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"良い人"という言葉が嫌いだ

"いい人"という言葉が嫌いだ。

なぜか?
"いい"というのはその人にとって都合がいいという意味で多くの人が使っているからだ。多くの人は善悪について自分の視点からでしか語らない。

それに対して"いい人"という言葉はあたかも客観的に判断された事象だと聞き手に錯覚させる。これはただの言葉の性質に過ぎぬもので、細かいことであると大人な対応をすることが正しいのかもしれないがやはり考えたくなってしまう。

万人に共通する絶対的な善悪の基準はおそらく存在しない。
例えば、
法は絶対的か?いや公の権力が定めた一つのルールに過ぎない。
倫理は絶対的か?言わずもがなこれも人によって異なる価値を保有する。

しかし"いい人"という言葉は少なくとも女子学生の会話中では頻出の言葉の一つだろう。

あの男の子はいい人だよね。
あの人はいい人だからそんなことは言わないんじゃない。
いい人はそんなこと絶対にしないわ。
等々…

いつもこの言葉を聞くたびに
いい人をあなた一人で判断するんじゃない、と思ってしまう。

しかしこの言葉はあらゆる場面で使い勝手が非常にいい優秀な言葉だから、多くの場合会話の動線をぶった斬ることなく私もこの便利な言葉を消費する。

とうとうそんな都合のいい振る舞いのできる"大人"へと私は成長し始めることができているのかもしれない。

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