品)のが『3人のアンヌ』だったので、けっこう気取った映画っていうイメージを持たずに済みました。

ハン あれもめちゃくちゃ面白いですよね。

西森 なんかずっと笑ってたんですよね、ずっとすっとぼけてて。

ハン とぼけてて、コントみたいですよね。この時期の作品、全部コントみたいだったような。2010年の『ハハハ』とか。

西森 『逃げた女』も暗い感じにはなってくるけど、笑えるところは笑える。

ハン うん、そうですね。

西森 だから『自由が丘で』も、ずっと面白かったですね。モリが、宿の主人の身内で宿に住まわせてもらってる男性が昼過ぎに朝食を出してもらってることを「ズルい!」って文句を言ったりもしてて、笑えるんですよね。だってあんな文句言ったら、居づらくなっちゃうじゃないですか、宿に。しかも、本人が食べてるところで。でも、思ったことは言っちゃう。

ハン うん、そのやり取りの最中、ずっと本人の背中が見えてますよね。俺がいるところでそんな話するなって彼は言ってましたけど。

西森 その後、モリも「食べる?」ってユン・ヨジョンさん演じる主人にも気を使われてて。

ハン その後、その男性とも仲良く飲みに行ってましたしね。でもだから、日韓関係って言うとちょっと重くなっちゃうかもしれないけど、異文化コミュニケーションってあんな感じでいいんだよ、っていうか。

西森 全部が全部、相手に気を使いまくらなくてもいいんだっていうか。本心じゃなかったら、そっちのほうが気持ち悪いよっていう。

ハン そんなにうまくない英語でもいいし。私、2014年の公開当時、雑誌にこの映画の短いレビューを書いたんですけど、まあそんなこととともに、今この国にはこういう映画が必要って書いたら、編集に「この国ってどういうことですか?」って指摘されて若干険悪な感じになったんだけど、そういう空気も含め、日韓関係や嫌韓みたいなものも念頭に起きつつ、西森さんがさっき言ったことと近いというか、みんな、加瀬亮みたいな感じでいいんじゃない?というか。そういうのが必要というか。

西森 うん、割と好きに何か言って、それを引きずらない感じがいいですよね。そうありたい。

ハン 人の記憶なんて断片的なものなので。とはいえ個人と個人ではなく国と国だと忘れちゃいけないことはあるけどね。

西森 でもそれって、この国で生きているとすごく難しくて。私、ハンさんと『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』を作ってみて、やっぱり食い違う意見があるときも、それを率直に言い合うっていうのは、私たちにはできたけれど、相手によってはものすごく難しいことだなと思って。食い違うことを言い合って険悪にならないっていうのはホントに難しくて……。会場の皆さん、めっちゃうなずいているけど(笑)。この本の中にも会議のことも出てきますけど。流れと逆のことを言うと、「その意見の持ち主を悪く言ってるみたいになるからやめましょう」って空気になっちゃうから。だから本当に難しいんだけど、それ故にホン・サンスのこの映画とか観ていると、そんなに難しいことじゃないんじゃないの、って思えるからいいですよね。

ハン そうそうそう。すごく元気出ます。私昨日、具合悪かったんですけど、今日久しぶりに見て元気になりました。

西森 うん、でも、具合悪くなるとか、空気悪くなるとかっていうことに、そういうのって、思ってることを言えない空気とすごく関係してると思うんですよ。思ってることを言えないけど、変に気を回したり、でも、それがバレているから、向こうも無駄に気を使ったり。そういうことがエネルギーを食ってると思うし。今の社会をみても、組織が失敗するのも、まわりまわって関係あると思うんですよ。

ハン 『自由が丘で』って、今こそ公開したらいい映画なのかも。

西森 そうかもしれないですね。結局、私たちの本とホン・サンスの共通点は、噛み合わない会話は……噛み合わないとまでは言わないですが、違うこと言ってる会話でも、違うままでも続けた方がいい、っていうことかと思うんですよ。

ハン なるほど。

西森 違ってもいいんですよっていうか、だって『逃げた女』だって、全然噛み合ってないんですよ。噛み合うことだけが会話じゃないって思える。

ハン うん、それはちょっとわかる気がするな。だって『自由が丘で』の登場人物たち、みんな楽しそうだったと思いませんか? 噛み合ってないのに。

西森 そう、噛み合ってないのに。

ハン 噛み合ってないし、お互い好きかどうかもわからないという(笑)。なんとなくそこに居て。なんか、お酒飲んでればいいというか。まあお酒でいいのかってのはちょっと別の問題もあるかもしれないけど。

西森 時々ケンカもしながら。この映画で、モリが泊まってる宿に住んでる男性、朝食を食べてて文句言われてたサンウォンと、彼の友人の白人男性と三人で居酒屋で酒を飲んでるシーンがあるんですけど、その白人の男性が何度かグラスを持って自分で飲もうとしてるのか、もしくは乾杯しようとしてる感じなんだけど、3人のタイミングが合わないみたいなこともすごく面白くて。別にタイミングが合うことだけじゃないんだよ、っていう気がしてます。

ハン してます。私たちの会話もこう、断片的なというか……(笑)。

西森 最近は、テレビでも、事前にアンケートとって予定調和でやる話とかは見ててつまんなくなってきたし。偶発性とかなにがおこるかわからないほうがいいなって思うんですよね。

ハン ホン・サンスもそういう監督ですからね。人が一緒に居ることでなにがおこるかっていうことなんですよね、おそらく。最近はさらに省略されてミニマムになってきているように思うし、今日話したような部分も、意図的なのかどうかわからないけど、でもまあとりあえずそこが面白い、とは思っています。

(2021年5月15日 川崎市アートセンターにて)

構成:西森路代

著者プロフィール
西森路代
(にしもり・みちよ)
1972 年、愛媛県生まれのライター。大学卒業後は地元テレビ局に勤め、30 歳で上京。東京では派遣社員や編集プロダクション勤務、ラジオディレクターなどを経てフリーランスに。香港、台湾、韓国、日本のエンターテインメントについて執筆している。数々のドラマ評などを執筆していた実績から、2016 年から4 年間、ギャラクシー賞の委員を務めた。著書に『K-POP がアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK 出版)など。
Twitter:@mijiyooon

ハン・トンヒョン(韓東賢)
1968 年、東京生まれ。日本映画大学准教授(社会学)。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンを中心とした日本の多文化状況。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006)、『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』(共著,勁草書房,2017)、『平成史【完全版】』(共著,河出書房新社,2019)など。
Twitter:@h_hyonee

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『韓国映画・ドラマ――わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』
四六判/並製 284ページ
ISBN 978-4-909646-37-8
定価(税込み) 1,870円(税込)




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