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親がおじいちゃんおばあちゃんになっていくこと

最近一番心が動いたこと。
年明けに久々に実家に帰ったとき。
父の頭髪は白髪混じりになり、母はなんだか小さくて化粧っ気がなくなってた。
口を開けばいつも通りなんだけど、「もう67なのよね。おばあちゃんだわ」
正確な年齢を知らなかったので、67なんだと内心びっくり。私、母が36,7くらいのときの子どもでした。

夜、家に帰って寝床についたとき。「もう67なのよね」が頭のなかで繰り返され、全然眠れず。めちゃめちゃ涙がでた。ここ数年でこんなに泣いたことないってくらい。そのときは生理前で不安定だったのもある。

確実に年月は経っている。
そんなことある筈ないのに、両親は永遠に60代な気がしていた。もうすぐ70だった。

親がおじいちゃんおばあちゃんになっていくことを、受け入れるのがとても辛い。
確実に時間が経っていくなかで、私は結婚してほどほどに仕事して、子どももつくらず、楽な選択ばかりしてなんとなく過ごしている。

これでいいのかな。子どもはいずれつくるかもしれないしつくらないかもしれない。いつか考えよう。そんなことを言いながら真剣に考えもせず先送りにしている。
べつに、親のために子どもをつくるつもりはない。けど、ただ「これでいいのかな」と漠然とした疑問が巡るだけ。

親が年取っていくことも、自分が何もしてないように思うことも、ぐちゃぐちゃのまま飲み込めてない。
でも、こういうことを考えるようになっただけでも前進と思いたい。

70代の方には本当に失礼を承知で言うのですが、たとえば有名人が60代で亡くなったと聞くと、「早いな」と思うけど、70代だと「早いけど高齢だしな」と感じ方が変わる。
最近は八代亜紀さんが73で亡くなったと聞いて、そういうニュースで自分の親を思い浮かべるようになった。

今年は去年より実家に帰ろう。でもこんなこと考えてしまった後だと、顔見て泣いてしまうかもな。
私の親は本当に私を大事に思ってくれてるから、絶対泣けない。めちゃくちゃ心配されてしまう。

今、パスタの美味しい店で料理待ってるのですが、こうして文字に起こしてるだけで涙出てきた。外なのに。
次はもっとしょうもない話をゆるく書きたい。

飲めるくらい美味い「あさりとしめじのパスタ」
東中野「MOSES」

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