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「偶然の産物」に出会わなくなった(小山の戯言)

こないだ本屋に行った。
何か本を読みたいと思い色々探したが、読みたい本が結局見つからず帰宅した。
というより「本屋で本を探す」という行為に対して

「あれ、どうやるんだっけ?」

と思ってしまった。

X(Twitter)で「何かおすすめの本ありますか?」と募集したらフォロワーの方々が色々教えてくださりました。全てメモって気になった作品をカートには入れているのですが、本屋に行った時の自分の直感をまずは大事にしよう!と思い本屋へ。
ずらりと並ぶ情報量。「出版社はこれで〜あ行だからここ〜」みたいなやり取りもすごく億劫に感じてしまい、ネットショッピングの習慣が脳を支配している感覚に恐怖した。

別にそれは悪いことではないし、むしろ効率が良いので結局教えてもらった作品と自分が読みたいと思ってる本何冊かをネットで買うことにした。楽しみ。

でも、高校生の時にとりあえず本屋に行って冒頭読んで気になって買っちゃうみたいな。
そういう時間の使い方が出来なくてなんか寂しい。
TSUTAYAに行ってジャケ写レンタルして好きなバンドに出会うとかそういう、「偶然の産物」が今の世の中少ないなぁと思った。

ネットで何か買うにもチラリとレビューを見てしまうし、この映画面白そう!と調べたらすぐ誰かの感想が流れてくるし。
けどそれに慣れてしまった脳は誰かの言葉を求めていて、SNSの発達で人との距離が遠くなったように思えて結局人は人の言葉に依存しているなぁと、本屋に書かれていた「この本SNSでバズってます!こちら実際されているツイート!」というポップ広告を見て思った。


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