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「疎遠」になっても「疎縁」ではない

移り行く時間の中で、親しかった人や繋がりのあった人となぜか「疎遠」になってしまうことがありますよね?

明確な理由がある場合もありますが、とくに理由はないけど微妙なズレや違和感を感じて、なんとなく距離を置いてしまうといったことも少なくないと思います。

とくにその関係を保っておきたい相手の場合、なんとか関係を取り持とうとジタバタ焦る人もいますが、そんな時あなたはどうしますか?

「縁」が切れたわけではない

たしかに今まで親しかった人が離れていく感覚は寂しいものですよね。

ただ無理して関わろうとすると、余計に相手に疎まれてこじれるだけなので、そこに執着しても良い結果になることはほぼありません。

相手に違和感を感じさせてしまった理由が必ずあるはずなので、原因は100%自分にあると僕は考えます。

また、「疎遠」になることは必ずしも悪いことではないとも思っています。

人は誰もがバイオリズムのようなものがあり、「なんとなく今はそっとしておいてほしい」みたいな時もあるので、「疎遠」になったとしても「疎縁」になったわけではないんですよね。

自分の感情ばかりを優先して、相手の気持ちを考えれなくなっていませんか?

それが「疎遠」になる一番の原因かもしれません。

足りないピースをうめるため

関わる人はつねに循環していくものですが、今の自分にとって重要な意味を持つ人や、一緒にいて居心地のいい人が近くにいますよね?

まさに「縁起」によって人は繋がるわけですが、今の自分に足りていないピースをうめるために出会いはあるのかもしれません。

「自分」という人間を完成させていくために、意味のない出会いなど一切なく、今後の人生において必ず何らかの影響があるわけです。

その時にはわからなくても、あとになって「あの時はムカついたけど、未熟な自分を成長させるために必要な出会いだったよな」と思い返したことはありませんか?

自分が変わるしかない

相手と良好な関係を維持したいと思うなら、「相手に変化を求めるのではなく自分が変わること。」これに尽きます。

とくに相手がレベルの高い人であれば、少なくとも相手のコンフォートゾーンまで這い上がる必要があるわけです。

それは何かというと、価値観やスピード感など、相手に見合うレベルまで持っていく必要があるということ。

そうすることで「相手が心地よく生きている世界」と波長が合い、しだいに共振し始めます。

巷でいう「シンクロニシティ」ですね。

最近、自分の身にも連続してこれが起こっています。

きっとまた繋がるから

以前ツイートもしたんですが、僕の周りが怖いくらい一気に好転し始めてるんです。

たとえば、このnoteを再開したことや、Twitterでツイートしたことがきっかけだと思いますが、ある方が声をかけてくださったんですね。

「縁を感じたから何かひとつでも貢献できたらなぁ思って」と。

以前からご縁があった方なんですが、それこそ少し「疎遠」になっていたような気がします。

理由は前述のとおり、自分に100%原因があったと思っています。

ですが、自分がまた行動し始めたことによって、目をかけてもらえたのかもしれません。

「縁起」とは、自ら行動を起こして掴むものと、宇宙に身を委ねて得られるものの2つがあるように感じます。

宇宙の流れに逆らわず導かれる方向へ身を委ねたこと、そしてやりたいことを再開したことで目の前の世界が良い方向へ動き始めました。

たまにSNSなどで親しかった人にフォローを外されて気に病む人がいますが、お互いが必要だと感じればまた繋がれる機会はあるはずなんですよね。

ただそのタイミングは一瞬かもしれないですし、すべては自分の在り方しだいですが…。

今回は、「シンクロニシティ」や「縁起」の凄さを再認識する出来事があったので書いてみました。

あなたも良い「縁起」に導かれますように。

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