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龍谷ミュージアム秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」~展覧会#44~

庶民のかみさま、ほとけさま

京都の龍谷ミュージアムで、とても興味深い展覧会が開催されている。
民間仏といえば、円空や木喰を思い浮かべるが、それよりももっと素朴で人々の生活に密着した、「かみさま」とも「ほとけさま」とも区別できないような「いとしい」ものたちと出会える展覧会だ。

みちのく(陸奥)は、まさに道の奥から生まれた言葉で、本州最北端の旧国名である。現在の青森、岩手、福島、宮城の4県と秋田の北東部が含まれる。今回の展覧会では、その中でも北部に位置する青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像が紹介されている。
作品のほとんどが、専門の仏師ではなく、江戸時代にその土地の大工やお坊さんなどが造ったものである。
この時代になると、全国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として祀られるようになっていた。その一方で、厳しい風土の中で、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた「かみさま」や「ほとけさま」がいたこと、そしてそれらが土地の人々によって大切に護られてきたことは、ほとんど知られていなかった。
今回の展覧会「みちのく いとしい仏たち」は、私たちが知らなかった庶民の「かみさま、ほとけさま」の姿と信仰を紹介してくれる、とても貴重で興味深い展覧会だった。


展覧会のシンボル「山神さま」

龍谷ミュージアムの展覧会場は3階と2階。まず3階の展示室へ。

展示室入り口

ポスターやリーフレットにも登場する面長の仏様のようなやさしいお顔が、会場の入口で迎えてくれる。ちょうどこの日の朝日新聞夕刊に、この像が紹介されていた。

岩手県八幡平市の兄川山神社〈山神像〉 朝日新聞夕刊(10月17日)より

螺髪に白毫をもつお顔を見ると、如来像としか思えない。しかしこれは、岩手県八幡平市の兄川山神社に祀られている山神像だという。山の神が仏の姿を借りてそこにおわすのだ。三頭身のスタイルでやさしい目元、胸の前で小さな手を合わせるのは、人々の幸せを祈る姿だろうか。


展示構成と作品

第1章:ホトケとカミ
第2章:山と村のカミ
第3章:笑みをたたえる
第4章:いのりのかたち 宝積寺六観音像
第5章:ブイブイいわせる
第6章:やさしくしかって
第7章:大工 右衛門四良
第8章:かわいくて かなしくて

ここから、展覧会で目を引いたいくつかの作品を紹介したい。写真は図録から。

〈伝吉祥天立像〉平安時代11世紀 岩手県二戸市天台寺

「第1章:ホトケとカミ」より

ふっくらとした丸顔がなんともいえない。両腕がないところはミロのヴィーナス像と同じだ。愛らしい吉祥天である。


〈女神像〉
鎌倉時代 青森県南部町恵光院

「第1章:ホトケとカミ」より

どっしりと安定感のある女神像である。笑いをこらえているような表情がいい。


〈山犬像〉
明治時代 岩手県八幡平市某社

「第2章:山と村のカミ」より

山犬とは狼のこと。狼は「大神」に通じることから、やはり山の神になる。この山犬像は明治のものだが、昭和の初めまで子供たちが背中に乗って遊んでいたそうだ。


〈如来立像〉
江戸時代1688年頃 岩手県一関市松川 二十五菩薩像保存会

「第3章:笑みをたたえる」より

目尻の下がった面長の如来様。こんなおじさん、どこかにいそうな気がする。この像と同じ作者だと思われる観音菩薩立像があったが、胸に「オッパイ」があった!


〈六観音立像〉
江戸時代 岩手県葛巻市宝積寺

「第4章:いのりのかたち 宝積寺六観音像」より

みちのくの民間仏の頂点と言われる仏たち。足先以外は、カツラの一木で彫られている。顔はあっさりとしているが、手の表情や衣紋などはすばらしい。専門の仏師でない人が造ったとしたら、みごとな出来映えだ。


〈多聞天立像〉
江戸時代1790年頃 青森県今別町本覚寺 

「第5章:ブイブイいわせる」より

多聞天は四天王の一尊で北方を守護する。単独で造像する場合は毘沙門天と呼ぶことが多い。多聞天にはまた、境界を守護する役割もある。本像のある青森県今別町は津軽海峡を望む港町で、漁師たちはこの多聞天像に、海での安全を祈願した。
ところでこの多聞天、よく見るとただ者ではない。右手に三叉の戟、左手に宝塔を持ち、邪鬼を踏むところまでは普通だが、頭上には閻魔大王のような冠をかぶっている。さらにその上には龍王の姿が見える。胸には大国主命を象徴する宝珠がある。
神や仏のいろんな要素を併せ持った、まさに庶民が造った「ほとけさま」だ。


〈閻魔王像〉
江戸時代 岩手県奥州市黒石寺

「第6章:やさしくしかって」より

「こりゃっ、嘘をつくと舌を抜くぞ!」
十王像のうちの一体。十王は、地獄において亡者の審判を行う十尊の裁判官的な存在である。当然恐ろしく厳しい顔つきをしている、と思いきや、どこか剽軽で親しみを感じる。まさしく「やさしくしかって」である。
これは、次の鬼の像にも共通している。


〈鬼形像〉江戸時代 岩手県葛巻町正福寺

「第6章:やさしくしかって」より

牙をむき、左手には女性の髪をつかんでいる。胸毛なんかも描かれている。恐ろしいはずだが、なぜかこわくない。あれっ、角がないぞ。


〈鬼形像〉
江戸時代18世紀後半 右衛門四良作 青森県十和田市法蓮寺

「第7章:大工 右衛門四良」より

右衛門四良えもんしろう」とは、十和田市洞内の旧家、長坂屋右衛門四郎家の当主の名前である。大工でありながら、18世紀中期から後期にかけて多くの仏像などを作って活躍し、1779年頃に没したといわれている。
この第7章では、右衛門四良えもんしろうの作品が40点も展示されている。このような民間仏で作者が明らかなものは珍しい。
この作品は一本角を持つ鬼だが、この角がなかったら胡人のように見える。手足の表現やスカートのような衣服もかわいらしい。
右衛門四良えもんしろうの作では、同じく法蓮寺が所蔵する「童子跪坐像」がいい。丸みを帯びた像の底が前後に揺れる仕掛けになっていて、手を合わせてゆらゆらする。


〈子安観音坐像〉
江戸時代 青森県五所川原市慈眼寺

「第8章:かわいくて かなしくて」より

赤ん坊を両手でやさしく抱きかかえる観音菩薩像。宝冠や白毫がなければ若い母親に抱かれているように見える。お下げ髪もかわいいし、何よりも子どものような笑顔がいい。


展覧会「みちのく いとしい仏たち」は、岩手~京都~東京と巡回します。岩手展は終了し、現在は京都の龍谷ミュージアムで開催中(2023.9.16~11.19)。次は、東京ステーションギャラリー(2023.12.2~2024.2.12)です。
北東北の小さなお堂や家庭の神棚や仏壇に大切に祀られたきた素朴な像たちに、土地の人々の祈りの気持ちを感じます。そして何よりも、稚拙だけれども味わい深く愛くるしい「かみさま、ほとけさま」の表情に、思わずにっこりしてしまいます。
とてもいい展覧会でしたよ。


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