人間は弱くて愚かだけど捨てたもんじゃない Netflix『ロシアン・ドール:謎のタイムループ』 感想

誰でもやり直したい1日や出来事、大きく見れば人生をやり直したいと思う時があると思う。俺もこないだ会社に遅刻しそうになって家から駅までを全力ダッシュしてる際に思った。ああ、今日をやり直せねえかな。一日の始まりをダッシュからキメたらその後はもうトリップ状態。混乱のまま1日が暮れる。全くもって不愉快な1日だった。なぜなら遅刻は自己責任だからだ。怒りをぶつける相手が自分という負の連鎖。自分に怒り続けると心が死ぬ。心が死ぬと余裕が無くなり、結果的に遅刻が増える気がするのだ。やり直したいという感情は「余裕が無い」人間にしか生まれない。しかし、実際に自分だけ世界をやり直したとて新しく生まれる感情は「孤独」である。自分と他者にズレを感じた瞬間ほど悲しいものは無い。これはタイムリープしようがしまいがそうだ。じゃあその「孤独」に手を差し伸べられる人が居たらどうだろうか。それを表現してくれた作品だと思う。

Netflix『ロシアン・ドール:謎のタイムループ』


超面白かった。前半のコメディ調からホラーに近い展開で盛り上げ最終的にヒューマンチックな優しい物語へ昇華する。最近俺がハマってるジャンルだ。
心が病んだ人を生かすも殺すも周りの人間である。ナディアの母親は確実に心が壊れていたが、子供からしたら「それ」から身を心を守るのに必死だ。逃げになってしまった「結果」を大人になった今だからこそナディアは後悔していた。成長とともに後悔の形も変わるのだ。
アランの恋人は心が病んでいるかもしれない彼から目を背けてしまった。俺は正直その行動を蔑んだり出来ない。(いや、本当に最悪な女だが、病んでしまった人に「相談」という名の精神科行け的な促しもしてたワケだし。)
一方ナディアは母親から逃げたことを自責していた。アランが家族写真を厚意で飾ってあげたシーンなんか特に印象的で、ナディアが「それ」から目を背けているのが分かるシーンである。
心が壊れてしまったアランを救うことは大人になったナディアが出来る母親への「弔い」の気持ちなんだと思う。あの母親を抱えていたナディアだからこそ出来る「弱い人間に寄り添う姿」だった。終盤でアランの住んでいるマンションで遭遇した妻を無くしたおじいさんとの会話なんか特に優しさに溢れていた。
そしてラストシーンのあの爽快さ。人を救うことで自分自身も救われた。そんな気持ちが演出されたラストだったように思う。あの笑顔こそが答えだ。
終盤、ナディアと親友が手を繋いで階段を降りるシーンも素敵だった。階段を降りるという行為がループを繰り返す毎に恐怖に変わっていったが、誰かが手を差し伸べれば恐怖も和らぐのだ。 


一貫して、人間は弱くて愚かだけど捨てたもんじゃない、だからこそ助け合うべき。そんな物語な気がしたのだ。

彼女らはタイムリープしようがしまいが「孤独」だった。友達が居ないとか恋人が居ないとかそういうことではない。彼らは表面上は恵まれている状況にある。しかし、ロシアンドールのように中身を取り出していくと見えてくる後悔や自責という病んだ心。タイムリープというありがちな設定を用いてそんな心に手を差し伸べてくれた素敵な作品だった。シーズン続投が決まっているらしいが、正直完璧すぎる物語だったので期待はしないでおこうと思う。


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