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大阪市の神社と狛犬 ➏北区④富島神社~空を見上げる享和の狛犬~

大阪市北区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、北区はその中央にあり、大阪市役所の所在地です。北区の中心地梅田は、西日本最大の鉄道ターミナルで、JR大阪駅や阪急・阪神の梅田駅ががあります。地勢的には、北は淀川、東は大川、南は土佐堀川と三方を河川に囲まれ、西は福島区に隣接しています。北区には、神社が11社あります。
富島神社は、Osaka Metro御堂筋線中津駅から北へ約300m、阪急電鉄中津駅からは北東へ約500mの地に鎮座しています。

富島神社

■所在地 〒530-0071 大阪市北区中津2-5-10
■主祭神 速素盞嗚尊
■由緒  具体的な創建時期は不明だが、かつては、祇園牛頭天王社と称していた。明治に入り、難波八十島の利島に因み利島神社と改称した。明治末期には周辺の神社を合祀し、明治43年(1910)に、昔この辺りを富島の荘と呼んでいたことから現在の社名へと改称した。

狛犬1

■奉献年 天保二辛卯歳九月吉日(1831)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  正面鳥居内側

富島神社南側にある正面鳥居と狛犬

社殿正面の道路に面した鳥居を潜ると、花崗岩製のボリュームたっぷりの狛犬さんが出迎えてくれる。

天保2年奉献の狛犬
天保2年奉献の狛犬
天保2年奉献の狛犬

基壇に「天保二辛卯歳九月吉日」と彫られているようだが、とても読みづらい。石工銘はない。
像高は約1mだが、真横から見ると、阿形のほうが背が高いのに対し、奥行きは吽形のほうが長いので、左右のバランスの悪さが目立つ。どちらかと言えば、吽形狛犬のほうが全体のバランスがとれている。しかし、表面の仕上げを見ると、阿形が丁寧なのに比べて、吽形は表面がごつごつしている。
顔の表情は、天保期の標準的な狛犬の範疇にはいるだろう。

狛犬2

■奉献年 享和三年癸亥歳 正月吉祥日(1803)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  西側鳥居内側

富島神社西側鳥居内側の狛犬

富島神社はちょうど交差点の北東にあり、南側と西側が道路に面している。その西側の鳥居の内側に、石灯籠と石造狛犬が置かれている。

享和3年奉献の狛犬
享和3年奉献の狛犬
享和3年奉献の狛犬

台座には「享和三年癸亥歳 正月吉祥日」の銘がある。石工銘はない。
こちらも花崗岩製だが、天保狛犬とはまったく異なる容貌である。斜め前上方を向いて空を見上げ、口の形はほぼ横一文字。次の文化年間の狛犬の口は富士型に開くようになる。尻尾も比較的シンプルだが、背中に沿う形ではなく、直立している。首の横と前に巻き毛があり、頭の後方は流れ毛になる。
この狛犬を見て思い出したのは、西淀川区の西島住吉神社の狛犬である。

上:西島住吉神社 下:富島神社

西島住吉神社の狛犬は、天明年間(1781~1789)、この富島神社の狛犬は、享和3年(1803)で、20年ほどの差がある。細かく見ると違いも多いのだが、どちらも浪速狛犬が最盛期を迎える前の、個性を感じさせる狛犬である。

狛犬3

■奉献年 文久三年九月建之(1863)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  境内社美津社前

美津社と狛犬
美津社前 文久3年奉献の狛犬

台座に彫られた銘によると、幕末の文久3年(1863)奉献の狛犬。印象としては、もっと新しいように見えた。尻尾の形も江戸時代とは思えない。おまけに、阿吽が逆に配置されている。実物をもう一度よく見て、再検討が必要だ。

狛犬ではないが、美津社の御垣内には、なぜか多数の蛙が・・・。

美津社の蛙たち

狛犬4

■奉献年 昭和三年十一月(1928) 御大典記念
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

富島神社拝殿
拝殿前の狛犬

昭和3年(1928)11月、昭和天皇即位の大礼が行われた。それを記念して、各地の神社に狛犬が奉納されている。これもその一つだ。岡崎現代型の狛犬。

富島神社の石造物

富島神社には、狛犬以外にもさまざまな石造物が境内にある。


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