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原発事故から10年の区切りで『原発の町を追われて~』新作を制作! 包丁を時々カメラに持ち替えて~給食調理員のドキュメンタリー制作記(前編)

 2011年3月に起こった東日本大震災と福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)の事故。これらをテーマにした映画は数多く制作・公開されている。その中の一本であり、福島第一原発が立地する双葉町とその住民たちを記録した『原発の町を追われて・十年』というドキュメンタリー映画が、この7月に完成した。この映画を作ったのは、さいたま市の小学校で給食調理員として働く堀切さとみさん。すでに、2012年、2013年、2017年に制作したものが三部作*1)としてDVD化されており、自主上映会は200回を超えた。日本国内だけでなく、韓国や香港の映画祭でも上映され、アメリカの大学院の授業(*2)で使われた。
 10年間、双葉町を追いかけた思いはどのようなものだったのか。そもそも、給食のおばさんが何故、映画を撮るようになったのか。二回にわたり、その手記をお届けします。

ズブの素人が映画制作と出会った


 大学を中退してからフリーター生活を送っていました。それでも時はバブル崩壊前。さほど生活に困らない20代を過ごしました。バイト先の店長に「何でもいいから就職したほうがいいよ」と言われ、28歳で給食調理員になりました。「給食が好きだったし、夏休みがあるからいいかな」くらいの動機でこの道に入ったのですが、女だけの職場はかなり大変でした。周りは「姑」だらけで、独身なのに嫁さんになった気分。汗だくになってホースの水をがぶ飲みしながら、大きな釜を大きなヘラでかき回す日々でした。


 仕事にも慣れ、いつの間にかいっぱしの「給食のおばちゃん」になったものの、悩みはありました。同僚たちは子育てや親の介護に必死になっているというのに、私は結婚もせず、子どももいない。40代を迎え、人生何度目かの「自分探し」をしていた頃、学生時代の友人とばったり再会したのです。彼女は「あなたもできる!三分ビデオ講座」というチラシを私に手渡して言いました。「やってみない? 堀切さん、ドキュメンタリー好きだったじゃない?」 
 たしかにNHK特集や『ザ・スクープ』など、さんざん観ていました。でも、私たちは観る人。作るのはマスコミや映画監督だよね?
 ところが彼女は「3分の動画で自分の伝えたいことを表現する講座だよ。きっとドキュメンタリーも作れるよ!」と軽い調子で言う。しかも、8回の講座で確か1万円ほどという破格の講座料。たまたまソニーのハンディカムを購入したこともあり、四十の手習いのつもりでやってみることにしたのです。

鉄則は二つ「カメラを動かすな」「音を大事に」


 平日の夜。高田馬場の教室には、いろんな年代の人たちが20人ほどが集まっていました。講師は映画学校の先生というよりも、労働運動の活動家という感じの人で、これからはマスコミだけじゃなくて、市民が情報を発信する時代だと力説していました。生徒さんたちも、映像とは無関係な仕事をしながら、ただ何かを表現したいという人が多かったのです。もしアート系だったり、カメラに詳しい人ばかりだったら、私は早々に退散していたでしょう。私にはとても居心地のいい場所に思えました。「何に関心があるか」「何を撮りたいか」が自己紹介代わりになり、その話を聞くだけでも大いに刺激になったのです。


 私たちはそこで、基本的な撮影の仕方、インタビューの練習、編集ソフトの扱い方など、映像制作に必要なことをひと通り教えてもらいました。撮影に使うのは、小型の家庭用のビデオカメラ。プロ用のでっかいカメラなどは使わない。操作はカンタン、ボタンを押せば撮れる。
 撮影上の注意点は二つだけ。ひとつ目は「カメラを止めるな」ではなく、「カメラを動かすな」。もうひとつは「音を大事に」ということ。ハンディカムは外付けマイクを取り付けることができません。だから、インタビューはできるだけ近づいて撮る……何もかもが目から鱗でした。

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祝島を撮りに行く


 まずは素材集めです。家族を撮る人もいれば、お気に入りのお店を撮る人もいました。私が選んだのは、瀬戸内海にある祝島(いわいしま)という島でした。この島の対岸に、上関原発(*3)が建設されようとしていて、9割の島民がこれに反対していたからです。
 私は以前から原発には反対でした。理由は三つ。①日本は世界一の地震大国で、大地震がくれば原発はひとたまりもない。②原発で働いている労働者は、日々被爆を強いられている。③原発を動かすことによって核のゴミが出て、それを処分する方法がない。……原発のないところに住んで、原発の恩恵を受けているくせに何を言ってるんだよと言われそうですが、じゃあ反対する資格がある人っているんでしょうか? 原発が立地する町の人たちは何かあったら一番危険な目にあいます。まさに当事者であっても、何も言えないのですから。
 
 ……と、ここまで読んで下さった皆さんは「給食のおばちゃんっぽくないんじゃね?」と思ったかも知れません。でも私は、原発をはじめ社会で起きていることのアレコレを、ドキュメンタリーによって教えられたのでした。実際、給食調理の世界にも、ドキュメンタリー好きな人間はいるものなんです。ただ、職場で話をする機会がないだけで。

