小松菜(露地栽培)

雑記帳。脳内に浮かんだり溜めてある「どうしようもないこと」を書き留めておく場所として使…

小松菜(露地栽培)

雑記帳。脳内に浮かんだり溜めてある「どうしようもないこと」を書き留めておく場所として使用。ツイッターでも同名(vamos_tokyo)でつぶやいています。RT多めだけど。猫のことは『ドコノコ』とここで記録をば。

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最近の記事

それは青春のパフォーマンスなのだ

高校時代はバンドブーム真っ盛りの80年代後半。 自分もブームに乗ってバンドを組んでいた。 ベース(と小噺)を担当。 文化祭のライブはバンド活動の集大成。客の入りやノリがすごく気になるのは至極当然のこと。 自分たちの演奏をちゃんと聴いてくれてるかな?MC代わりの小噺で受けてくれてるかな?といちいちお客さんの反応を気にしていた。 ロックが大好きなのにロックしていない、そんな生真面目で小心者な集まり(バンド)だったのだ。 ライブでノリノリになると、演奏者たちは「とある行動」に出

    • あさがお

      昼休みにボーっとしてたらふと思い出したこと。 小学生低学年の頃、理科の授業の一環でクラス全員でひとりずつ鉢を用意して朝顔を育てましょう!というのがありました。 そして、クラスのひとりだけ「ひとつも芽が出ない」というよくありそうな些細な事件が発生しました。小学生時分だからそれだけでクラス中が「ザワザワ」してしまい、その子と先生はバツ悪そうな顔をしてた。 そんなことがあってから数日後の朝早く、一番で登校したら先生が双葉が出ている苗をその子の鉢に植えているのを見てしまったので

      • ピラフとコーヒー

        20年前に勤めていた会社の近くにある、喫茶店に行きたい。 その喫茶店の「ピラフとコーヒー」を食べたい。 そのピラフは冷凍のものを火にかけただけ、コーヒーもチェーン店の味だったのだけど、なぜか記憶に残っている。 その会社のことはあまりいい思い出が無くて、記憶をどうでもいいところに追いやっているけど、その店だけは懐かしめる記憶の中に入っている。 当時はなんとも思わず、普通に利用していた店なんだけどな。何が違うのだろう。 思い出した。 この会社に勤めるということで自分の

        • ネコを飼いつづけて、の備忘録

          3年前の8月に生後2か月の子猫がうちにやってきた。 その備忘録というか親バカっぷりは「ドコノコ」というアプリで公開しているのだけど、日々の記録ってSNSやブログでは上げていなかった。 (手帳を買って体重や食事のことなどは書き記してあるけど) というわけで(いまさらだけど)noteには思ったこと、感じたことなどを書き記しておこうと思う。 いま一緒に暮らしている猫の名前は「こまち」。 秋田生まれの女の子。小心者だけど好奇心旺盛。 そんな子のことを、時系列ぐちゃぐちゃに

        それは青春のパフォーマンスなのだ

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        • おもいでがたり
          11本
        • こまちの日記(備忘録)
          1本
        • そんなオチでいいのか?
          2本

        記事

          いまをたいせつに

          道徳っぽいタイトルだな…と思うけど、これしか思い当らなかった。 気に入っていたお店だけど、ちょっと足が遠くなっている。 「そのうちいけばいいや」「来月でいいや」「気の向いたときに行こう」 これ、ダメですね。 思い立ってお店に行ってみたら「閉店しました」「長らくのご愛顧ありがとうございました…」ということが最近頻発してしまった。 「行けるときに行く」これに限る。 これって人に対しても言える。 「いつか遊ぼうね」なんて言ってると永遠に会えなくなってしまう縁があるとい

          いまをたいせつに

          歌における「ららら~」「るるる~」などのスキャットは甘えだと思ってました。(今は違います)

          歌における「ららら~」「るるる~」などのスキャットは甘えだと思ってました。(今は違います)

          もうできないこと

          もうこの年齢になるとできないこと。 たとえば夏フェスに参戦。 そんな話を知人にすると… やればいいじゃん! 年齢関係ないじゃん! 周り気にしなくていいじゃん! そんなふうに色々言われる。「やればいい」って。 確かにそう。「やればいい」。それだけのこと。 今は今で楽しいだろうしできないわけじゃない。 でもやらない。やりたくない。 なぜか。 自分がやりたいのは「20代で経験する夏フェス」だから。 もうそれとかけ離れてしまった今の年齢ではできないのです。

          もうできないこと

          自分の棺桶に入れてもらいたいCDリスト10枚

          Selling England By The Pound (Genesis) ALPHA (ASIA) Delicate Sound Of Thunder (Pink Floyd) A Show Of Hands (Rush) Landmark (Salyu) 5150 (Van Halen) Tower Of Music Lover (くるり) S(o)un(d)beams (salyu×salyu) ラプンツェル (Cocco) Hunting High

