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大人たちに卒業の日は来るか
卒業の日に何をしたか、もう覚えていません。パンが焼き上がるのを待ちながら私は考えます。小・中・高校、大学と、四回も卒業しているのに、ただの一日さえ覚えていません。でも、私はときおり「卒業」というものに心が囚われます。
ところで、小説を読んでいると前後の文脈に関わりなく、ある一文が心に留まることがあります。たとえば、内田百閒先生の「東京日記」を読んでいて、次のような一文に出会いました。
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何だか解らない気持ちが、座っている身のまわりに、外から無理に迫って来る様に思われた。
同じ一文を二度、三度と読み返しているうちに、何かが腑に落ちるような心持ちがします。ああ、また私は「卒業」に囚われていたのかもしれないと。
いまは三月、卒業の季節です。学生は大きな節目を迎え、ひとつ大人に近づきます。大人はどうだろうかと思わずにはいられません。大人は、私は、彼らと同じように前へ進めているだろうかと、考えるともなく考えてしまいます。
もやもやしたときは、美味しいものを食べるにかぎります。私は今日、近所のワインショップへ行きました。お酒は飲めないのでワインを買うわけではありません。そのお店には海外のお菓子がたくさん売っているのです。
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買ったのはイタリアの南チロルに本社を持つ Loacker というブランドのお菓子です。Quadratini VANILLA というバニラ風味のウエハースの、スカイブルーのパッケージが心を晴らしてくれる気がしますね。
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封を切ると小粒なウエハースたちと目が合います。いかにも美味しそうです。
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グレーのガラスの小皿がよく似合いました。食べてみます。バニラクリームが挟まっているので、ウエハース特有のパサパサとした食感が抑えられており、しっとりとしながらも甘すぎない、三時のおやつにぴったりの軽やかなお菓子でした。
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牛乳を飲まずにはいられません。私は牛乳が好きなのです。牛乳を飲み干したころには、花曇りの空のようなモヤモヤとした気持ちは薄れていました。
私は卒業のときが来るのを待ってしまっていることがあるのです。つまり、いまの何となく冴えない日々が何かをきっかけに終わり、「ほんとうの素晴らしい毎日」が始まるという幻想を抱いてしまうときがあります。
大人になれば。平日が終わって休日になれば。この繁忙期が終わりさえすれば。結婚しさえすれば。子どもができさえすれば。子育てを終えさえすれば。定年を迎えれば。きっと、「ほんとうの素晴らしい毎日」が訪れるはずだと。
ふいにアラームが鳴ります。
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パンが焼けました。焼き立てのパンの香りほど幸せな匂いはない気がします。
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つまるところ、大人に「卒業」はないのだと思います。ある日を境にして、それ以降は何の不安も不満もない完璧な生活が訪れることなどないのです。あるのは、パンの香りに包まれている、今日、ただいまこのときです。
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いまを「卒業」に向けた準備期間にするのはやめましょう。いまを忘れて明日ばかり追いかけていると、「何だか解らない気持ち」に囚われてしまいます。
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焼き立てのパンから立ち上る湯気のように、「いま」は儚いものです。夕暮れどきの変な時間にパンを食べている、いまこの瞬間にしか私はいないことを思い出します。レーズン入りのパンは、柔らかくやさしい味がしました。
食パンを食べているときに、食パンのことを考えていられれば、私は大丈夫です。
牛乳を飲んでいるときに牛乳のことを、ウエハースを食べているときにウエハースのことを、本のある一文を読んでいるときにその一文のことを、ただそれだけを味わっていられれば、私たちは大丈夫です。
いつか来るはずの「卒業」の日にではなく、何でもない「いま」にこそ、おめでとうと言いたいですね。
ではまた!
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