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神は本当に泣いてくださるのか

なぜのこのような記事を書くのかというと。
実際に聞いた話で、妻子にDVを振るうとある教会の牧師の口癖は
「神は強いものの味方だ。強いものが勝つのだ」
だったそうだ。
その妻子は必死の思いでそこから逃げたので、いまもそうであるかどうかは不明だが。しかも、その教団は妻子を追いかけて連れ戻そうとしたらしい。

今もしその妻子が牧師と共にいたら、生きていたかどうかは不明だ。
もし死んだとしても
「神の最善だ」
「神の導きでこうなったのだ」
「主は泣いてくださったのだ。それで十分ではないか」
そう言われるのがオチだろう。

だから、何が起こってもその教会ではこんな結論になってしまう。
「神は泣いてくださったのだ。それが最善なのだから文句を言うとは何事だ」
「ズタズタに、メチャクチャになることがお導きなのだ」
「よくなることを願うのは主の思し召しに反する」
「生半可な信仰を持つのは正しい教えではない」

それで、もし被害者に少しでも明るい兆しが見えたとする。
「苦しみに耐えたから良くなったのだ」
「あの苦しみは必然必要だったのだ」
そして、もっともっと苦しむ姿を願うようになる。
その方が、見ている側が満足するから。自分たちの考えが正しいと確信できるから。

加害者は常に善である。
何が起きても彼らが正しいのだ。
なぜなら、それが神の導きであり最善であるのだから。



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