それは青春のパフォーマンスなのだ

高校時代はバンドブーム真っ盛りの80年代後半。
自分もブームに乗ってバンドを組んでいた。
ベース(と小噺)を担当。

文化祭のライブはバンド活動の集大成。客の入りやノリがすごく気になるのは至極当然のこと。
自分たちの演奏をちゃんと聴いてくれてるかな?MC代わりの小噺で受けてくれてるかな?といちいちお客さんの反応を気にしていた。
ロックが大好きなのにロックしていない、そんな生真面目で小心者な集まり(バンド)だったのだ。

ライブでノリノリになると、演奏者たちは「とある行動」に出たくなる。
ボーカルがマイクを客席に向けて一緒に歌う、
ドラムがドラムスティックをこれでもかとクルクルと回す、
ギターやベースは楽器を振り回したり、コーラスで歌に参加する…
ライブの醍醐味の一つなのである。
そして…ギターやベースを弾く際に使用するピックを観客席に投げ入れるというパフォーマンス。
この行為がこれからお話しする残念な思い出のひとつだったりする。


当時にぐいーんと遡る。
ライブのリハーサルの時、ギター担当と音楽雑誌を読みながら「ピック投げるの、いいよねー、憧れるよねー」みたいな会話になった。
いろんな「つて」をたどって頭下げてお願いして来場してもらうようなバンドなのに、ピックを投げられたら観客はどうなるのだろう?という考えがあるにはあったけど。

しかし「投げたいんだよ…憧れなんだよ…」という考えが季節外れの入道雲のようにモクモクと膨らんでくる。
(この時点で演奏のテクニックのことは置き去り、パフォーマンス大事マン状態)

いやまて。
「ステージから物が飛んできた」「知らないやつのピックもらってどうすんだよ」「お賽銭?」
なんて言われるのではないか?なんて小心者的な話し合いもした。
(演奏曲に関しての打ち合わせは二の次)
でも最終的に投げたいんだよ…には勝てず、「せっかくだからやろう、盛り上がるだろう」ギターとベースの自分は盛り上がる。


「ピックを投げる」ライブ当日。ライブの最後の曲のラストでそれは決行された。今までで一番いいフォーム。それも一番遠くへ。
観客席は暗くて見えない。特定の誰かに向かってではないけど、渾身の力で投げた。
瞬間脳裏によぎる『誰かキャッチしてくれるよね…』『おでことか目に当たってクレーム来ませんように…』『お賽銭と間違えられませんように』という期待と不安の気持ちが入り乱れながら。


ライブ終了。観客たちは会場を後にする。
ギターと自分は裏手から観客席に向かった。掃除をするのではない。投げ入れたピックはどうなった?を確かめるために。
ピックが落ちていたらそれはショックなので、必死で『ピックありませんように』と複雑な気分で探した。

10分ほど探したけど、ない。どこにも落ちてない。
ギターと自分は目を合わせ「やった!誰か持ってってくれた!」と満面の笑み。然るべくして成功したのである!


そして数日後、ギターと自分が話をしていると、クラスの真面目そうな女子が目の前にやってきた。
投げたピックを差し出す彼女。ポカンとする自分たち。
「俺らからのプレゼントだ、持っててくれ」と言おうとするのを妨げるかのようにこう言った。


「これ、あなたたちのでしょ?演奏するのに必要なものだと思うから返すね。小さいけど安くないんでしょう?ものを粗末にしない方がいいわよ。ね?」

最後の「ね?」って…お母さんかよ、と突っ込む暇もなく「はい」と条件反射的に頷き、ピックを手に取る自分たち。
ご丁寧にギターと自分の2枚手渡された。彼女はちゃんと見ていたのだ。さぞや「ものを粗末にする輩」と思ったことだろう。

その後ピックがどうなったかは覚えていない。たぶん、ベースケースの中にあるんじゃないかな…でもなぜか確認できない。
彼女のまっすぐな善良な行為と、自分たちの「若さ溢れるカッコつけがズッコケ」たことが心に残る。



当時、その彼女に「拾ってくれてありがとう」となぜ言わなかったのか?

違う違う。
「それは俺たちからのプレゼントだ、青春なんだ…
いや受け取ってください、もらってくれないと僕たち恥ずかしいんです!」と頭を下げて言うべきだったのだ。

(この記事は2015年9月のものを再編しました)

#キナリ杯  

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