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誰に向けたわけでもないかもしれないけれど

いまだアイコンを設定していない事実。
まあ気負いせず、ぬるぬる続けていこうか!

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とある仕事で、チームとしていっしょに頑張ってきたディレクターさんがいる。「いっしょに頑張ってきた」と私が言うには気が引けるくらい、その方はすごいし、圧倒的に動いていた。だから、それと同時に私が引け目を感じてしまい、自己嫌悪に陥り、なかなかうまく動けない日々も続いた。同じ会社ではないことも相まって、いつか切られることもあるかも、と恐れてしまう場面もあった。

でも、「とっても面倒見がいいんだよ、あの人は。すごいんだ」と、彼と同じ会社の営業さんが教えてくれた。その営業さんも、圧倒的な行動量と抜群のコミュニケーション力で、心からすごいなと思っていた人だった。自分の方がすこしだけ年上で、社会人経験がすこしだけ長い。その事実が恥ずかしくなるくらいに。

その人が言うから、だったのかは定かではないが、何だか「そうかも」と思わされた。面倒見がいいかがわかるほどには、まだ仲良くもなれていなかったから、すぐ「納得!」とはならなかったけれど、いつもそのコメントが頭の片隅におかれるようになった。

その後、その案件の取材があり、ディレクターと帰りの電車がいっしょになった。どんな会話の流れからだったのかは覚えていないが、「チームの皆さんが、本当にすごい方ばかりで、私なんかいていいのだろうかと思ってしまう」そんな本音をふと吐露してしまった。

返答が怖かった。「そんなことない」と言ってくれるかもしれないが、十中八九こういう場面の否定は、"とりあえずの社交辞令否定"だ。「いやー痩せなきゃー」「いや、太ってないでしょ、そのままで大丈夫だよ」っていう、一連のそれ。苦い表情付きだ。

案の定、返ってきたのは「そんなことないよ笑」という否定の言葉だった。が、その表情には"本心でそう思っている"という眼差ししかなかった。「ちゃんと力になれている、お客さんも喜んでくれてたでしょ」と。

それ自体がすべて演技の可能性だってある。なかなかの役者なのかもしれない。でも、言葉ではない、その裏にある心の部分が「本心で君は必要な存在だ」と思ってくれているように感じた。

なんだかムズ痒かった。ありがたい。ありがたい。こんなことを口にしてしまって、むしろ申し訳ない。そんな感情になった。こんな私がちゃんと力になれてるなんてにわかには信じられないけれど、すこし「そんなことないよ」の言葉を信じてみようと思えた。

すぐ自信が戻るわけでもないが、どうにか、どうにか、その仕事はひと段落した。どう思われているかはわからない。私の役割を、もっとベテランの方がやってたら、もっと彼の仕事は楽になっていたかもしれない(いや、そうに違いない)。そう思いながら12月を迎えた。

すると、うちの会社へではなく、直接私に仕事の相談を持ちかけてくれた案件があった。もちろん、その案件自体はいつもいっしょに担当しているクライアントのものだから、最終的に私がやることになるのは見えていた。それでも、直接私に話をしてきてくれたことが嬉しかった。心の底から「こいつには仕事を任せられない」と思ったら、言ってこないだろう。

ちょっとは、自信を持ってこの人と向き合ってもいいのかもしれない。そう思った。

そして今日、この人のSNSで、何やら意味深な投稿を見かけた。要約すると以下の内容だ。

「アドバイスをしてもやらない人、環境のせいにして動かない人は、なぜそうなんだ」
こうした正論を言うのはわかるが、周りの人が推測できない何かに囚われて動き出せず、自己嫌悪に陥ってしまう人はいる。そう追い詰められている人に寄り添う人はなかなかいない。なぜその何かに寄り添ってあげようとしないのか。

ビックリした。圧倒的に行動する人はみな「とりあえず動け、すべて自責で動け。動かないやつは、自分で損をしていくだけだ。そいつが悪い」と考えている人ばかりだと思っていた(例に出すのは申し訳ないが、ホリエモンさんのイメージが強い)。

こんなにも、私みたいに"勝手に自分で潰れていく輩"に、一旦寄り添うべきでは?と考えてくれるなんて。これを読んでいたカフェで、泣きそうになってしまった。

ああ、甘えかもしれないけど、いや甘えだと自分で思っているからつらくなるのだけれど、この心情が状況をわかってくれる、わかってくれようとしている人がいるのか。そしてそう考えてくれるのは、この人なのか。

ものすごい衝撃で、ものすごく嬉しくて、コメントしようかしまいか、ものすごく悩んだ。コメントするとすれば、結局頼ることになる、助けを求めることになる。ような気がした。私はこの立場の人に頼っていいのだろうか。いろんな心情と事情と周りからの目を気にした。結果的に、"いいね!"を押すにとどまった。

今こうして文字に起こすと「いや、素直に頼ればいいじゃん」と思う。それに気づきたくて、支離滅裂でもいいから、誰にも伝わらなくてもいいから、noteに書いたのかもしれない。

それでも私は"いいね!"で様子を見る。もっと全身全霊で「頼っていい。頼りたい」と思えたら、素直になろう。それが私だ。開き直りだけど、これもまた、自分に正直に、素直になった結果だ。むしろ"いいね!"をすること自体がレアな私にとって、そのタップ一回が大きな進歩だ。

さ、何書きたいのかわからないけど、ちょっと吐き出せたら気がする。またいつか、これを読み返して反省したり、未来の私が行動を変えることもあるだろう。あとは、これを書き終えた私と、それを読み返したもっと先の私に託そうと思う。

今日もありがとうございました!もうお昼。気楽に笑顔にすごしましょうか〜