 話を戻します。3分間のビデオのために、いざ祝島に行こうと準備をしていたら、二人の映画監督が祝島の映画を撮っているという情報が入りました。たちまち不安になる私。「プロが必死でカメラを回している所に、素人の私がノコノコ出かけていいのか」と。そのことを講師に話したら、「同じ現場でも、作り手によって出来上がったものは全部違う。あなたはあなたの視点で撮ればいい」と言われ、ほっとしたのを覚えています。今でも、自分の支えになっている言葉ですね。どうせこっちは素人なんだから、素人なりにやってみようという気持ちになれました。ついでに言うと「ドキュメンタリーはいくつから始めてもいい。むしろ年齢を重ねたほうが深いものが撮れる」と言われたのも、大いに励みになりました。

 結局、島の人の話をほとんど聞くこともできないまま、遠慮がちに祭りや風景を撮るので精一杯でしたが、音楽やナレーションを入れて3分間の映像に仕上げて、最終日にスクリーンに映してもらったときには、本当に感動しました。今でこそ、誰でもYouTubeに簡単に動画をアップできるようになりましたが、スクリーンで観てもらう、そして感想を直接言ってもらえるという体験は、何にも代えがたいものだったのです。また、同じ3分でも作品によっては長くも短くも感じる。すべては編集次第ということも学びました。

3分から20分へ


 ビデオ講座は終了しましたが、3分だけでは飽き足らず、もっと祝島の人の話を聞いて、きちんとしたドキュメンタリーを作ってみたいと思いました。そこで、島好きの男友だちを連れて再び来島。その時に泊った民宿の親父さんの話が魅力的で、私はつい「撮らせてもらっていいですか?」とお願いしていました。と言っても、テーブルの上にカメラを置き、録画ボタンを押すだけ。親父さんは自分の生い立ちから島の魅力まで、さも愉快そうに話し、そこに男友達が絶妙な突っ込みを入れ・・・。インタビューというと堅苦しいですが、フツウの会話の中にキラキラ光る言葉や本音があふれている。カメラを通して、そんなことを発見しました。
 ところが翌日、他の島民から「あそこの民宿は原発容認だよ」とさげすんだように言われ、驚きました。親父さんは「原発出来たら、島に住めなくなる」と言っていたのに。どうして?と聞いてもよくわかりません。狭い島の中で、ひとたび噂が立つとなかなか厄介です。何があったのか私にはわかりませんが、嫌われても逃げ場はない。そんな島の中で、飄々と生きている親父さんは、私にはとても人間力のある人に思えたんですね。私は「原発反対」「賛成」を軸にするのでなく、この島に生きる様々な人を撮るほうが面白いと思うようになりました。

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(写真は一番上から順に)波止場に座っていた男性が気さくに話をしてくれた。祝島には「原発反対」の看板がいくつもある(上)。千年続く『神舞』の入船神事の様子。四年に一度の祭りで、2008年はちょうどその年だった。普段はあまり人がいない島だが、祭りの時は里帰りする人や取材の人達であふれかえる(中)。祝島は急傾斜が多い。山の中腹から海を見下ろしたところ(下)。


 まったく知らない島でも、カメラを持っていると、どんどん知り合いができる。道を歩いてるだけで「それじゃったら、こういう人がおるけえ」と教えてもらえる。何人かの人を撮らせてもらって『神の舞う島』という20分ほどの作品ができました(写真下:祝島を撮ったDVテープ)。

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 その頃すでに、二人の映画監督による祝島の大作が完成し、劇場で公開されていました。二つの映画には遠く及ばないながらも、自分なりに思いを形に出来たことで、私は満足でした。友人が公民館を借りて、上映会を開いてくれたりもしましたが、SNSが発達した今なら、もっと知らない人に観てもらえたかもしれないと思っています。
 それから三年経って、福島原発事故が起きました。(次号に続く)


*1 三部作…福島県双葉町とそこから埼玉県に避難した双葉町民の姿を追ったドキュメンタリーで、2012年、2013年、2017年に制作したもの。これらを完全収録したDVDは『原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録』のタイトルで、販売している。自主上映会の企画も受け付けている(DVD注文・問い合わせ先(堀切) 【 Eメール】vzq13340@nifty.ne.jp)。

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*2 大学院の授業…ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にあるニューヨーク州立大学ハンター校の大学院、MFA in Integrated Media Arts というプログラムで教材として使われた。
*3 上関原発…中国電力が瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関(かみのせき)町に建設を計画中の原子力発電所。2000年代から現地での調査・計画が進められ、2010年に予定地内の埋め立て工事が着工されたが、周辺住民の間で賛成派、反対派の激しい対立が生まれ、反対派(上関町の離島である祝島の住民や祝島の漁民に加え、原発反対活動グループなど)の実力阻止に加え、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故の影響により工事は中断されている。


文:
堀切さとみ

著者プロフィール
堀切さとみ(ほりきり・さとみ)

1965年生まれ。千葉県出身。埼玉県さいたま市の小学校で給食調理員として働く。2008年に市民メディア講座МdeiRを受講し、祝島や障害者のショートムービーを作った。2011年3月11日の福島第一原発事故をうけて、埼玉県に避難した双葉町の人達を取材し『原発の町を追われて』シリーズを制作している(詳しくは『原発の町を追われて』公式HPを参照)。
Facebook:https://www.facebook.com/satomi.horikiri.1

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