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10月の俳句

神無月

十月・神無月が今日で終わります。めっきり秋が深まってきましたね。
もっとも陰暦の「神無月」は、季節としては冬で、11月末頃に当たります。「神無月」という呼称は、この月に出雲大社に全国の神様が集まるので、出雲以外では神様がいなくなるからと言われますが、これは俗説で、「神の月」すなわち「神祭りの月」の意のようです。しかしこれも確実ではありませんが。

「神無月」と聞くと、すぐに思い出すのは『徒然草』と井上陽水です。
『徒然草』の本文は、次のようなものです。

神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

訪れる人もない山里でひっそりと暮らす人の庵に、兼好はしみじみと心ひかれるのですが、庭にある大きなみかんの木が厳重に囲いをしてあるのを見て興ざめしてしまう、というお話。
おもしろいのは、兼好が囲いではなく、「この木なからましかば」と、みかんの木そのものがなければよかったと思ったことです。欲の原因を排除するということなのでしょうね。

神無月捨て去ることの難しき

井上陽水は、私の大学生時代の思い出と切り離せません。陽水のセカンドアルバムは「陽水Ⅱ  センチメンタル」でしたが、その中に「神無月にかこまれて」という曲がありました。

「神無月にかこまれて」

人恋しと泣けば十三夜
月はおぼろ 淡い色具合
雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ
丸い月には流れる雲が
ちぎれた雲がよくにあう
風がさわぐ今や冬隣り
逃げる様に渡り鳥がゆく
列についてゆけない者に また来る春が
あるかどうかは誰もしらない
ただひたすらの風まかせ
神無月に僕はかこまれて
口笛吹く それはこだまする
青い夜の空気の中に 生きてるものは
涙も見せず笑いも忘れ
息をひそめて冬を待つ

「人恋しと泣けば十三夜 ♫」でこの曲は始まります。

十三夜古き調べを口ずさむ

恋しといえば、こんな都々逸もありましたね。

恋し恋しと鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす

10月8日は十三夜でした。この日は陰暦の9月13日に当たります。
陰暦8月15日の中秋の名月に対して「のちの月」とも言われます。また名月にお供えするものから、「栗名月」「豆名月」とも言います。
この夜、月を眺めると、すぐそばに明るい星が輝いていました。木星です。

木星になに語らふや後の月

陰暦8月は十五夜の月を愛でるのに、9月はなぜ十三夜なのでしょうか。

稲刈り

町中にある我が家の周囲にも、まだわずかながら田圃が残っています。「山田」という地名が示すように、かつてはたくさんの田圃があったのでしょう。旧山田村には古くて大きな屋敷も残っています。
数年前に、知り合いの田圃の稲刈りにお邪魔したことがありました。まさに「お邪魔」なんですが、貴重な体験をさせてもらったことを思い出しました。

稲藁に秋の光を集めたり

秋の暮れ

昔から「秋の日はつるべ落とし」と言います。秋は日が暮れ始めると、あっという間に暗くなりますね。

車椅子速き歩みや秋の暮れ

歩道を車椅子で進んでいる人がいました。どんどん遠ざかっていきます。その速さに驚きました。車椅子が進む西の空は赤く焼けていました。

夕焼けの空はやがて黒く塗りつぶされていきます。

図書館の窓明かり見ゆ秋の暮れ

金木犀

この月に香りを楽しませてくれた花といえば、金木犀ですね。通勤途中の道で、どこからか香りが漂ってきます。金木犀はオレンジ色の小さな花をたくさんつけますが、葉の緑に隠れて目立ちません。

香りのもとを探して、ついキョロキョロしてしまいます。

木犀の香に誘はれて道まどふ

実際は道に迷うことはありませんが、ついいつもと違う道に迷い込んだりしてしまいます。
10月の終わり、金木犀の花は散り落ちてしまいます。歩む足下にたくさんのオレンジ色の星形があるのに気づき、見上げるとその家の庭に金木犀の木がありました。

金木犀星を落として秋暮るる

「秋暮るる」と詠んだ句がもう一つ。庭のヒメリンゴの木にヒヨドリがやってきて、仲間を呼んでいました。

ひよどりのヒーヨと鳴きて秋暮るる

こんな風景を繰り返しながら、少しずつ季節が冬に向かって歩んでいくのだなあ、という感慨です。

神の鏡

10月23日、お隣の茨木市にある溝咋みぞくい神社で秋季大祭が執り行われました。溝咋神社は、4年前の地震と台風で大きな被害に遭いましたが、氏子さんの尽力でこのたびやっと復興がかないました。お誘いを受けて久しぶりにお参りした境内は、荒廃のかげもなく、きれいに整えられていてうれしくなりました。
この神社には「暁の鏡」と呼ばれる社宝があります。卑弥呼の時代といわれる青銅鏡です。この神宝が公開されていて、初めて拝むことができました。

天高く神の鏡を拝みけり

「てんたかくかみのかがみををがみけり」
カ行音の多用・「か」の連続・「かがみををがみ」の音の面白さなど、ちょっと遊んで作った句です。

夜の公園

6年生の孫と2人、夜のウォーキングに出かけました。

目指すは、上の写真のいちばん左に見える観覧車のある万博記念公園です。
旧山田村の中を通り、やがて道はのぼりになります。万博記念公園は丘陵地に造られました。片道約30分。英語(カタカナ語)使わないゲームをしながら歩きました。彼はずっとしゃべっています。カタカナ語になると、必死で日本語に置き換えます。けっこう難しいですよ。
万博記念公園からの帰り道に、最近新しく整備された小さな公園がありました。彼が「鎖で吊り下げた椅子に乗ろう」と誘います。「ぶらんこ」です。「ぶらんこ」の語源については擬態語の「ぶらり」「ぶらん」などから来たとする説と外来語とする説があり、よくわかりません。漢字では「鞦韆」という難しい字をあてますね。

秋寒や夜の鞦韆揺らしけり

私には6年生を筆頭に、4年、2年と3人の孫がいます。皆それぞれ可愛く楽しく面白い子どもたちです。老生の晩年を豊かに忙しくさせてくれています。

 孫三人香り松茸味しめじ

「10月の俳句」を書き終えた今日は、11月霜月ついたちになってしまいました。また新しい月が始まります。6年生の孫は、早朝から1泊の修学旅行に出発しました。明日のお土産は「もみじ饅頭」かな。





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