          自分の棺桶に入れてもらいたいCDリスト10枚

          トラウマクリスマス

          Merry Christmas メリークリスマス 聖夜 ジングルベル 12月25日 クリスマスケーキ …。 クリスマス関連の言葉を見る・聞くだけで、胸の奥で何とも言えないドロドロとした感情が湧き出し、頭の中ではものすごい勢いでベトっとまとわりつくような気分になってしまう。そして吐き気すら覚えます。 要するに、クリスマスが嫌いなのです。 人生で多感な時期、中学から高校時代に思い描いてきた「こうありたいというクリスマス像」が成就するどころか、まったくの暗黒期だっ

          トラウマクリスマス

          そういうこともあるのかと

          信じるか、信じないか。 この手の話には「そんなの信じない、あるわけないよー」と言い続けてきた。 しかし今朝から「そういうこともあるんじゃないのかな」という、そんな話。 今年の夏、病に伏せてから約半年、一度も見舞える機会もなく同僚が亡くなった。 入院してから少しの間はメールや電話で仕事のことなどを教えてもらったりしていたのだけど、病状が思わしくなくなったころから連絡が取れなくなった。 そして今年の暑い夏の日に、お見送りをした。久しぶりに会ったわけだが、最後の挨拶は一方

          そういうこともあるのかと

          10月の雨降りの日曜日

          10月。 雨降り。 日曜日。 ひとつひとつの単語にすると何の感情も出てこないのだが、3つをくっつけると途端にあの日を思い出してしまう。 それは16年も前のこと。 10月の雨降りの日曜日、当時お付き合いしていた女性と別れた。 それだけ?と思う方もいるだろうが、当時の自分にとっては大事件。 今も引きずってるの?と聞かれたら『ノー』と言い切れる。 なのに、その日のことを思い出させるキーワードとしての『10月の雨降りの日曜日』が苦手なのでした。 その数ヶ月前の夏の暑

          10月の雨降りの日曜日

          無意識下の自分について

          昨日見た夢。 外を歩いていると注目されているような気がする。 帰宅する。家でも家族と会話はない。 しかし、家族から「あなた、誰と話しているの?そして何故そんな行動をするの?」と怪訝な顔で問われる。 よくよく聴くと自分には気づかないのだが何かを言ったり、何か行動しているようだ。 そこで目が覚める。 無意識のうちに何かをしているのではないか、と自分に問うてみる。 人からも何も言われないし、奇妙な目で見られていないという事実だけで 「自分の無意識下で行動はしていない

          無意識下の自分について

          お年玉付き年賀はがき

          お年玉付き年賀はがき、今年の当選番号はこれ。 http://yubin-nenga.jp/otoshidama/ 今は昔、高校2年の時の年賀はがきのお年玉の当選発表があった日。 夕方になってとある友人から電話がかかってきた。 電話に出ると開口一番 「当選おめでとう…」 最初は何のことかわからず、???って黙ってると 「俺が送った年賀状、当選してるんだよ。それだけなんだけどさ。見ておいてよ…」 と言って、あとは今年もよろしく的な会話をして電話を置いた。 翌日の

          お年玉付き年賀はがき

          死について考える

          昔は死にたくなかった。死ぬことが怖かったからなのだろう。 それは自分の死もそうだけど、他人についての死も同様。 思えば幼少の頃、自分の母親が死ぬということを怖がって夜中布団の中で泣いていた。 誰かがこの世から居なくなる恐怖。そこから来ていたんだと思う。 死という意味自体が受け入れられなかった。 そして今。 死ぬことに対する恐怖はだんだんと薄れてきている。恐怖というより不安の要素の方が上。あちらでの生活?や残された人たちへの想いに対する不安の方が大きい。 恐怖が薄れてきた

          死について考える

          クリスマスについて

          自分が思春期だった頃のクリスマスに関する思い出…今思うと自分がかわいそうに思えてくる。今回はそんな情けない小話を。 この時期になるとTVで流れる、JR東海の「クリスマスエクスプレス」とアルペンのCMに異常に拒絶反応を過ごす日々。山下達郎の作曲センスが恨めしく、プレゼントの送り合いを煽る業界と、異様にクリスマスを盛り上げるための装飾、赤と白の色を見ただけでもダメ。ただひとこと「クリスマス、キライ」。 それもこれも「クリスマスに一緒に過ごす人がいない」。ただそれだけの偏屈な理

          クリスマスについて

          元上司の逝去の報を聞いて(毒吐き閲覧注意)

          【この文章は積年の恨みを吐き出していますので、ライトで楽しい文章を読みたい方は読み飛ばしていただくことをお勧めします】 先日、風の便りで前職で最後の事務所にいた時の上司が2000年に亡くなっていることを聞いた。 正直「これでやっと区切りがついた」という感情しか出てこなかった。 普通であれば「厳しかったけど、今思えば…」「あの時は辛かったけど、あの時代があるから…」みたいな美辞麗句が出てくるもんだけど、普通に「これであの忌まわしい過去が少しは中和されるのかなあ」としか思わ

          元上司の逝去の報を聞いて(毒吐き閲覧注意)